最終更新日:2014年11月01日
佐藤 基繕(さとう もとつぐ)さん
後縦靭帯骨化症
「あなたは、国が指定している難病、後縦靭帯骨化症です」
医者に言われた時は、数秒の間でしたが頭の中が真っ白になりました。涙が出そうになるのを懸命にこらえていました。
「まさか自分が」とか「何で自分が」と様々な言葉が頭を駆けめぐり、先生に「原因は何ですか?」・「肉の食べ過ぎですか?」など、次から次へと訳の判らない言葉をまくし立てて話しをしている私に向かって「原因が判らないから難病なんですよ」と先生の一言。納得する、しないにかかわらず病院を後にした事を覚えています。
会社にて病気の話をした時に社長が「大きい病院でもう一度検査を受けてみぃ」と言い出し、大阪まで行き再度入院。検査を受けましたが結果に変わりがあるはずもなく、一生後縦靭帯骨化症とつきあっていかなければならない自分がいる事を知らされました。
発病したのは平成15年6月3日。首に激痛が走り、仕事から何とか自宅に帰った途端に身体を動かす事が出来なくなりました。首の後ろから背中に“大きな杭”を打ち込まれた感じの激しい痛みで全く身動きがとれないまま3ヶ月間、寝たきりの状態になりました。
動けなくなった当初は「頸椎ヘルニア?」と自己判断。「接骨院に1~2週間も通ったら治るさ」程度の軽い気持ちから自宅療養。毎日、接骨院に通いました。
激痛が首をおそった時も、なまじ意識がしっかりしているだけに「救急車を呼ぶのは恥ずかしい」とか「ヘルニアなら病院に行っても手術をする必要はない。切らなくても治せる」「西洋医学に頼るのではなく、東洋医学に頼もう」などと勝手な思い込みからの行動でした。
結果として自宅で3ヶ月もの間寝たきりの生活を余儀なくされ「手のしびれはヘルニアから来ている圧迫によるもの、じきに治る」との接骨院の先生の言葉に励まされ、手にしびれは残ったものの何とか日々の生活が出来る状態になりました。
そして、それから3年後に再び首に激痛を覚え「今度は西洋医学でレントゲンも含めて、ちゃんと診てもらおう」との思いで出張先の島根県にて病院に行き、レントゲンを撮ってもらったところ、写真を見ている先生が「頸椎ヘルニアよりもここの白い部分が気になる。CTを受けた方がいい」との事で、別の病院を紹介して頂きました。そしてCTを受けて先生が口にした言葉が冒頭の「あなたは国が指定している難病、後縦靭帯骨化症です。」だったのです。
自分としてはとっても安易に考えていただけにショックも大きく、頭の中が真っ白になり、涙が出そうになりました。
未だに手術は受けていません。発症時みたいに動けない状態でしたら、有無を言わずに手術を受ける決断が出来たでしょうが、十年以上も今の状態で一進一退で過ごしてきているので「悪化する様なら手術に踏み切る」と考え、色々と情報を集めながら日常生活や手術決断の基準等に思いを巡らせています。
後縦靭帯骨化症。 国指定の難病。
今の自分の現状を真摯に受け、前向きに生きていく決心をした時、「この病気になったからこそ一日一日を大切にする事が出来るようになった」とか「人の痛みが前よりも強く判るようになった」など他人や時間を大切にする気持ちがレベルアップ。
自分自身を大切に、そしてそれ以上に「他人を大切に」・「自分に関わっている全てが幸福になるような人になりたい」をモットーとして、これからも日々を大切に生きてゆこうと考えています。
「同じ悩みを持っている人達と少しでも良い情報の交換ができたら」とか「お互いに話し合う中で、気分が少しでも楽になれば」や楽しくゆんたくすることで「新しく病気を持った人に良い環境や生きる勇気を与え、また永く苦しんでいる人達には、前向きになれる事が出来る様な会を作りたく、数人の人達が動き始めている中に参加させてもらっています。「少しでも自分が役に立てれば」と。
思うにマイナス思考に走り「引っ込み思案」になっていない自分で本当に良かった。今でも旅行を続け(1都1道43県全て行きました)見聞を広めたり、その土地、土地の美味しい食べ物を口にして喜び、珍しいものや美しい風景を見て感激しています。
2011年3月11日東日本大震災に合い大変な時を過ごした事もありました。が、その時にも「人」が「人」を支えている事に気づかされ、「人の強さや有り難さ、心の温かさ」を痛感いたしました。
生きていくという事は、大変な事が起きるけど、素晴らしい事もいっぱい起きるという事なのでしょうね。そして、そのどちらかに目を向けなければならないのであれば、私は楽しい事や素晴らしい事に目を向けていきたいですね。
「雨が降るから、虹がきれいに出る」との格言がありますが、まさに虹を求めて毎日毎日を明るく楽しく過ごしていきたいと思います。
大好きな沖縄で、大好きな女(ひと)と一生を過ごし、定年ののちには三線を弾いて、のんびりと島酒でも飲みながら・・・。
最後になりますが、もう一度あなたの周りを見て下さい。あなたを支えてくれている人達が沢山いるのが判ります。その人達に感謝の気持ちを忘れずに、与えられている人生を謳歌していこうではありませんか。
佐藤 基繕(さとう もとつぐ)さん
昭和33年宮城県仙台市生まれ、震災を受け自宅のあった福島県から浦添市に移住。
趣味:旅行・読書・歴史
挑戦したいこと:「沖縄と震災地との懸け橋しになりたいと思っています。「仙台のつばめ踊り」をてだこ祭りに「沖縄のエイサー」を仙台七夕パレードに、を目標にしています。
最近の楽しみ:三線を弾く、ベランダの夕日を見ながらビールを飲む
9月4日に北部保健所主催で在宅難病療養者支援関係者研修会が開催され、「当事者の視点から支援者に期待すること」として諸喜田美智代さんの講演がありました。諸喜田さんはかつて保健師として保健所に勤務、元の職場となる保健所での講演として注目を集めました。
発症した時の様子から告知をうけた当時の心の変化、家族の介護負担の大変さと感謝、支援者に期待することを、意思伝達装置のマイトビーを利用してテキストの音声読上げを操作して発表、後半は娘さんの幸代さんが母親の書いた原稿を丁寧に代読しました。支援者へは「プロとしてプロらしく活躍すればそれで良いが、しいていうならば患者さんの目の動きを注視し、文字盤を覚え、先読みをしないで欲しい」とのことでした。
冗談も交えながら、あっという間の時間でした。準備は大変ですが、今後は他の地域での講演も考えているようでした。
後半は在宅で療養されている支援者へ特に筋萎縮性側索硬化症(ALS)を知ってほしいと、国立病院機構・沖縄病院 諏訪園秀吾先生の疾患についての講演がありました。ALSの病気についての基礎知識の説明に続き、医療ケアや災害対策と過疎地の課題、意思伝達装置の種類や特徴などを説明し、支援者が一人で抱え込まないで、多職種で連携をして皆で考えていく姿勢を支援者に、患者さんには「自分で自分の人生を制限する必要は無い」と力強いメッセージがあり、それを支援するのが支援者なのだと感じました。
*先月号(Vol.149号)諸喜田さんのエッセーと合わせてお読みいただければ、よりご理解が深まると思います。
アンビシャスはこれまで沖縄県初の認定NPOとして活動してきましたが、今年11月末で5年間の認定期間が終了の為、県へ継続申請をお願いしていました。厳正な審査の結果、無事に継続の承認を頂きました。
認定NPO法人は、通常のNPO法人よりも一層「公益性のある団体である」ことが求められています。認定申請の際に提出する書類では、(1)広く一般から支持を受けているか (2)その活動や組織運営が適正におこなわれているか (3)より多くの情報公開が行われているか 等が審査されます。 特に(1)の「一般から支持を受けている団体か」の目安として、年間3,000円以上の寄付者(会費含む)100名以上という条件がありますが、この条件を賛助会員のみな様のご協力によりここ数年継続して100名以上の会員を維持、加えて会員以外の寄付者も多数おられますので、継続承認を得る上で大きな力となりました。認定の承認を頂けたのも、全ての支援者のみな様のお力があったからこそと、心より感謝を申し上げます。
私共はみな様のご支援を重く受け止め、難病の方に必要とされる団体として今まで以上に努力してまいります。今後とも変わりないご支援をよろしくお願い致します。
臨床心理士 鎌田 依里(かまだ えり)
入院をしないで一生すごしたいという気持ちは誰にでもあると思います。だからこそ持病を抱えていると、いつ何時、入院して治療をする状態になりかねないのがつらいところです。
入院治療では、病気から来る痛み、発熱、倦怠感、吐き気、寒気等に加え、治療を行うことによる痛みも加わります。治療を行うことによる痛みとは、診察による痛み、麻酔を打つときの痛み、点滴の針刺し、点滴の液漏れ、血管の破れ、薬の副作用等、治療の過程で必要とされる医療行為によるものです。
また、慣れない環境(病院)で生活することによる不安、当番制で入れ替わり立ち替わり来る看護師や医師との関係、病気の症状がどう進むかという不安、治療に関わる費用面での不安、等もあります。
確かに、症状の変化があってもすぐに対応してもらえることが入院治療ではメリットになります。
ただ、人の気持ちは変化するので、最初は入院して安心できたとしても、入院が長期に渡ればわたるほど不満は出てくるものです。
入院の期間に関わらず、できるだけ快適にすごすコツとしては、スタッフと仲良くなることです。スタッフ同士の人間関係もありますし、それぞれ力量も違います。いろいろ話をしていると考え方もわかってくると思います。あなた自身が安心できるような対応をしてもらえるように、相手がどのような方であれ、こちらからは丁寧な応対をすると無難です。
入院中は今まで以上に人の手を借りないといけない状況になるので、自分のできる範囲のことは自分で無理をしない程度に行いつつ、ケアをしてくれるスタッフも、人なので、自分がストレスを感じない程度に愛嬌を振りまいたり、「いつもお世話になります」「ありがとう」等の感謝の気持ちを言葉で伝えたりすることが有効です。
著:照喜名通
2014年のノーベル平和賞をマララさん等2名が受賞しました。マララさんは女性にも教育をうけさせてくれと、反勢力から暗殺されそうになりながらも、教育を阻害する者達と戦っている。その者達への怒りが世界の多くの人々の心を動かしているのだと思います。
しかし、一方の怒りは他方の怒りを生みます。怒りという感情的なことだけでは戦いしか生まれないのでしょう。
いつもニコニコしているように見える私ですが、実際はいつも自分の思い通りにならずにイライラしています。他人は簡単には変わってくれません。ふと、立ち止まって、自分が相手の立場や思想、言語を理解して感情的にならずに、論理的にどうすれば良いのかを深く考える必要があります。まだまだ未熟な私は深く考えないと前に進めないのです。
アンビシャス設立当初は難病の患者会が2つしかなく、障がい者でもなく、健常者でもない。どこにも行く場所がない。自分が難病を発症し、現状の社会に対して大きな怒りがありました。その怒りを分析し、団体の使命を導き出し、支援者を募り、難病に対する理解と利用できるサービスを独自で生み出してきました。
昨年、障がいサービスに「難病」も加わり、今年は難病対策の法律も可決成立し次年度から開始されます。大きな前進ではありますが、離島問題、就労問題、非常時問題など課題は山積です。あらたな使命を模索しながらの前進です。
慶応義塾大学看護医療学部 教授 加藤 眞三著
難病や重篤な病気を抱えた時、人は危機に対面することになり衝撃をうけ落ち込んでしまう。だが、そこから立ち直る強さを持っている。ドイツ ハノーハ大学の心理学教授エリカ・シューハート博士は、危機に遭遇した人の闘病記や自伝の2000冊以上分析し、危機に直面した後にたどる心理的変化を表した。「なぜわたしが?」にはらせん状の図が掲げられ、8つの局面をもつ魂の螺旋状のステップで魂が成長していく過程が説明されている。
危機に遭遇した後の魂のステップは、第1局面の不確かな曖昧状態;訪れた危機を認知できていない状態、第2局面の確信状態;危機が訪れていることを認知した状態、第3局面の周囲への攻撃状態;怒りを周囲にぶつける状態、第4局面の交渉や取引状態;何か良い方法はないかと片端から探し求める、何かにすがろうとする状態、第5局面のうつ状態;結局、何をしてもだめだとうつになる状態、そして第6局面の受容(甘受)にいたる。さらに、その後に、第7局面の活動、そして第8局面の連帯へと続く。
第6局面の受容までの経過は、キューブラー・ロス博士が「死ぬ瞬間」で提唱した「死の受容」までの5段階と大差はない。ロス博士の第一段階の否認が、シューハート博士は第1局面の不確かな状態と第2局面確からしさの確認の2つの局面に分けているため、6段階となっている。この螺旋階段の独自性は、第7局面の行動、そして第8局面の連帯状態へと至る過程にある。ロス博士の研究は、ホスピスなどで死にゆく人々を研究対象としたために、受容の段階で終わったのだと理解できよう。それに対して、シューハート教授の研究は、慢性病や障害を持った人が対象であり、しかも危機を乗り越えて闘病記を書いた人である。だからこそ、第7局面、第8局面へと連なる変化を観察することができたのだろう。
第6局面の受容はとりわけ重要である。この局面で大きな転換が訪れる。患者の問いが「なぜ; why」から「どのように;how」へと変化し、過去へ向かっていた視線が、現在、そして未来へと移動する。ところが、わたしが観察して受容の段階を越えていると考えた患者に、受容をいつ乗り越えたかを聞いてみても「いや、わたしは自分の病気を受容などしていない」と答える事が多い。それは、受容という日本語の、ニュアンスの問題なのかもしれない。容認には「よいとして認め受け入れること」という意味が含まれ、受容は容認して受けとめるというニュアンスを感じるため、受容という言葉と自分の状況が合わないと感じるのではないだろうか。次回には、シューハート博士が述べる受容にいたる過程について考えてみたい。
【参考図書】
エリカ・シューハート著 「なぜ わたしが?; 危機を生きる」 長崎ウエスレヤン大学研究叢書1 2011年
エリカシューハルト著 「このくちづけを世界のすべてに ベートーヴェンの 危機からの創造的飛躍単行本」 アカデミア・ミュージック 2013年
患者の力: 患者学で見つけた医療の新しい姿
出版社: 春秋社
「患者には力がある!」 毎日を健康に生きるために、そのためにも、真の患者中心の医療を実現するために、いま必要なこととは。
9月4日に行われた北部保健所主催の在宅療養支援者研修会に参加して、私自身達成感と生きる意欲を貰った。体のきつさや娘の介護負担を想うと早く楽になりたいと思っていたところ、下記の事があったからだ。
1、金城妙子先生から電話があったこと
金城先生とは、私達多くの保健師を育ててくれた方で、御歳が100歳を超えている。
私の病気の事は仲間の保健師から聞いたのだろう。わざわざ電話をかけてきてくれたことに涙がでるほど嬉しかった。先生ありがとう。
2、恩納村のかつての仲間が研修会に参加していた事
県と市町村の人事交流事業で私は2年間恩納村で勤務していた。
その時の仲間がわざわざ来てくれた事だ。あの頃から10年以上経つのに忘れないでいてくれた事が嬉しかった。
後輩だけでもなく、これまでお世話になった人達から期待されている事を感じて…私にはまだまだやらなければいけない事がたくさんある。早く楽になりたいと言っている場合ではない。がんばろう!
パーキンソン病に悩む患者、家族の皆さんへ、 友の会では宇多野病院、神経内科医長「水田英二先生」をお招きして医療講演会、相談会を開催致します。
医療相談会
11月22日(土)~23日(日)
場所:沖縄県総合福祉センター内
*水田先生による沖縄での貴重な相談会です。人数にも限りがありますので、相談希望の方は早目にお申し込みください。
医療講演会
11月24日(月)
場所:名桜大学(110講義室)
※会場へのマイクロバス準備(水田英二先生同乗)バス利用の方は1人3,000円(昼食代含む)をご準備願います。
*医療講演会、相談会は申込が必要です。会員優先、先着順
申込、詳細問い合わせ(受付午後より) 090-8294-1974(又吉)迄
いつも楽しく読んでいます。先日、ある疾患になった知人から相談を受けそういえば患者会の案内があったなと気づき、交流会の日程を教えました。
普段はさっと目を通すだけでしたが、いろんな情報があり助かっています。
これからもいろんな情報を教えて下さいね。
〈A.H〉
ありの~ままの~♪という歌詞の歌がヒットしましたが、自分らしく、そして「良い人」をやめると、心も軽くなり、振り回されることも無くなります。
しかし「振り回される」って、相手が意図的にしているワケではないので、自分が「いい人」すぎて、自分で振りまわってるんですよね。
★渡久地 優子{進行性骨化性線維異形成症(FOP)}★
「よそ見」
下ばかり向いてたら
綺麗な空が見えないよ
でも、上ばかり向いてたら
つまずいちゃうよ
だから、真っ直ぐ前を向いて
進んでこう
それで、たまには
違う景色も見たらええやん。
原田 安津季
「レアモントホテル」2005年 米英作
初見で好きになった映画の一つで、BS3で、11月17日放送予定。
ロンドンの長期滞在型ホテル「クレアモントホテル」を舞台に繰り広げられる感動作。物語は、老婦人と青年の出会いから始まり、ホテルには、色んな人が滞在し、交流を通しての変化や与える影響など、人と人の繋がりが、暖かく感じる良い作品です。
出演は、ジョーン・プロウライト、ルパート・フレンド。
★渡久地 優子{進行性骨化性線維異形成症(FOP)}★
・・・カラーセラピーやパワーストーンも好きで、時々、ネットで見てます。
10月初めの台風の後、めっきり秋めいて朝夕涼しくなってきました。
スポーツの秋、食欲の秋といったところですが、私は「思索の秋」にしたいと思っています。
年度初めに立てた計画をがむしゃらに進めてきましたが、ふと立ち止まり計画の進展具合、立てた計画そのものがこれで良かったのかどうか、これから年度末に向けどのように行動するか等々、仕事の事だけでなくプライベートの事も含め、じっくり頭を冷やし考えをめぐらすのに適した時期かと思います。
読者のみな様も一緒に思索に耽ってみませんか、しかし頭は冷やしてもお腹や体を冷やしすぎないよう、くれぐれもお気を付け下さい。
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