最終更新日:2010年07月31日
高良 美佐代さん
全身性エリテマトーデス(SLE)
こんにちは。私の名前は、高良美佐代と申します。
北部自立生活センター希輝々で平成22年6月中まで代表させて頂いておりました。
主に障害を持った人達の自立支援としてピア・カウンセリング、自立生活プログラム、権利擁護運動、サポート、ヘルパー派遣等を行っています。
私自身は全身性エリテマトーデス「SLE」による末梢神経障害、視覚障害、難病者でもあり障害者でもあります。
24歳の時に自立し、平成11年にある男性との8年間の交際期間を得て、平成19年、結婚し、平成21年12月16日双子を出産。二児の母になり、4人での家族生活をしながら、在宅でのホームヘルプサービスも活用して生活しています。現在35歳ですが、19歳の時に発病しました。20歳まではごく普通に小・中・高と義務教育を終了の後2年ほど本土の方で働いていました。学生の時は健康優良児で、体を動かすことが大好きで、体力には人一倍自信が有り、高校では3年間バスケット部で活動しながら、アルバイト、学業と充実した日々を過ごしていました。
当時、私は病気という病気もせずにいたのですが、本土就職を希望していた為、体力を使う仕事や寒い土地であるという事で、病気は無いかと検査を受けました。実は私の父もリウマチを患っており、娘の私も遺伝的に発病しやすいだろうということで、今は大丈夫だが無理はしない事、寒さには気をつける事、おかしいなと思ったら直ぐに病院に行くことと注意を受けました。
けれども私は、その注意を軽視し、きっと大丈夫だろう、父は父、私は若く体力にも自信があることで、医者の言うことは少し大げさで自分には無関係なことと安易な考えを持っていました。高校を卒業した18歳の4月に本土就職をしバリバリ働いていましたが、働き始めて7・8ヶ月程経った頃から、腰痛・全身の関節痛などの症状が出てきたが、病院には行かず、父のリウマチの痛み止め・50ミリの座薬を服用して何とかしのいでいました。そうする内に1日1回だった座薬が2回、3回と増え、冬に入り寒さも手伝ってか座薬を使っても痛みが治まらず、立てない状態になり病院へ行きました。
その時すでに病状は悪化していて原因不明で半年を寝たきりで、その後3年近くの闘病生活を送りました。
私は、食事・排泄はもちろん、体位交換等、全介助が必要で、自分の意思で何一つできませんでした。言語障害も強く、何を話しているのか分からない状態でした。血のにじむようなリハビリ、PT・OT・STを重ね、現在では、一部介助が必要なものの自立した、生活を送っています。
一口に「SLE」といっても、一人一人症状が異なります。
私の場合は、白血球の数が普通の人の3分の1しかなく、免疫力・抵抗力が他の人に比べて、弱い。血管がつまりやすい状況です。リウマチ系の神経痛もあり、痛みに過敏で、末梢神経障害もあり、手首・足首から先が、常に冷たい状態です。日光障害もあるので、強い日差しは、避けるようにしています。
見た目一見、どこも悪い様子もないし、障害者にも見えない、自分でやろうと思っても、出来ない事がたくさんあります。病気が悪化する事が多々あるのですが、痛み止め等を使い、コントロールしている状態です。寝る前には、必ず痛み止めを服用しています。
どういうふうに大変なのかというと、痛みが強い時は、コップ一杯の水を持てない、スプーンやフォークも落とすし、何もしていなくても、自然に涙が出てくるくらいの痛みが全身あっちこっち運動会しています。飲み薬・痛み止めの坐薬で、痛みが止まらない場合は、麻薬の入った筋肉注射を打ってもらっています。夜中何度かトイレに行くのですが、恥ずかしい話ですが、痛みが強い場合は、ズボンをはかずにパンツと長めのTシャツで寝ます。そうする事により、トイレがスムーズに出来るようにしています。私は、難病者でもあり、障害者でもあります。
重度障害者ということで、在宅のホームヘルプサービスを活用する事ができています。
みなさんは、障害者について、どのように考えていますか? 自分には全く関係の無い事とか、他人事のように思っていませんか?
私の思う障害者とは、手や足が不自由な人だけでなく、内部疾患のある人や知的・精神障害・難病者もこの中に含まれると思います。大きく枠を取れば、妊婦さんや一見健康な人でもどこかしら、苦しいと不自由を感じている人は、全て、障害者だと思います。
私は、自分が今のように、病気を持ち、障害者になるとは思っていませんでした。人は誰でも、交通事故で障害を持ったり、突然の病気に襲われたりします。自分は、大丈夫では決してないと思います。私に起こった事が、明日・明後日・あなた達に起こるかもしれません。
私の持っている病気は、血液の病気で、膠原病の一つです。誰でも、その病気の遺伝子を持っていて、なぜ、それが、発病するかどうかは、まだよく分かっていない現状です。ただ一つ言えるのは、誰にでも起こりうる可能性があるという事です。
私は、在宅でのホームヘルプサービスを利用出来ていますが、病気だけ持っていて、身体障害者手帳を持っていない仲間がたくさんいます。自分では、何も出来ない、病気とも向き合わないといけないし、何もかも一人で、頑張らないといけない状況です。
SLE患者は、痛みを伴うだけでなく、無気力や脱力感、精神的にうつ状態になる人もかなり多くいます。
でも、自分に置き換えた時に、果たしてどうなのかと考えてみて下さい。きっと、同じ状況になると思います。SLE患者は、やらないのではなく、出来ないのです。身体的サポートも、精神的サポートも必要です。
難病者の全ての人が、サポートを得て、生活が送れるように、みなさんで考えていきましょう。
国や市町村からのサポートシステムだけではなく、私も参加している患者会・家族会の集まり、私達を支えるヘルパーとのつながりが、とても大切だと思います。
患者自身は、落ち込んだり、泣いたり、悩んだりして、病気と向き合えるようになれる時間が必要です。自分では、いっぱいいっぱい頑張っているのに、なぜ?どうして?と、自分を自分で追い詰めたりします。私が病気を発症した時期に、とても辛かった事は、身体的には、全てきついのですが、精神的なものでは、他の人の「頑張って」という言葉が、とても重く、苦しく感じました。自分が良かれと思ってかける言葉でも、かえって、逆に、苦しめる事もあります。
同情ではなく、温かい目で見守っていく事が必要だと思います。患者は、一人だけで頑張りすぎる必要も無いし、その家族は、ただ、家族というだけで、全て、自分達がやらなくてはいけないという事でもないと思います。患者やその家族をサポートする、そのシステムを、ぜひ、ここ沖縄で、作っていきましょう。
私は、自分が障がい者である事、難病者であると言う事で周りから無意識の差別や偏見、制約などを受けて来て、全てに対して自信が無くなっていて、自らの存在を否定して、夢や希望、生きている事の現実さえ、否定してしまうようになっていました。
自分の殻に閉じこもり、どうすれば誰にも、迷惑をかけずに死ねるだろうと、考えていました。
そんなある日、友人が訪ねて来ました。彼女は私を無理やり引っ張り出し、ドライブに誘ってくれました。彼女が私にこう言いました。
『美佐代、昔のあなたはどこにいったの?あんなにオシャレで元気だったのに、障がいがあっても、美佐代らしい生き方出来ないの?』
私は、ず~っと思っていた事を言われ、谷底から落とされる気分でした。彼女は続けてこうも言いました。
『このズボンダサい。美佐代の出来る物で、似合うやつきっとあるから、一緒に探そう!!』と、私は本当に嬉しく、涙がポロポロこぼれ、止まりませんでした。
『ありがとう。そうだね、私が出来るオシャレ、きっといっぱいあるよね。』
その日、昔の私に戻った感覚で、彼女と1日過ごしました。やって出来ない事はない、やらずに諦めない。昔の私の心が、そう言っていました。
そんなある日、自分でどこまで出来るか、自立生活をしてみたいと考えるようになり、親、兄弟に相談しましたが、大反対されました。私はその反対を押し切り、自分の人生一度しかないんだから。後悔しないようにしたいと、勝手に県営団地に申し込み、運よく見事抽選で当たり、自分勝手に家を出、手探り状態で、自立生活を始めました。
その頃は情報も制度も、乏しく、障がい者や、難病を持った人の自立生活は、とても困難なものでした。
そんなある日、自立生活センターイルカ主催の、ピア・カウンセリングに出会い、障がいがあっても、自分らしく生きて行っていいと言う事、一人の人間当たり前に、尊重される、権利があると言う事、さまざまな情報の収集、自己信頼の回復など、沢山の物を学ぶ機会を得ました。ピア・カウンセリング講座を何度も受講し、自立生活センターについても、勉強を重ねていきました。私のように、困っている仲間がたくさんいる現実と、必要性を感じ、自立生活センター希輝々を設立しました。
私と同じ気持ちを持つ仲間、頚椎損傷男性と、脳性麻痺の女性、障がいは無いが同じ志しを持つ男性と私の4人で、どんな重度な障がいがあっても、その人らしく、希望に満ち溢れ、輝き続ける人生を送りたい。という想いで、現実と異なるギャップと、日々奮闘して来ました。
同じ仲間が居たからこそ、自分の障がいや、難病を受け入れ、自分に自信を持てるようになりました。
私は、普通の人が出来ている事を、私もどうすれば出来るか、考えやっていきました。不思議と何でもチャレンジし、方法を考えれば、出来ない事の方が少ないのです。
ある日私は、妊娠しました。待望のおめでたで、主人、家族、友人、沢山の人が喜んでくれました。その喜びもつかの間、ドクターからは、『あなたのSLEの状態の悪さ、光臨資質を持っているという事、突発性減少板紫斑症、多胎妊娠でリスクが大きく、子供が取り出せる周期まで持たせる事は、困難で、今までに前例がありません。母子共に危険な状態です。これは治療の一環として、中絶を進めます。血液検査の結果、血小板が急激減少しているので、今すぐ入院です。』
主人と私は、待合室で待ちながら、『どういうリスクがあるのか聞いてみよう?』でも、私の決意は決まっていました。
絶対に産む、お医者さんから、『血小板が少ない事で、肺や脳、心臓に血栓がとべば、そこで、脳梗塞や、心筋梗塞が起こる可能性が高く、妊娠の周期が進むにつれ、その確率が高くなり、母子共に危険な状態で、最悪な結果も想定されます。実際に私たちドクターのいう事も聞かず、妊娠継続患者さんが居て、残念ながら、その方は亡くなってしまいました。同じ中絶でも、周期の浅い内がリスクが少ないので、早期の中絶が妥当だと思われますがどうしますか?とりあえず、このままお返しするのは命の危険がある為、入院して下さい。』との事でした。
それから、長い闘病生活が始まり、中絶ぎりぎりの週に、最終のケース会議、家族会議で出産に向けての決意と、協力をもとめました。
様々な投薬治療、ドクターや、看護側のサポートもあり、血漿交換などを何度も行い、生死の境を数多く体感し、二ヶ月早くですが、血漿交換しながらの、帝王切開により、無事、男の子『悠希』1200g、『悠愛』1100gで誕生しました。
二ヶ月早く産まれたわが子は、沢山のチューブや、機会に繋がれていました。翌日、子供を見に行った私は、二人の子供達に、『生まれて来てくれて本当にありがとう。こんなに小さく産んでしまって、本当にごめんね。でも、もうママのこれが精一杯だったから、これから先、パパも、四人で頑張って生きて行こうね。』それから、子供達と、私の長い病院生活を経て、22年3月3日無事、退院し、帰宅。お家での生活が始まりました。
病院生活は、五体満足な人が入院するには、完全看護なのですが、鼻をかむことが自分で出来ない私(障がい者)付き添いが必要な状況で、主人が半年以上も仕事を休んで、付き添ってくれました。出産後も、主人が朝から晩まで、私と子供達の介助にあたらなければ、ならない現状でした。
それを支える社会システムや、生活金の補助等など、何も無く、私たちは、途方にくれながらも、子供達が生きているという事を、支えに、日々の生活をしていました。退院してからも、使える社会制度は限られ、私が障がい者、難病者である事、子供が双子という事で、主人はまたもや、休業し、子育てや私の介助に追われる始末、これでは障がい者や、難病者は結婚、出産など出来ない現実があります。
誰もが安心して、暮らしていける社会作りを皆で考えて行きましょう。
勘違いしないように、一つ書かせて下さい。
私は、主人と結婚し、二人の子供にも恵まれ、とても幸せです。
最後に私が常に考えている言葉を添えさせて下さい。
『今、出来る事、今、やらなければならない事、今しか出来ない事』
皆さんは、老後まで、誰の手も借りずに笑顔で、あなたらしい人生を送れる自信がありますか?
第3回目の総会が開催されました。今回も名桜大学、那覇市医師会看護学校の学生ボランティアさんが参加され、スムーズな運営となりました。
支部長は初代の亀島孝子さんから北部在住の金城勝也さんにバトンタッチされ、今後北部が熱くなりそうです。
懇親会では当事者グループと子供グループに分れ境遇の近い同士での懇親となり仲間意識と共感を体験し和やかな雰囲気でした。
制度面など課題は多いのですが、互いに協力していこうとする姿勢がみえてきて将来が楽しみです。
沖縄県障害者の権利条例)(案)の制定を目指す署名について、賛同団体が集まり条例の意義などを話し合いました。
難病になっただけでは、障害手帳はもらえません。各種サービスが使えないのです。難病を持つ人もサービスが受けられるように賛同してもらって署名にご協力願います。
各地のハローワーク主催の連絡会議に参加させてもらっています。障害種別の今雇用状況や各種制度の説明、各関係機関の役割や担当者などの紹介があり、難病については、難病相談・支援センターと連携するようにお願いしています。各施設の役割を把握し、人事異動後の担当者と顔の見える関係作りが目的です。
県大会準決勝。優勝候補が激突。
9回表1アウト1ー3塁。カウント2-2。
バッターは4番。やっと巡ってきた1打逆転のチャンス。
自信のあるストレートで抑えるか、この試合うまくタイミングを取れてないカーブで仕留めるか…。
さぁ、セットポジションから第5球目を…
★クレイアートコーナー:砂川哲也さん(クローン病)
「マーリー 世界一おバカな犬が教えたこと」/2008年作 アメリカ映画
ジョン・グローガンのエッセイが、本国アメリカで200万部を越えるベストセラーにもなった本の映画化。
コメディ映画と思いきや、すっごく良い映画でした。
新婚夫婦が、子育ての予行演習として子犬を飼う事に。
それが、レトリバーのマーリー。
とてもやんちゃなマーリーと、家族の話。
犬を飼うということ。
犬を通して見えてくるもの。
犬も一員の「家族」の形。
犬がいる事で、笑ったり、楽しく明るくなったり、逆に、犬の事で喧嘩したり。
家族に関する色んな事が、この映画に詰まってました。
笑いあり涙あり感動ありの、あったかい映画です。
主役の夫婦には、オーウェン・ウィルソンと、ジェニファー・アニストン。
マーリー役の犬は、22匹が使われました。
★渡久地 優子{進行性骨化性線維異形成症(FOP)}★
・・・カラーセラピーやパワーストーンも好きで、時々、ネットで見てます。
「奇跡の力」
愛って奇跡やで
自分以外の誰かが
自分のことを
想ってくれるんやから
めっちゃ力になる
幸せを考えてくれたり
笑顔をくれたり
支えてくれたり
こんなに沢山いる人の中で
お互いが同じ気持ちになって
お互いを想うんだから…
凄いこと。
いつもありがとう
★竹村 安津季
本日のおやつ
「すいかゼリー」
<材料>ゼリー型4個分)
A. 粉ゼラチン 大さじ1
水 大さじ3
すいか(皮を除く)350g
レモン汁 1/2個分
コンデンスミルク 60ml
<作り方>
1. ふやかしておいた【A】を電子レンジで30秒加熱して溶かす。
2. 種を取り除き適当な大きさに切ったすいかとレモン汁、コンデンスミルクをミキサーにかけ、なめらかにする。
3. 「1」に「2」を加えながら、よく混ぜて、水で濡らしておいたゼリー型に均等に流し入れ冷蔵庫でよく冷やし固める。
4. 器に盛りつけ
さあ、召し上がれ~
レシピ紹介:S.Mさん{全身エリマトーデス(SLE)女性}
そろそろ皆さまのお手元にも「特定疾患受給者症更新手続きの案内」が届いている頃ですよね。今年度もお忘れなく手続して下さいね。
気付けば、当情報誌も今回で99号です。次号で100号! アンビシャスも8年超続いているんですね。そして原稿編集に携わる皆さま、毎号ありがとうございます。今後とも宜しくお付き合い下さいm(_ _)m
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