最終更新日:2015年02月01日
長崎 静香(ながさき しずか)さん
大動脈炎症候群
2年前平成24年7月の事です。その年の6月より微熱やだるさが続き近くの病院で診てもらったのですが風邪と言われ「1週間もすれば治るよ」と葛根湯のような薬を渡されました。
しかし、いつまでも微熱が治まらず通院先の先生から「これはおかしいのでCTを撮ってみよう」と言われた頃には38度から39度の高熱が続きフラフラの状態になっていました。単なる風邪と言われてから実に1ヶ月も後の事です。
そこの病院では本格的な検査が出来ないため、総合病院のCT検査を受け、大腸間膜炎の疑いで手術の可能性もあるので、造影剤CTを受けることになりました。
造影剤CTの結果「どうも大腸間膜炎ではなく血管の障害みたいだ」と再度、総合病院の検査を受ける事になりました。検査した総合病院では「大動脈が炎症を起こしている疑いがあり、検査入院してくれ」と言われたので「3日くらいでは済むだろう」と軽い気持ちで入院しました。
自分自身では大きな病気とも思えず「簡単に終わるだろう」と思って入院すると、当初の医者から担当医も変わり、入院後すぐ心臓カテーテル検査、そこで胸部動脈瘤と腹部動脈瘤が2つ見つかりました。
しかし自分ではその意味がよくわからず「単に血管が膨れているだけでしょ」という解釈でした。血管の狭窄が何を意味するのかの知識が無く、直ぐ退院できるものだとばかり思い込んでいました。
先生方も詳しい事は教えてくれず、カテーテル治療の後ステロイド剤の効果もあってか熱も徐々に下がってきたため、自分としては「もう良くなったんだ」くらいの受け止めでした。
「ステロイド剤はしばらく続けましょう」と先生方がおっしゃるので、「いつまで飲めばいいのですか」「いつ治るのですか」と質問しても先生方は言葉を濁すばかりでした。私自身が現状をしっかり受け止めていなかったことも原因だったと思います。
私が難病と認識したのは、2週間くらいの入院生活から退院の時、病院より「すぐに保健所で難病申請の手続きをしてください」と言われて渡された資料を見て初めて「この病気は難病なんだ」と理解したのです。
その前に先生から病名は告げられていましたが、大動脈の炎症というので胃炎と同じで炎症が無くなれば治るものとばかり思っていただけに、治らない病気と聞かされ当初はかなり落ち込みました。
A.医者からは「何をしてもいいけど、あまり無理をしないように」「疲れないように」と言われていました。
しかしどこまでが無理で、どこまでは良いのかの判断も出来ず、身近の人に病名を言っても、どんな病気なのかわかってもらえず、相談しても何の解決にもならず、当初は一人で悶々と落ち込んでいました。
そんな頃保健所よりアンビシャスを紹介され、ダメ元で相談の電話をしてみました。心の中にたまっていた思いを話している中で、相談に乗ってくれた照喜名さんからの「難病患者は常に挑戦だよ」という何げない言葉がすごく心に響き『そうだ人生は挑戦』だと一瞬にして吹っ切れました。
「自分は病気なんだから」とうじうじ考えるより、「生きているだけでも素晴らしいのだから、思いきりやっちゃえ」と180度考えが変わり、今まで出来ないとあきらめていた事も「そうだ何事も挑戦だ!やっちゃえ!」と思えるようになりました。
それからは自分の気持ちに制限を設けず、最近はやりの「アナ・ユキ」ではないけど「ありのままに」生きようと決めました。
子供のころから好きで続けていたダンス、結婚後はなぜか周囲に遠慮し、主人の家族にも職場にも言えず、こっそりとやっていたダンスも封印を解き、去年、娘たちとダンス・スタジオをオープン、地域の子にダンスを教えながら、娘の出身校でも部活でダンスを教えています。
確かに体の事を考え、激しい動きは出来ないけど「怖がってやらずに後悔するより、出来るときに出来ることをやろう」と吹っ切れることが出来ました。
以前はネットなどで自分の病気の事を調べたりもしたけど、どうしても悪い記事に目が行ってしまうので、「こんなのではダメだ」と今ではネット情報は一切見ないようにしています。「自分は今何がしたいのか」「どんなふうに生きたいのか」という前向きなことを考えるようにしました。以前は周りに気を使い体調が悪くても無理をしていましたが、体調が悪いときは素直に「今日は体調が悪い」と言うようにして、気持ちを楽にして過すようにしています。
もちろん体調が悪く気分が落ち込む事もありますが、そんな時でも「大丈夫!大丈夫!自分は出来る」と言い聞かせ、ネガティブにならないよう常に自分を奮い立たせています。
自分に素直に生きるようになって、今まで気づかなかった周りの優しさや、気遣いも分るようになり「少しは成長したかな」と逆に病気に感謝できるようになりました。
A.現在ダンスを教えている子たちと、世界を目指しLA(ロサンゼルス)の舞台に立つことです。
経営しているダンス・スタジオの名前の“2Da TOP”の由来はダンスを通じて知り合い、このスタジオの応援をしてくれている、世界的なダンサー兼振付師のFree Boogie(フリー・ブギー)さんがTo The Top(常にトップを目指せ)とつけてくれました。
ちなみにブギーさんは、あのジャスティン・ビーバーさんやジャネット・ジャクソンさんの振り付けもしているこの世界では超有名人で、年2回はこのスタジオへ来て指導してくれています。
このような縁もあり、ダンスを通して子どもたちの成長を見守り、この中からいつかは世界のトップに立つダンサーが出てくると信じて指導しています。ダンスを通じて子供たちの世界を大きく、広くしてあげたい、その夢に向かって今、生徒たちは厳しいレッスンに挑んでいます。
近い将来、生徒たちとLAの舞台に立ちたいですね。
厳しいけどチャレンジし続け、夢を自分の手で掴む!私も! 生徒たちも!
長崎 静香(ながさき しずか)さん
【生年月日】昭和48年 那覇市生まれ
【家族構成】夫、娘3名、息子1名 6名家族
【好きな言葉】冬は必ず春となる
【最近の楽しみ】ダンス・スタジオの生徒たちの成長
【挑戦したいこと】生徒たちとLAの舞台に立つこと
1972年の難病対策要綱制定から実に42年ぶりの総合的な見直しが行なわれ、年明けの1月1日より初めて法律として難病医療費助成制度が始まりました。この制度により医療費助成対象が既存の56疾患から110疾患へ拡大され、2015年夏頃には更に約300疾患へと大幅に増える見込みです。
しかしながら難病患者にとって非常に重要な法律にも関らず肝心の当事者への周知が行き届かず、2015年から新たな制度の対象となる「45疾患の方へのお知らせ方法」あるいは既存56疾患の方々へ制度変更に伴う混乱を無くす為の「制度変更に伴う経過措置の更新手続き」が必要となる等の情報が十分行き渡っていない、という危機感がありました。
このような状況打開の為、アンビシャスでは沖縄県保健医療部 薬務疾病対策課と共催で難病当事者・家族及び関係医療機関を対象に難病関連法に関する説明会・特別講演会を開催しました。
当日は新聞社の協力もあり事前に説明会の案内が行き渡った事と、あわせて当事者の関心も高く、昼・夜の2回にわたる説明会に合わせて300名余りの方が参加されました。
講演会第一部では沖縄県薬務疾病対策課の山内美幸主任技師より「難病の新たな医療費助成制度の概要」「実施に当たって必要な手続き」等についての説明や細かな注意点についてご講演いただき、当事者や各医療機関の方々が熱心に聞いている姿が印象的でした。
第二部では、日本難病・疾病団体協議会の代表理事 伊藤たてお氏による「難病法と社会の役割」と題し、法制定に当たり患者団体が当事者として積極的に関わった経緯や意義について講演がありました。
伊藤氏の講演の中で「法律はそれが出来て終わりではなく、より良いものへ成長させなければならない」「『難病患者という人』はいない、全ての患者・家族にとって、生活基盤のある住み慣れたところで専門 医療を受けられることが理想」「全ての難病患者・家族も地域の住民であり『生活者』である事の理解が地域の取り組みの基盤であり、 生活の質(QOL)の向上が、生きてゆく希望を育てる」と結ばれました。
患者団体、医療専門家、行政が立場を超え、厳しい意見を闘わせてやっと日の目をみた法律です。
この法律が血の通ったものになり、更に難病者の生活向上に寄与できるものとする為、当事者である私たちも積極的に関わっていかねばと改めて思いました。
臨床心理士 鎌田 依里(かまだ えり)
人は皆、本来持っている身体能力をすべて発揮できていないと考えられています。
障害や難病を抱えると「できない」ことが確かに増えますが、今ある身体能力で使っていない潜在能力を如何に発揮するかが困難な状況を打開する、そしてより良い状況にするための鍵となります。
さて、現在、潜在能力を発揮して生きている女性がいます。先天的な聴覚の不自由さをもっており、かつ中途失明したAさんです。Aさんは盲聾唖者でありますが、結婚後は白杖なしに自由に家の中を動き回り、料理や掃除洗濯もし、火を使って夫の毎日の弁当も作ります。
全身のもてる感覚を研ぎ澄ませているのです。
失明してから出逢った夫との生活は、Aさんの意識を変え、人生を一変させたのです。
夫婦の楽しみは、朝の連続テレビ小説を観ること。観る、といってもAさんは見えませんし聞こえません。それなので夫が手話で手を通して状況を伝えます。Aさんは夫の手の温もりも、安らぎとともに楽しさも感じ取ります。喧嘩をするときも、夫の手を通して文句を言います。
良いことだけでなく嫌なこともすべて伝えているふたりです。
人は生きる力を得ると、自分のできうる限りのことは何でもできるのだと思います。
潜在能力、生きようとする力それは自分が見返りを求めずに尽くしたいと想う愛する人が原動力であり、愛する人のために発揮されるものだと思います。
そして工夫しようという意思、使われていない身体機能に意識を向けること、実際に試行錯誤し行動すること、ストレッチなどのリハビリテーションも必須です。
また、今までしようとしていなかったことに目を向けてみること、周囲の方々に理解を得、協力を得ることも本人の潜在能力を発揮するための一助となります。
著:照喜名通
あるボランティア団体に属している93歳のお爺ちゃんがいて、いつお見かけしても元気に活動をされていらっしゃいます。
その方に元気の秘訣と教えてもらったことを紹介させて頂きます。その秘訣とは「あいうえお」を生活習慣にすることだそうです。
まず、安眠の「あ」、色気の「い」、運動の「う」、栄養の「え」、おしゃれの「お」とのことです。安眠と運動と栄養はすぐに理解できたのですが、色気とお洒落については、すぐには理解出来ませんでした。
その意味を聞くと、色気は常に異性を意識することで、性欲まで強くは無くとも身近に異性を感じることで若さを保てるのだということです。
お洒落は身だしなみでもあり、プライベートな行動だけではなく、お洒落をすることで色んな所に出掛けるきっかけにもなるのでしょう。
病いを持っていても、老いていても、気持ちを若く保つことが大切なのでしょう。
この秘訣を聞いて、なんだか、10年くらいは長生き出来そうになったのは私だけでは無いと思いました。
慶応義塾大学看護医療学部 教授 加藤 眞三著
外科医が患者を威すような言葉を投げかける理由の一つは、威しにより患者を萎縮させ、そのことで患者に対して優位に立ち、患者を医師の指示に従うようにさせようとするためだ。「威しの医学」の結果である。もう一つには、自分は外科医として最善の治療を施したのだから、再発したとしても、そのことはわたしの責任ではないとする責任回避の伏線かもしれない。ある意味で医師側の「おびえ」の結果だ。
あるいは、自分は腕が日本一の外科医なのだから全て従えとする不遜なプライドのあらわれかも知れない。
医学が、「威学」や「脅学」になってしまい、患者と医療者の関係性を対決の構図となる。結果として、患者を萎縮させることになり、「患者の力」を弱らせる「萎学」になってしまう。それは、患者の回復過程や療養生活に当然悪い影響を及ぼす。患者と医療者が協働作業の構図に立つことができれば、このような言葉かけはなくなるだろう。そのためには、医療者に、そして患者にも、協働作業としての医療の構図を知ってもらわなければならないし、変わってもらわなくてはならない。
協働作業としての医療を実現する例(お手本)が増えてくれば、それをまねる人が増えてくる。それが、医療の中に新しい文化を創ることになる。
“Doctor knows best”「医師は何でも知っている」とばかりに、医師が医療の全てを支配する時代は過ぎ去った。医師は周りの医療者の助けを借りなければならないし、患者の力をも上手く活かせなくてはならない。一方で、患者も医師にお任せするだけになってはいけない。
「患者にはできることがある」「患者は何をできるのか」をしっかりと認識しなくてはならない。
その後にも、山口さんと外科医との奮闘が続く。外来で、リンパ球数を聞くと、「そんな数値、何の訳にもたたん。数値なんておよそ何の役にも立たないもんだ。」という。膵ガン発見のきっかけになった腫瘍マーカー「CA19-9」の数値がどこに書いてあるのか分からず独り言を言うと、「腫瘍マーカーの数値などあてになりません。そんなものにとらわれると落とし穴に落っこちますよ。」などと言う。だが、山口さんは「私、思い込みが激しいですかねぇ?」とやり返す。外科医は「すごいもんですよ!」と即座に答え、山口さんも「先生と同じくらい?」と負けていない。外科医は一瞬ドキッとしたらしく口をつぐむ。
“コウベエ先生と話すのは、この手がいいのかなあ。言われっぱなしにはしないで、二回に一回はソフトに返してみる。そしたら、コウベエ先生は打ち解けて、話しやすい雰囲気になるかしら?”
などと、山口さんは冷静に外科医との意思疎通のできる回路を模索する。
だが、その後の外来で外科医は「教育者と医療関係者がもっともタチの悪い患者だ。こういう人たちはそろって治る病気も治らなくする人間だ。なまじ医療の本なんかを読んだりして病気にばっかり気が向いているから、治りはしない。再発するんだ。再発して一番慌てるのもあんたのような人ね。もっと、有意義なことに時間を費やしている人は元気でぴんぴんだ。」と発言し、結局山口さんは手術後4回の外来診察でコウベエ先生から離れる決心をする。腕の良い外科医が、手術の後の外来での化学療法やコミュニケーションが上手なわけではない。このような呪文を投げかける主治医であれば離れた方が心身のために良いだろう。切れるハサミは使いようだ。
【参考図書】
山口 仲美「大学教授がガンになってわかったこと」
出版社:幻冬舎新書 2014年
患者の力: 患者学で見つけた医療の新しい姿
出版社: 春秋社
「患者には力がある!」 毎日を健康に生きるために、そのためにも、真の患者中心の医療を実現するために、いま必要なこととは。
玄関に飾るお正月用の花を夫に頼んだ。
正月らしく華やかで綺麗な花を買ってきた。
娘と「お父さんなかなかやるね」と話すが、よくよく見たら造花の盛り合わせだった。
あぜん。
しかも買ってきた本人、全く気づかず。
それ見て笑いが止まらなくなった。
ここで一句。
“きれいだね よくよく見たら造花だし”
仕事していた頃、生け花を習っていた私には造花を受け入れる事が出来ないため、もう一度頼んで生花を買ってきてもらった。
こんな家族ですが、今年も支援よろしくお願いします。
昨年末、恒例の沖縄IBD忘年会を行い30人近くの参加で盛上りました。
宮本会長の開会挨拶のあと、カラオケ、風船割りゲームやビンゴゲーム、恒例のじゃんけんゲームで盛上りは最高潮へ。
今回は恒例のチームMによるダンス余興が都合が付かず中止、急きょスペシャルゲストとして春風トシロー氏を迎え、鮮やかなマジックと腹話術が披露されました。春風氏は宮本会長との親交が縁で、ボランティアで出演していただきました。みんなプロのマジックを間近で見て驚きと笑いが絶えませんでした。素晴らしいマジックに本当に感謝です。
普段なかなか会えない仲間に会える貴重な機会でもあり、お互いの健康や近況を語り合う姿があちこちのテーブルで見られ、また自慢のノドの披露と終始賑やかで、楽しいひとときを過ごすことができました。1年の締めくくりとしてIBD会員だけでなく、膠原病やパーキンソン病の方も、良い健康状態を維持して忘年会に参加していただけるのはありがたくうれしいことです。また来年も元気に皆さんに会えるように健康管理に気をつけたいとの思いを新たにしています。
11月末、保健所へ特定疾患の更新申請に行くと、今までの医療費全額免除が、年明けからは自己負担が発生するとの説明を受け、年明け予定していた様々な検査を前倒しで昨年末慌ただしく受けました。
また処方薬を受けとる薬局も指定が必要とのことで、今後は難病指定医のみになるそうです。
主治医も変わるのか、医療機関も変える必要があるのか等々、わからないことだらけです。とほほ、、、。他の方々は大丈夫だったのかな?
アンビシャスさんでこれらの情報を得られるところをご存知でしたら教えてください。
疾患の種類によっても異なるのかな?でも、対象疾患が増えることは嬉しいです。
全ての難病の方の負担が軽くなる日が1日でも早く来るよう願っています。
〈ジュウミー〉
イライラし始めると、そこから脱却しにくい。
それが悪循環となって、またイライラする。
根本的に、イライラの元を理解し「認め」て、ソレはソレ、
自分は自分、として受け入れる。なかなか難しいかもしれませんが、そう「クセ」を付けると、少しずつ変われるのではないでしょうか?
★渡久地 優子{進行性骨化性線維異形成症(FOP)}★
「生きてく」
強さっていうのは
泣くのを我慢することじゃなくて
泣いてから
立ち上がれるかどうかだろう
春に大輪の花を咲かせるのは
冬の厳しさに耐えた種だけだろう
原田 安津季
「人生万歳!」/2009年アメリカ作
2月13日にNHK BSで13時から放送予定の、ウディ・アレン監督作品、映画好きにはウディ・アレン”らしさ”の映画って、分かりますよね。
N.Yを舞台に、元天才物理学者で、屁理屈の中年男と、世間知らずの家出してきた若い娘とのラブコメディ。
年齢も学力も全く違う二人の、向かう運命は…。
91分と見やすいので、W・アレン作に触れてみて下さい。
★渡久地 優子{進行性骨化性線維異形成症(FOP)}★
・・・カラーセラピーやパワーストーンも好きで、時々、ネットで見てます。
特集ページ「表紙は語る」の長崎さんの行動力とダンスに励む子どもたちに向けられた優しい笑顔や5ページ「こころの現場から」に登場するご夫婦の心温まるお話を読んでいると、人は自分以外の誰か(何か)のためになら、今ある潜在能力をフルに活かし、人生を大いに楽しむ工夫がいくらでもできるのだなと幸せな気分になりました。
6ページ、加藤教授の「患者の力」も違う意味で私たちのこれからの日々の過ごし方に勇気を与えてくれる連載が続いており、近々最終章を向かえます。
今月号は、受け身で生活するのではなく、自分の頭と心でしっかり判断して毎日をいかに楽しく暮らしてゆくかを考えさせてくれるお話が多くありました。
そして自分以外の誰かを想う気持ち、大切ですね。今年も、どうぞよろしくお願いいたします。
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