最終更新日:2012年03月01日
松藤 由都子(マツフジ ユトコ)さん
パーキンソン病
平成7年にパーキンソン病と診断されてから17年になりました。保母の仕事をしている頃から、腰痛に悩まされ、又、あまりに体がきついので仕事を辞め、ダラダラと家で過ごしていました。
気晴らしに故郷のここ八重山に帰省しました。両親や弟姉妹の勧めもあって、県立八重山病院を受診したところ「パーキンソン病」診断されました。初めて聴く病名で治らないと聴き、あまりのショックで断崖絶壁から落とされたような気持ちになり、精神的にも肉体的にも疲れる毎日でした。
パーキンソン病と診断されてからしばらくは、主人の勧めもあり、本土は寒いので6ヶ月は暖かい石垣で過ごし、残り6ヶ月は暖かくなった本土に帰るということを繰り返していました。そんなとき、妹が石垣での主人の仕事を見つけてくれ、また、両親も「同居してもいいよ」といってくれ、長女も嫁ぎ残った2人の娘達も学校を卒業して、それぞれ独立していったので、思いきってここ石垣に引っ越して来ました。
そして私は両親や姉妹、又、主人の助けを借り病院へ通い、一生懸命リハビリに励んだりしてきました。しかし両親も高齢になり、いつまでも私の面倒をみるのも大変と感じ、これ以上負担をかけないようにと思いきって公団を応募したところ、運良く入居が決まり主人との2人での生活がスタートしました。
主人が仕事の間は訪問看護を利用していましたが、症状が進むにつれ1日2〜3回の訪問看護では対応できなくなり、小規模多機能ホームへ移り週6日通っています。週1日は病院受診日でその日を、主人は会社の理解もあり休みを取っています。
主人の献身的な介護には頭が下がり、感謝の気持ちで一杯です。炊事洗濯、また、私の身の回りの事など、主人には妻らしいこと何一つしてやれない事が、私にはとっても残念です。夜遅く仕事を終え施設に迎えに来てくれます。たまにはその足で買い物にも連れて行ってくれます。
団地に来てから次女、三女と嫁ぎ、また、孫も増えました。孫と電話で話をしたり、写真を見ると頑張ろうという力が湧いてきます。幸福な気持ちになります。
以前は薬の副作用で幻覚や被害妄想的なことを言ったりして周りの人達に、迷惑をかけたりしていましたが、時間をかけて薬の調整をした結果、今は、あまり副作用は出なくなりました。
何の役にもたたず皆に助けられてばかりだった私でしたが、主人や神経難病の家族の人達と1年前に友の会を創り、すこしでも他の人達の役にたてればと思うようになりました。
主人は何時でも、体は病気でも、心まで病気にならないでといっています。皆のためにも「明るく、明るく毎日を過ごそう」と思います。
初めて妻からパーキンソン病と聞かされ、それが治らない病気と言われたとき、突然だったし、まだその時はよく動いていたので、あまり深刻に受け止めずにいました。症状が進むにつれ、だんだんと動きが悪くなってきたのですが、病気のことが理解できず「早くしなさい」とか、イライラして辛く当たってしまいました。
やがて少しずつですが、病気のことが判るようになり、介護しているうちに「これは、大変な病気なんだと感じるようになり、一番信頼し、また頼るべき私が今までイライラして、辛く当たった時の妻の気持ちを考えるととても後悔しました。二度と後悔しないために今、私にできる事をやろうと思っています。
そんな私の思いが妻に伝わったのか、だんだんと妻の表情も少しですが明るくなってきたようです。仕事が終わって施設に迎えに行き、ニコニコしながら出てくる妻を見たとき嬉しくなります。
一生この病気と付き合っていかなければならない妻、その妻と一生生活を伴にしていく私。
どうせ一生生活を伴にするなら、明るく楽しい毎日にしたほうがいいと思うと、介護も苦になりません。これから先も仲良く暮らしていきたいと思います。
前月12月17日に琉球大学付属病院の金城福則先生のご協力により医療相談会を開催しました。普段は時間も取れなくて詳しく聞けなかった事を聞けて良かったとの感想もあり好評でした。感謝。
その後、潰瘍性大腸炎の女性だけで5名が交流会を開催し、涙と笑いで時間があっという間に過ぎ去り、別れ惜しく次回を楽しみにしています。
7日、新しい公共/円卓会議のパネリストとして参加しました。
8日、ソーシャルワーカー協会からお誘いがあり、HIV/AIDSソーシャルワーク研修会に参加しました。
14日、「今、求められる医療者の在り方/医療者/患者関係と多職種の連携」に参加。素敵な方々と出会う事ができました。
18日、神経難病交流会(南部福祉保健所主催)PT(理学療法)、ST(言語聴覚療法)講演交流会
20日、ALS定例会交流会(自立支援法について)
28日、石垣に行く機会が少なくて申し訳ない気持ちがあるなか、機会がとれて急なイベントにも関わらず多くの方々が参加してくれました。台風時の在宅での電源確保については、病院に空きベッドが確保できることから、すぐに準備するまでにはならないようです。医療介護連携システム「えんぽーと」では、患者さんを中心に医師などの各支援者が情報共有することで、円滑な在宅療養が可能になると説明しました。本島や県外の医師などとの連携も可能になるので、沖縄での医療体制における質の向上につながると思います。
28日午後、潰瘍性大腸炎とクローン病をあわせた総称を炎症性腸疾患(IBD)といいますが、同じ疾患を抱えた方同士の集まりが欲しいとの要望で、保健所と連携して自助グループにすることで、各自が連絡しながら情報交換することで、自分も助かるし、他の方にも参考になる。来月から毎月一回集まるようになったので、これからが楽しみです。
貴方がいるだけで助かる人がいる。
難病の詳しい説明・第二の意見 聞いて納得セカンドオピニオン
●膠原病専門医 比嘉 啓 先生(首里城下町クリニック)
●日時:平成24年3月26日(月)PM 1時半~3時半
●応募締切:3月16日まで、定員4名、先着順)無料/1人30分
●場所/お申込:沖縄県難病相談・支援センター 認定NPO法人アンビシャス(主催) TEL.098-951-0567
大浜第一病院 訪問リハビリセンターあめくの杜 作業療法士 宇地原友里恵
年齢やYahr(Yahr=ヤールは、パーキンソン病の重症度分類の意味です。)の重症度によって利用できる制度が異なり、Yahr㈵〜㈽の人は一般の人の制度と同じで、年齢が75歳以上になると後期高齢者医療保険制度を利用することになります。Yahr㈽以上では国の難病対策の1つである特定疾患医療助成制度の対象となります。申請が必要ですが、対象となれば医療費の助成が受けられます。介護保険のサービスはYahr分類に関係なく要支援、要介護者に認定されれば受ける事が可能です。パーキンソン病は介護保険の特定疾病に指定されており、第2号非保険者(40歳以上65歳未満)であっても介護認定を受ければ利用可能です。40歳未満の場合は身体障害者福祉法によるサービスを受けることになります。また、身体障害者福祉法による身体障害者手帳の交付対象となれば、医療費の助成など様々な支援が受けられます(等級により差があります)。
※それぞれの内容は各自治体によって若干異なります。
<参考文献・サイト>図説:パーキンソン病の理解とリハビリテーション 著:山永裕明、野尻晋一
先日中部福祉保健所で行われた交流会に娘が参加した。介護疲れで眠い目をこすりながらの参加であった。
帰ってきて、会の内容や様子を笑顔ではなしてくれた。久しぶりに見る娘の笑顔である。
患者家族会の役割はいろいろあると思うが、私にとっては娘が笑顔を取り戻す場となっていることである。
会には同じく母親を介護している同級生もいたとのこと。
患者・家族会の活動がますます充実することを期待する。
私も忘れかけている笑顔を取り戻さなくちゃ。
★諸喜田 美智代(ALS)
玉泉洞の「おきなわワールド レストラン王国」
バイキングになっていて、80種類以上が食べ放題。
キッズルームやお座敷までもあり、バリアフリー。
ランチタイムは11 : 00~16 : 00
1,260円と、お手頃ですね。
個室もあるそうなので、利用の際は問い合わせを。
電話:098-949-1334
★渡久地 優子さん(進行性骨化性線維異形症(FOP)
「単純…」
疲れたときにあなたの
「大丈夫?」でホッとなって
「がんばってるね」でやる気がでる
★竹村 安津季
「デルス・ウザーラ」/1978年 旧ソ連・日本合作
ソ連作品でありながら、監督は「黒澤明」です。
長年、企画していた作品を当時のソ連が全面的に協力をし、完成に至り、アカデミー外国語映画賞を受賞しています。
ロシア人探検家の実話を基に、寒さ厳しい自然の中で、一人で生活する先住民の猟師と出会ったソ連の軍人。
そんな二人の、交流を描いています。
また、NHKBSで3月16日、13時から放送が予定されています。
★渡久地 優子{進行性骨化性線維異形成症(FOP)}★
・・・カラーセラピーやパワーストーンも好きで、時々、ネットで見てます。
今年もインフルエンザが流行しているようですね。
うがい・手洗い、そしてマスクの装着を習慣にし、予防と拡大の抑制を心掛けたいものです。
3月は年度末で忙しくなる時期です。
体調管理には十分気を付けましょう。
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