最終更新日:2010年09月30日
金城 勝也さん
筋萎縮性側索硬化症(ALS)
子ども達に言ってきた。
僕は負けても勝也 負けても、辛いことがあっても くじけず頑張る勝也だ!
私は金城勝也、現在66才。
ALSという病気になり人工呼吸器を使い、在宅で支援を受けながら生活しています。食事は胃ロウから経管栄養食。気管切開をしているので声は出せず、コミュニケーションは瞬きや「伝の心」と言うパソコンで伝えています。主な娯楽はテレビを視聴する事です。この病気は原因不明で進行性で治療法もまだ見つかっていないやっかいな病気です。早く有効な治療法が見つかって欲しいです。
(1)退職
2004年3月 元気で胸躍らせ小学校校長退職
(2)発祥2004年8月~2005年6月 ・体調不良で病院通いが始まった。
・検査入院、通院、自宅療養。
・検査、検診結果は異常なし。
・主な症状(息切れ、体重激変35kg)
(3)沖縄県立中部病院に入院
2005年6月 病気の診断名は「ALS」(筋萎縮性側索硬化症)
(4)人工呼吸器装着を選択
2005年7月 人工呼吸器装着
9月 胃ロウ造設
(5)退院し在宅介護に入る。
2005年10月~現在に至る。
(1)子ども達や孫達の成長を見守ることができた。子ども2人結婚。もうすぐ3人目の孫が生まれます。楽しみは孫に会う事です。
(2)テレビでスポーツ観戦を楽しんだ。興南高校の甲子園での大活躍も、高校総体、ゴルフ、サッカーも楽しみました。歓声はなくとも、喜びでエネルギーが満ちてきます。
(3)念願の本を出版した。
タイトルは「負けても勝也ALSを生きる」子ども達に「命と健康、助け合う大切さを知らせたい」と思い執筆しました。その後、多くの皆さんから心温まる感想文や激励文をいただきました。
(4)2010年日本ALS協会沖縄県支部長を引き受けました。周りの支えを頂きながら 無事任期を務めたいと願っています。
沢山の皆さんから力強い支えを頂いている事は、生きる大きなエネルギーになり感謝しています。又、アンビシャスの機関誌で私と異なった難病の方を知り、前向きな生き方に勇気を頂いています。お互いに支え合い、生きる事ができたらと思います。闘病で生きることは大変な事ですが、大きな喜びも!。
前向きに!「僕は負けても勝也」
お笑い米軍基地で有名なまぁーちゃんさんは、会報誌音声版の吹き替え担当でお世話になっていますが今回100号の締めに元気で笑いのある沖縄芸人さんの力のもと千五百部の会報誌を無事送る事ができました。多忙でお忙しいなか謙虚でやさしく難病患者の方と交流していただき元気な笑いあるお力をもらいました。演芸集団FEC沖縄お笑い劇団のみなさんありがとうございます。
難病患者等が居宅において日常生活を営むことができるよう、ホームヘルパーを派遣して身体の介護、家事等の日常生活を営むのに必要なサービスを供与し、もって難病患者等の福祉の増進を図る目的。
サービスの内容
(1)身体の介護に関すること。
(2)家事に関すること。
(3)生活等に関する相談又は助言。
介護保険や自立支援をうけられないような狭間の方々へのサービスなので対象となる方はどんどん相談してみましょう。
那覇市障がい福祉課島袋、座安。電話(862-2375)
アジア太平洋地区のスタッフのボランティアが作った千羽鶴は、4歳のはやと君に進呈。アンパンマンが大好きで音やキラキラしたしぐさは本当にすごい力がありました。カラフルな鶴を見ては手で触れたりメッセージカード見てはご家族のみなさんも喜んでました。愛らしく、愛しい、心がキラキラして美しい元気で明るいはやと君へ社員様の思いお届けいたしました。
8月1日から、会報誌98号で紹介した上原望さんが新たにアンビシャススタッフとして参加することになりました。相談や支援してくれる方々へのおもてなしなど元メークアップアーティストとしての能力を活かしてもらいたいです。難病の暗いイメージを希望の持てるようなセンターにメークアップして気軽に立ち寄れる雰囲気にしたいですね。
第8フレーム。ここでストライクが取れるかどうかで、勝負の行方は大きく変わる。
ここへきてオイルの状態が急に変わった。7枚目からではポケットに入らなくなった。
10番ピンが残るということは、もう少し厚めに入れたいから、ここは思い切って4枚目を狙って…。
★クレイアートコーナー:砂川哲也さん(クローン病)
「グラン・トリノ」/2008年作 アメリカ映画
監督・製作・主演をクリント・イーストウッド。
物語は、実子や友達、近隣とも距離を置き、誰にも心を開こうとしない頑固な老人ウォルトが、大切にしている車「グラン・トリノ」を盗まれそうになる。
その車を盗もうとした隣の少年タオは、ギャングに、そそのかされて遣った事だった。
そのタオとの'交流'から、ウォルトの変化を生む。
人は、人との出会いで変われるものであり、暖かい作品になっています。
撮影当時、78歳くらいであろうイーストウッド。
若き日のガンマンや、刑事役とは異なり、渋い頑固ジジィを、カッコ良くも、まるでリアルかのように演じて見れる。
「この役に、惹かれた」と言い、また「俳優業最後の仕事」と明言した。
★渡久地 優子{進行性骨化性線維異形成症(FOP)}★
・・・カラーセラピーやパワーストーンも好きで、時々、ネットで見てます。
「時」
道のありがたみを
知っているものは
道のないところを
歩いたものだけだ。
ぐずぐずしている間に
人生は一気に過ぎ去って行くb
過去も未来も現在も
いつか、全てが懐かしい
★竹村 安津季
前月発行の記念誌100号では、年齢・職種の異なる方へのアンケートや、これまでに執筆していただいた方々のその後、当紙が出来る過程、その他を記載していましたが、皆さまの感想が気になる所です。私は無事に編集を終える事が出来ホッと一安心でした。
今後もより有益な情報発信のお手伝いが出来るよう「日々精進」の気持ちを持ち続けるよう頑張ります!皆さまも応援宜しくお願いしますm(_ _)m。
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