最終更新日:2014年08月01日
上原 秀保(うえはら ひでやす)さん
パーキンソン病
発症は沖縄電力を退職して2年、これから余暇を楽しもうとしていた矢先の62才の頃でした。
体が思うように動かなくなり、近くの総合病院で診てもらいました。当初は病名が分からず、脳のMRI検査も受けましたが原因不明。薬をもらうだけの生活を2年程続けていました。
そのような頃、知人にパーキンソン病を患っている人がいてその症状が自分の状態によく似ていた為、主治医に「もしかして私はパーキンソン病ではないのか」と尋ねたところ「それでは検査してみよう」とパーキンソン病の検査をしました。
歩き方が摺り足気味なこともあって「どうやらパーキンソン病の様だ」との判断が出て、それからパーキンソン病の治療が始まりました。治療といってもその病院では薬を出すだけで、リハビリも無く対処療法だけでした。
若い頃より空手で体を鍛えていて、健康には人一倍自身があっただけに自分の置かれた状況に大きなショックを受けました。
また丁度同じ頃、家庭では長男が別の病気でいろいろ手が掛る様になり、大黒柱であるべき自分の体が思うように動かないことも重なりふさぎ込む毎日でした。発症から2年の間は、毎日生きる望みも夢もないまま家に閉じこもり、病院に1ヶ月分の薬を貰いに行く以外ほとんど外へは出ませんでした。
この様な生活から抜け出す転機となったのは「パーキンソン病友の会」が主催するシンポジウムがある事を知り、まずは聞くだけでもと妻や次男の勧めに応じ出かけた日からです。
専門の先生の病気に関する専門知識に触れ、又、同じ患者さんの話を聞き大変感激しました。私以外に同じような仲間が多くいることを知り、初めて接する私にみんな親切に声をかけてくれました。また同じ境遇でも元気に過ごしている事を知り、大変勇気付けられその場で、すぐ友の会に入会しました。
友の会に入り毎月参加している内、仲間から専門病院としてコザクリニックを薦められましたが、当初は那覇から遠い事と、慣れている病院を変えることに抵抗があり決めかねていました。
しかし次男の強い説得を受けコザクリニックを訪問、そこで初めて適切な治療を始めました。ここでは診断や薬の処方のほか、日常生活の為のリハビリを行っていて、リハビリを開始してから少しずつではありましたが体の動きが良くなった事を実感、もっと早く来れば良かったと思いました。
通院当初は次男が送り迎えをしていたのですが、その内、同じ友の会のメンバーの運転で仲間4名と通うようになりました。気のおける仲間と一緒なので車内でも楽しく、又リハビリの効果も出てきて、週一回の通院が待ち遠しく感じました。
それからこの病気の特徴の一つである発音が不明瞭で声が小さくなりがちな症状の改善の為、「カラオケ・カルチャースクール」へ参加、一般の人に混じり友の会の仲間と2名でカラオケのレッスンを始めました。9か月程でしたが好きな歌を大きな声で歌う事でストレス発散にもなり、その上発声の練習にもなる正に一石二鳥、効果は絶大でおかげさまで声も大きくなりました。
最近は病状が進み、以前より声は小さくなりましたが、でもかなり進行は遅らせたと思います。今でもカラオケは好きで機会があれば歌っています。
又、若いころから囲碁も好きで友の会の有志を集め囲碁大会をしたり、コザクリニックの同志と対局したり、デイサービスセンターでパソコンの囲碁ソフトで頭の体操を兼ね囲碁を楽しんでいます。
このように「友の会」に入ってから私の生活は180度変わり、以前のように落ち込むことは無く前向きに生活を楽しめるようになりました。
入会以来「友の会」は私の心の拠り所として大きな存在となり、いつの間にか会の中心メンバーとして夫婦ともども活動していました。
まだ「友の会」が立ち上がったばかりで事務所もなく、会報「みのり」作成の為、会員の自宅でいろいろ苦労をしながら仕上げたこと、交流会時お互い声が小さい為、会長や役員の話を会員みんなに聞いてもらおうと、アンプ代わりにマイクが使えるラジカセを購入したこと。事務所も無く、役員会を近くのファーストフード店やそれぞれの自宅を持ち回りしたこと、念願の事務所を首里の県民総合福祉センター内に持てたこと、夫婦ともども沖縄支部の役員として全国大会に何度か参加したこと等、思い出せば「友の会」と共に歩み、「友の会」と共に成長したように思います。
あの当時のメンバーも一人一人と欠けてきて寂しい思いもありますが、それ以上に新しい会員が増え、活動内容も充実してきたことに長年関わってきた1人として誇らしく、大変うれしく思います。
今までこの会を立ち上げ、支えてきた先輩方、そしてその後を継いで更に発展させている現在の会長以下、役員の皆様の心血を注いだ結果だと感謝しています。
私も家内と共に会の活動に参加させて頂き、心の張りが出来、何事にも前向きに取り組むことができました。現在は以前と比べ思うように動くことはできませんが、それでも体の動く間は、友の会に参加し、みなさんの元気を分けてもらおうと思います。
又、この間いかなる時も全面的に支えてくれた妻にも感謝しています。口ではなかなか言えないのでこの紙面を借り気持ちを伝えたいと思います。
この病気になったからこそ多くの仲間との素晴らしい出会いがありました。「病気になった事は不幸ではない、前向きにありのままの姿で自分らしく生きる!」この思いでこれからも生きてまいります。
上原副支部長は友の会と会員を思う気持ちが人一倍強く、私が初めて友の会に参加した時「一緒に頑張ろう」と家族のように励まして頂いた。あの時の温かい一言が私の励みとなり今日があります。この10年間、副支部長として私を含め歴代支部長を陰で支えて頂き、感謝の念でいっぱいです。いつまでもお元気でこれからも後輩たちの指導をよろしくお願いします。
上原 秀保(うえはら ひでやす)さん
昭和14年 糸満市生まれ、
長年「パーキンソン病友の会」の副支部長として友の会活動に妻と共に汗を流す。
趣味:囲碁、クロスワードパズル、カラオケ
日課:コザクリニックでのリハビリ、デイサービスゆい でのレクレーションと毎日楽しく過ごしています。
6月13日、琉球大学医学部の学生6名がアンビシャスに来所されました。
難病患者の就労実態について調査をしており、その一環としてアンビシャスを訪問、難病者の就労について相談員の照喜名へ熱心に質問、現状の把握に努めていました。
このような若い方々が難病を含めた障がい者雇用の状況に深い関心を持ち、近い将来、実社会に出て私たちの良き理解者となり、力強い協力者となる事を期待しています。
6月2日、沖縄国際婦人クラブ(OIWC)様より意思伝達装置の贈呈を受けました。
OIWC様は創立61年と長い間、地域の福祉のため活動を継続している団体で日本とアメリカのご婦人方が協力し合ってバーザー等の収益を県内の福祉団体へ寄付を行っています。
支援者様の紹介を受け、難病により声を失った方が、コミュニケーションを図るための機器としてをOIWC様に申請したところ、幸いにも審査に通り、他4団体とともに6月2日キャンプバトラー内での贈呈式となりました。
贈呈された「トーキングエイドfor ipad」は貸出機として使用、機器選択の幅が広がり利用者の状況に応じた購入に大きく寄与すると思います。
OIWCのメンバーのみな様、本当にありがとうございます。
これまで照喜名1名で相談対応をしてきましたが、出張等で相談に応じられない事も度々あり大きな課題でした。
今年度(2015年1月)からの難病法施行に伴う難病枠の拡大を前に相談者の増加も見込まれ、体制の強化が急務として、6月中旬より相談員1名を増員しました。今後更に充実した相談体制を整え、相談者の要望に応えられるよう努力して参ります。
対象者が少なく同じ悩みを話せる機会が少ない疾患の一つ「後縦靭帯骨化症」の交流会が中部に続き那覇でも開催されました。
きっかけは那覇市保健所で開かれた医療講演・相談会で意気投合した患者同士で気楽なおしゃべりの場が欲しいとの声からアンビシャスの事務所を提供して実現。現在は数人のメンバーでの「ゆんたく会」ではあるが、那覇・南部の交流会立上を計画中、始めは小さく無理なく活動して、互いに助け合い、悩める患者さんにとって役立つ会になることでしょう。
臨床心理士 鎌田 依里(かまだ えり)
どのような方でも難病患者になると、何らかのサポートを受けて生活するようになります。「サポート」を「支援」と捉えるか「援助」と捉えるかは人により様々な解釈がありますが、私たちが日々行っているサポートは,?身体のサポートと?心のサポートであると考えられます。 継続的にサポートを受ける生活をしていると,必要以上に依存的になったり要求がエスカレートしたり傲慢になったりして,結果として患者自身が社会から疎外されていくことになる危険性があります。
それを防ぐためにも,ピア(患者相互の)サポートでも健常者がサポートをするときも大切なことは,患者の自立性を損なわずに,気持ちをくみ取って接することなのです。(1)身体のサポート(例えば、着替え、ベッドから起き上がる手助け)するときにも,患者自身があと少しの工夫があればできるようにし自分でやらせ、できたことを一緒に喜ぶことは大切です。(2)心のサポートをするときにも,「1.患者自身が意識しているニーズ」だけに応えるだけではなく,「2.患者自身が意識していないニーズ」も汲み取ってサポートすることが、患者に満足感を与え、患者の自己肯定感も高めることにつながるのです。
例えば眠りにつくまで添い寝をしてほしいというニーズに対しては、実際に添い寝をしなくても、一人が寂しいという気持ちや不安になっているという想いに寄り添った発言(「誰かが一緒にいると安心するね」「添い寝をしてあげたい気持ちはあるけど,今は忙しいから難しいの」)をすることで患者の気持ちが落ち着いて,その後穏やかに眠れることもあります。両方のニーズに応えるようにすることで、信頼関係と自立関係を維持できるのです。
著:照喜名通
母親が買ってくれた絵本シリーズの中でも「みにくいあひるの子」が印象的で今でも絵本の場面をはっきり覚えています。今思うと貧乏の中、豪華な絵本を与えてくれた母親に感謝しています。
ご存じ、あひるの子供にまじり育てられたが、他のあひるの子とは容姿が違っていて「醜い」とまで言われ、いじめられて悲しい思いをする。しかし、成長していくと実は綺麗で優雅な白鳥だったという物語です。
作者のアンデルセンも同じような体験をしたのかもしれません。昔から世界中でも、周りの人と同じであることが普通であり、変わっていることを受け入れることが難しいのでしょう。
難病や障害を持っていたり、肌の色が違うとか、子供のいじめ問題にもつながります。
普通と違うことで、苦しみ悲しい思いをするのですが、私の解釈としては、その苦しみや悲しむことが他人への配慮であったり、苦難を乗り越えいく過程が成長であると考えます。心や精神が成長して優雅な感性と美しさを身に着けることになることを、その物語から学べます。
難しい自己啓発の本を読んだりするよりも、絵本が判りやすいので、もう一度読んでみたいし、孫がもう少し大きくなってきたら、色んな絵本を与えたいと思っています。
慶応義塾大学看護医療学部 教授 加藤 眞三著
健康と病気の境を決めるのが難しいのと同様に、検査の異常値と正常値の境界を決めることも意外に難しい。最近、人間ドック学会による検査の基準値が発表された。従来の値と大きく異なるため、どっちが正しいと話題になっている。しかし、これはどちらも正しい方法にのっとっている。
肝機能検査として有名なASTやALTの基準値は、どうやって決めるのだろう。健康な人を対象に検査の値の分布をとり、95%の人が入る範囲を基準値とする。検診やドックを受けた人から国際的な取り決めにより明らかに病気がある人を除外し、その分布から決めたのが、今回人間ドック学会から発表された基準値だ。
この方法では、健康な人でも5%は基準値からはずれる。いくつもの検査を同時に行うと、全ての結果が基準値内の人はほとんどいなくなる。健康な人を対象にしても、4つの検査項目であれば81%、13の検査では51%、90の検査では1%の人しか、全ての検査項目が基準値内にならない。
95%の範囲は、とりあえずそこで切ろうという取り決めでしかない。そこから外れる5%の人も健康なのだ。このことを理解すれば、人間ドックなどで30項目以上の検査項目を受け、一つや二つの検査が基準値から少し外れていても、余り心配しなくてよいことが分かる。検診の結果は、便宜的にもうけた参考の値からはずれただけなのだ。
このように95%の範囲で基準値とする方法が適切でない検査もある。例えば、血液中の脂質や血圧などである。不健康な食生活と運動不足により市民全体の血清総コレステロール値やLDL-コレステロールが増加し、動脈硬化による病気が増えてきた。そんな中で、「赤信号みんなで渡れば怖くない」とばかりに、検査結果の分布から基準値を上げてしまうと、さらに多くの人が病気になってしまう。
このような検査項目では、検査値が例えば200から210までなどと、ある範囲の人を一つのグループとし、5年後や10年後に心臓死や脳卒中の発生率や死亡率を集計し、グループ毎で比較し、発生率や死亡率が急に上がらない範囲で基準値を決める。将来を予測し病気を予防するための基準値作成だ。日本動脈硬化学会や高血圧学会などの基準値は、この方法による。この方法は大変な時間と労力と費用を必要とする。また、どこで線を引くかにより、患者数が大きく変化するが、学会の判断により決められてしまう。
検査を受けるとき、基準値をきめる背景と方法を知っておけば、基準値から少しだけ外れた検査値に、一喜一憂する必要はない。基準値を参考に自分がどのように活用するかが大切なのだから。
患者の力: 患者学で見つけた医療の新しい姿
出版社: 春秋社
「患者には力がある!」 毎日を健康に生きるために、そのためにも、真の患者中心の医療を実現するために、いま必要なこととは。
大型で非常に強い台風8号を自宅で乗り切った。最大風速50メートル、最大瞬間風速70メートルで、今まで出たことがない暴風・洪水・高潮の特別警報が出された。
娘を含め周りから、病院へ非難入院を勧められたが、私はそれを断った。それは下記の理由からである。
その1、夫の兄弟が暴風対策を万全にしてくれたこと。
私の部屋のガラスが割れないように、鉄製の窓枠をとりつけてくれた。
その2、停電に備えてアンビシャスの紹介で発電機が確保できたこと。バッテリーの充電器も準備している事。
その3、電気関係に詳しい夫の兄が、家に泊まりこんでくれたこと。
その4、停電時の対応について、学習会を積み重ねてきたこと。
去年、保健師の計画で呼吸器管理会社の担当者を交え、ヘルパーを含めて何度も学習会を実施していた。
今回の台風はアメリカでもニュースになっていたようで、テキサスに住んでいる娘からも電話があった。風は心配したほど強くはなくホッとしたが、雨が凄かった。各地で冠水の被害が続出した。幸い私の家はなんの被害もなく、停電も最長1時間だけで済んだ。
日頃はのんきで雑な娘が停電時冷静に対応しているのが頼もしかった。台風が去った日の朝、セミの大合唱で目が覚めた。あのセミ達はどこに避難していたのでしょうか? 自宅?(笑)
平成26年6月29日(日) 平成26年度膠原病友の会沖縄県支部総会・医療講演会およびグループ交流会を終えました!!
今年度も無事総会を終え、議題に対して参加者多数の賛成により、採択されました。本年度も膠原病友の会沖縄県支部どうぞ宜しくお願い致します。
総会後、医療講演会「リウマチ・膠原病お薬の話し~ステロイド免疫抑制剤について~」というテーマで、首里城下町クリニック比嘉啓先生のご講演がありました。それから、今回初めての試みで3名の専門医の先生方へグループに分かれてもらい、グループ座談会を行いました。日頃患者が抱えている悩みや、ドクターからの患者さんへのアドバイス等、大変貴重な時間を過ごしました。
患者とドクターと行政の繋がりを感じる事ができ、また、このような機会が増える事を期待しています♪
(ご協力くださった専門医:首里城下町クリニック 比嘉啓先生、まつおTCクリニック院長 真栄城修二先生、豊見城中央病院 小禄雅人先生)
諸喜田さんのエッセイが毎回楽しみです。
最近はここを始めに読んでから頭に戻り、最後にまたエッセイを読み直して会報誌を閉じます。 諸喜田さんのエッセイは月イチの私のサプリです。
笑えるネタを日々丁寧に探していこう! 「諸喜田さん、誕生日おめでとうございます。これからもエッセイ楽しみにしています!」
〈ファンのジュウミー〉
言霊という言葉を聞いた事のある方も、多いと思います。
プラスの言葉もマイナスの言葉もありますが、あるカビの生え方の実験で、瓶に同じ食べ物をいれ「ありがとう」と「ばかやろう」と「無視」と書いた紙が、どう変わるかというもの。 結果は、全てに勿論カビは生えますが、「ばかやろう」と「無視」のカビの生え方が激しかったようです。
言葉遣いにも気をつけたいものですね。
★渡久地 優子{進行性骨化性線維異形成症(FOP)}★
「笑えるように」
毎日訪れる、今日という日…
「昨日に戻りたい」と思うよりも
「明日が待ち遠しい」と思える
そんな人生を送りたい。
原田 安津季
「レ・ミゼラブル」
(内容) 囚人のジャン・バルジャンが、窃盗の罪で19年間、重労働を課された後、保釈中に、司教の家に泊めて貰うが、盗みをしてしまう。しかし、司教の慈悲で、変わろうと決め…。
ミュージカルで有名な「レ・ミゼラブル」は、映画化は3度されており、1995年のフランス版、1998年のアメリカ版、そして2012年の米国作のミュージカル版。2012年の作品は、賛否のあるものでしたが、私は断然、1998年のアメリカ版が好きです。
リーアム・ニーソン、ジェフリー・ラッシュ、ユマ・サーマン、クレア・デインズ
十分に見ごたえのある作品。3作を見比べてみるのも、楽しめるでしょう。
★渡久地 優子{進行性骨化性線維異形成症(FOP)}★
・・・カラーセラピーやパワーストーンも好きで、時々、ネットで見てます。
長い梅雨が明けたと思ったら、いきなりの大型台風、みな様の所は大丈夫でしたか。
私事になりますが、私の方は大きな被害も無く無事だったのですが、長時間の停電、改めて電気の有り難さが身に染みました。
人工呼吸器利用の在宅のみな様はさぞ心細かったこととお察し致します。
この様な時、以前会報誌で連載の「台風停電時緊急時電源確保」をもう一度読み返すのもいいかもしれません。お手元にない場合アンビシャスホームページでまとめてご覧になれます。(トップページから難病とは→会報誌特集→緊急時電源確保)
どうしても取り出せない方はアンビシャス事務局までご一報ください。
Copyright©2002 NPO Corporation Ambitious. All Rights Reserved.