最終更新日:2015年07月01日
佐久真 良太(さくま りょうた)さん
クローン病
僕は、南城市の佐敷と言う町に生まれました。
幼い頃、一緒に暮らしていた祖父は、歌謡曲が大好きで、家にいる時や庭の手入れや畑仕事をする時には、音楽を流し、歌を口ずさんでいました。そんな祖父や音楽を良く聴いていた母や叔母の影響もあって、物心ついた時には、歌手になるという夢を抱いていました。
ですが、僕は生まれつき声が高く、そのため、周囲にからかわれる事も少なくありませんでした。
そんな状況の中で、次第に親しい人の前でしか歌わなくなり、初対面の人の前では極力気配を消して声を発する事が少なくなっていきました。
それでも、「歌が好き」「歌手になるんだ」という思いは薄れる事なく、時は流れ、小学校を卒業して中学校に進学する事になった矢先の事です。
痔瘻(じろう)という肛門の周辺に穴ができて、そこから膿が出る疾患になり、手術をする事になったのです。実は、過去に同疾患で2回手術をしていて、この歳で頻繁に痔瘻になるのはおかしいという話になり、内視鏡検査をする事になりました。
検査の結果、クローン病という診断がでました。
当時、クローン病という病名を聞いた事がなく、どんな病気なのかも、今後どんな状況になるのかも想像出来ませんでした。
後日、クローン病に詳しい先生がいる病院に行き、入院する事になりました。
その時、初めてクローン病とは主に、小腸や大腸などの腸管壁に炎症や潰瘍などができる慢性の炎症性疾患である事、さらに全身にさまざまな合併症が発生する事もあり、痔瘻も合併症の一つという事を知りました。
そしてこの病気は原因や確実な治療法が解っていない為、今の医学では完治させる事は困難で、一生付き合っていくことになるという事や、食事療法を徹底し、症状が悪化しないよう努め、同時に薬での治療もしないといけない事を知りました。
その後、栄養士の方から食事の指導をして頂いて、エレンタールとエンシュアリキッドという消化に負担のかからない飲み物だけで栄養を補給し、炎症が起きている大腸に負担をかけず休ませる為、絶食治療が始まりました。
これまで当たり前のように、普通に食事をしてきた僕には、絶食治療は辛く苦しいものでした。
そんな治療の日々を支えてくれたのは、歌と音楽でした。
『こんな病気のせいで、何もかも諦めてたまるか!』、『絶対、負けない!この病気を克服して絶対歌手になって夢を叶えてやる!』と、僕の心を奮い立たせてくれました。
そこから、徐々に大腸の炎症も治まり、クローン病食を食べる事が出来るまでに回復し、退院して学校に通えるようになりました。
日常や学校生活においても味気のないクローン病食を続けないといけなっかたけど、絶食治療を経験した僕にとって、母が作るクローン病食は、とても美味しくて、心が満たされました。
しかし、徐々にクローン病食では物足りなくなり、普通食を欲するようになっていきます。
また、同じ時期にあった定期検診の結果が、悪化していたのです。
僕の中で大きな疑問が生まれました。
沖縄には医者半分ユタ半分と言う言葉もあるくらいだし、今見えているものだけが全てじゃないはずだ!
と、そこからクローン病に関する東洋医学や漢方や健康食品の情報等を調べまくりました。
そして、様々な方法を納得がいくまで試すという日々が何年も続きましたが、なかなか自分にあう治療法や漢方薬などを見つけられず、徐々に病状は悪化し、体重は減少し、栄養状態は悪くなり、しまいには下血までおこし、救急車で病院に運ばれてしまいました。
その時には、長年にわたる慢性的な炎症で、大腸は通常の三分の一にまで縮んで、機能を果たす事が困難になっていました。
医師には、もう大腸を摘出するしかないと宣告されましたが、なかなか手術をする決断がつかず、時間だけが過ぎていきました。
その間も、下血や痛み等で眠れない日々が続きましたが、そんな僕の背中を押してくれたのは歌手になるという夢でした。手術をする事で、また音楽活動が出来るようになるならと手術をする決心がつきました。
手術も大腸を全摘出という形ではなく、一時的な人工肛門にして食物が大腸を通らないようにし、大腸を休めるという方法を選びました。
その後、手術は成功し、退院から2ヶ月が経った 2010年の10月。
僕はとあるライブハウスのステージに立っていました。
まだまだ、これからがスタートというのは十分わかっていましたが、やっとここまで来れたという嬉しさに泣きそうになりました。
それからも、気功療法師の先生との出会いもあり体調も安定し、体力もつき、音楽活動も一つ一つ積み重ねて、2014年にはアルバムを発売し、毎年行われているJTB主催の「杜の賑わい」というイベントに出演させて頂いたりと、徐々に活動の幅も広がっていきました。
まだまだ、夢の途中ですが、音楽を通して聴いてくださる方に癒しや勇気を届ける事ができる歌手になっていきたいと思います。
今の僕があるのは、ずっと側で支えてくれた母や家族、これまで出逢った手を差し伸べてくれた全ての皆様のおかげです。
この感謝の気持ちを忘れる事なく、これからも歌い続けていきます。
最後になりますが、実はこの執筆のお話を頂いた時、病気を公表する事によって、純粋に歌を評価されなくなってしまうんじゃないかと迷いましたが、記事を読んで一人でも前向きな気持ちになれたらと執筆させて頂きました。
今病気と闘っている、
全ての皆様へ愛を込めて。
佐久真 良太(さくま りょうた)さん
1984年南城市佐敷生まれ。
高校生頃友人と「100MARKS(ワンハンドレッドマークス)」を結成、音楽活動を開始。
2006年ソロへ移行するが、病状の悪化により一時音楽活動を休止。
2010年より活動再開。2014年よりJTB主催「杜の賑い・沖縄」へ出演、アルバム製作にも意欲的に取り組む。
2015年より琉球國祭り太鼓の演舞曲を歌唱し、同団体のイベントなどに出演。2年続けてJTB主催「杜の賑い・沖縄」へ出演を果たす。
5月より那覇看護専門学校、ぐしかわ看護専門学校の実習生を受け入れ、平成27年度の在宅看護実習を開始しました。 毎年多くの看護専門学校の学生さんがアンビシャスでの在宅看護実習を通し、難病と上手くつき合いながら地域で自分らしい生活を送っている方々の支援について、真剣に考え学んでいます。
これら看護学生が難病を持つ方々のよき理解者として、それぞれの医療現場で活躍される事を願っています。
「患者会が無く交流の場が欲しい」「他の難病の方と情報交換やおしゃべりがしたい」との声を受け5月より月1回、第3水曜日に気楽な交流の場を設けました。第1回目の茶話会は2名の方が参加、終始笑顔があふれ、話題の尽きない楽しいひと時となりました。患者数が少なく交流会の場がない疾患の方、患者会のような大人数は苦手という方、他の難病の方とお話がしてみたい方、疾患名は問いません、気軽に茶話会に参加してみませんか。
毎月第3水曜日(午後2時~4時)
スペースの関係で5名までとしています。
5月21日アンビシャス第14期定期総会を実施。平成26年度の事業報告・決算報告及び、今期事業計画・予算計画の発表を行いました。
昨年度は田辺三菱製薬様の助成金を活用し5回もの医療講演会、勉強会を実施する事が出来ました。
また数多くの法人や個人の方からの寄付や助成を受け、意思伝達装置及び関連機器の貸出を充実させることができ、人工呼吸器で在宅療養をおくる多数の方々がご利用され大変喜んで頂きました。
その他、数多くのご支援のもと、平成26年度は例年以上に充実した難病支援活動が展開できました。ここにご支援を頂いた数多くのみな様に厚く御礼申し上げます。
今年度は、難病関連法施行に伴う医療費助成の対象が7月より更に196疾患が追加され306疾患となります。しかし肝心の対象者への周知が充分とは言えず、今年度アンビシャスはこれらの周知・啓蒙活動に注力するとともに、相談件数の増加を想定し、相談員2名体制で万全を期した対応をしてまいります。
5月10日(日)イオン南風原店 イベント広場で「第20回幸せの黄色いレシートキャンペーン」の寄付贈呈式がありました。
イオン琉球様からは毎年「幸せの黄色いレシートキャンペーン」の寄付を頂戴しており、毎月発行の「アンビシャス会報誌」の封筒などに例年活用させていただきました。
今年はかねてより要望のあった勉強会や各患者団体の交流会等で使える「ポータブルアンプ」を購入し、音響設備のない会場や設備使用料の掛る会場等で有効に使わせて頂きます。
臨床心理士 鎌田 依里(かまだ えり)
いよいよ夏本番です。
あなたは夏にはどのような生活になるでしょうか。
「『貴方は生きているだけで素晴らしい!』と表彰されました」と私に気恥ずかしそうに報告してくださった方がいらっしゃいました。
身体の血液を二日に一度、3~4時間かけて入れ換えることにより生きている方です。
入れ換えというより、血液を体外の装置で濾過するという言い方が的確でしょうか。
人工透析は、免疫疾患や糖尿病などの病気や、過労や事故など、原因は様々ですが、慢性腎不全になった方が生きるために行う医療です。今から30年程前は、人工透析患者の余命は10年未満と言われておりました。現在は、当時と比べると人工透析の機械は性能が向上し、近年から人工透析を開始した方の余命は延びました。
彼は、人工透析をしているために長い間、定職に就けなかったので親族の間では肩身の狭い思いをしながら、それでも愛する妻子と一緒に生きてきました。自分のできることで努力し、食事制限や休養を自分の身体と相談し今まで生きてきました。
そして、人工透析を始めて30年のある日、病院から表彰されました。
「生きているだけで素晴らしい。長い間、透析をよく頑張った」と。
シャントを腕や足に造る痛み、透析の太い針を刺し続ける痛み、透析機械を血液が循環する間と透析後、歩けないほどの倦怠感。力が出ず、幼い我が子を肩車できない辛さ。シャントが破れて出血多量で死なぬよう日々の生活での細心の注意。 隣のベッドで透析をしていた方が次の透析の日には亡くなりベッドが空いている。つまり同病者の死と向き合いながら、自分の死とも常に向き合う…。
そのような毎日を30年以上も続けて生きるのはほんとうに大変です。
だからこそ、ほんとうに、生きているだけで素晴らしいのです。
著:照喜名通
実は原稿書いている今はまだ入院中です。
手術は10時間と長時間に及んだそうです。
手術後ICUでは痛み止めも効果が無く、30分毎に痛みが襲ってくるという、まるで拷問のような状態が3日から4日続きました。今回の最大のピークでした。
やがて身体につながっていた色んなチューブが徐々に抜けて、身体的な苦痛が徐々に和らいできました。
現在は作業療法士や理学療法士のリハビリの先生が1日に2回入ってくれて、落ちてきた体力を取り戻すようにマッサージとか運動をしています。徐々に体力を取り戻しつつある自分の姿を確認するのが毎日の楽しみです。
人工肛門の管理にも徐々に慣れてきました。
内科と外科の医師や看護師にはお世話になり感謝しています。プチ闘病記になってしまいましたが、早く回復して皆様とお会い出来るのを楽しみにしています。
慶応義塾大学看護医療学部 教授 加藤 眞三著
患者会のリーダーでお世話をしている人はとても元気です。なぜ、病気を抱えていてもあんなに元気なのだろうか。ずっと疑問を感じていましたが、最近その一つの解答をみつけました。それは人と人とのつながりです。
実は、他人に親切にするとオキシトシンという物質が分泌され、そのことが他人への関心や愛着をたかめること、そして、親切をした人の側にも親切をされた側の人にも健康や幸福感をもたらすというのです。今回は、幸福感や健康におよぼす人と人の関係性について、医療の新しい分野の研究を紹介します。
わが国では、病気を治すというと、すぐに薬をのむことと考えがちです。あるいは、外科的な手術を受けることになります。「病気は薬で治すものだ」「病気を治すためには、まず、その原因を追及し、それを取り除いたり排除することが必要だ」「細菌が原因とわかれば抗菌剤を使い、がんができたなら、切り取ったり、抗がん剤で排除したり、放射線でたたけばよい」そんな考え方の下にすすめられる医療は、「医学モデル」の医療と呼ばれます。
科学的に病気をとらえ、その原因をつきとめ、治療をする。わが国で明治以降に普及してきた西洋医学は、経験にたよる医学から科学的な事実の集積の上に成り立つ「医学モデル」の医療を目指してきたということができます。
しかし、原因を見つけ、それを取り除くだけが医療ではありません。その人のもつ元気な部分に注目し、それを育てるという考え方(健康生成論)も提唱されています。
「健康生成」の医療は、病気と健康を全くかけ離れた別の物と考えるのではなく、たとえ病気や障害があったとしても、人間として全体の秩序がとれていれば、相対的に健康であると考えます。そして、健康な部分を育てる、元気を育てるという考え方で対処します。それは、その人のもつ信条や価値観を生かし、人的資源や経済力、社会的資源などを生かそうというものです。
近年、医学論文にも、人と人とのつながりの重要性が注目され始めています。
例えば、米国・内科学会の学会誌に発表された研究は、心筋梗塞で入院した患者を調査し、支援者の数と発病6ヶ月後の死亡率の関係を明らかにしています。入院時に調査した、発病前に情緒的な支援をしてくれていた人の数が多かったと申告していた患者は、発病後6ヶ月後の時点で死亡率が約50%低かったのです。情緒的支援者の数は、「自分の抱える問題について話しを聴いてもらえたり、難しい決断をしなければならないときに助けてくれる人がいるか」という質問で測定しています。このような人と人との助け合いやつながりが、病気発症後の6ヶ月後の死亡率に大きな影響を及ぼしていたのです。
さらに、最近の論文では、どのような因子が人の死亡率に影響をおよぼすかについて調査した多くの施設からの論文を評価し、再分析(メタ分析)して報告しています。喫煙や飲酒、ワクチンの接種、心筋梗塞後のリハビリ、運動、体重、高血圧に対する薬物治療、大気汚染の程度など、死亡率に影響をあたえることはよく知られている要因に比べて優るとも劣らないほど、社会的な人間関係が死亡率に大きな影響を及ぼしているというのです。
従って、良好な人間関係は医療の場でも生かすことが求められているのです。
患者の力: 患者学で見つけた医療の新しい姿
出版社: 春秋社
「患者には力がある!」 毎日を健康に生きるために、そのためにも、真の患者中心の医療を実現するために、いま必要なこととは。
平成23年2月から毎月書いてきたエッセイがひとつにまとめられ、一冊の冊子になった。編集に関わったみなさんありがとう。
今までのエッセイを一冊の本にしたいという私のエッセイを書く目標がほぼ達成された。
ここらへんで書くのを辞めたいと思ったが、文章の構成を担当している娘編集長がそれを許してくれない。多くの人がエッセイを楽しみにしてくれているという事も知っている。今月で終わりというわけにはいかない。まとめとして書きたいことがまだ残っている。
四月に腕を骨折後、体力と気力が一気に低下し、目の動きもさらに悪くなり、想いをつたえるのが難しい。筋肉が萎縮し、その代わり脂肪がお腹周りに溜まり、今までにないメタボ体型になっている。それと病気の進行とで体はとても重い。だが体が続くかぎり頑張りたい。
5月29日OPLL友の会の第3回患者・家族交流会を南風原町「ちむぐくる館」で開催しました。イスやテーブルが次々と追加される程、たくさんの方々が参加してくださり病気の事や病院、手術に対する不安、日常生活から今後の事等色々と活発な意見交換がなされ、あっという間の2時間でした。
今後は医療講演等も含め更に充実した患者会にしたいと希望も膨らんできました。
その後の役員会で次回開催を8月5日(水)とし毎月開催を目指すことにしました。
また、同じ病を抱える名護の山内様より手作りのフクロウ・ストラップを交流会参加の皆さんへプレゼントして頂きました。
山内様 有難うございました。
代表世話人:黒島
樹々さんの難病川柳を読みパーキンソンで他界した父を思い出し泣けちゃった。日課の散歩時、靴を履き一歩を出すのに時間がかかった。
『命より重いこの体!』見ている私よりきつかったことでしょうね。
逝く前日まで日記を書き、ドライブを楽しんだ。で、79年の人生は終わった!
「120才まで生きるんだ!」が口癖だったポジティブな父が自慢でした。
樹々さんありがとう。
〈上里 栄子さん〉
難病がある方や家族の方、サポートする方々で日常感じている悲しみ、辛さ、笑い、皮肉や優しさなどを短歌・川柳にしてご応募ください。
採用の方には寄稿料として千円相当のクオカードを進呈します。詳細は事務局までお気軽にお問い合せください。
難病短歌
またきっと 明日もきみに 会えるから 今日は我が身の 病忘れる
作:ペンネーム みえちゃん
今気まぐれな神様からのプレゼント。難病だったり貴方だったり、病を患ってこその出会いもあるものです。
水泡が チクヒリ背中 我慢なし ひんやり枕 一押しの友
作:上里栄子さん(天疱そう)
蒸し暑い日々、出ては破れる水泡がチクチクヒリヒリする体、でもでも、ひんやり枕を並べて休むと至福の時になるんだょ、ああぁ幸せ!お試しあーれ。
難病川柳
おいしいな 気持ち上がると 熱あがる
作:ペンネーム Youさん(クローン病)
美味しいと感じるものに限って、高熱を引き起こす食べ物だったりします。
おかゆとカチュー湯(鰹節のだし汁)だけではでは生きていけない。
「ラストベガス」/2013年アメリカ作
幼馴染の大親友、年老いた男4人、唯一独身を貫いてきた友が結婚を決意。
ラスベガスでバチェラー・パーティーをしようと集まる事に。老いと男同士の友情が描かれています。
とにかく豪華メンバーで、全員がアカデミー主演or助演男優賞を受賞。
マイケル・ダグラス、ロバート・デニーロ、モーガン・フリーマン、ケヴィン・クライン。
それだけでも楽しめる作品、社会派。
◆BS3にて7月29日午後1:00「世界の果ての通学路」放送。命懸けで学校へ通う子どもたちのドキュメンタリー。
★渡久地 優子{進行性骨化性線維異形成症(FOP)}★
・・・カラーセラピーやパワーストーンも好きで、時々、ネットで見てます。
突きさすような日差しが日に日に強くなり、早くも夏バテ注意の毎日ですがみなさまいかがお過ごしでしょうか?
今月も多くの方々にご参加いただき楽しい会報誌になりましたが、アンビシャス編集部での吉報のひとつにこの支援センターの発起人であり会報誌の創刊者である照喜名副理事長の退院決定があります。
個人的な意見になってしまいますが、治療入院の過酷さと正直な感情の抑揚をベットの上から毎月欠かさず『つぶやきチャンプルー』に執筆してくれた照喜名さんの退院はとても嬉しい知らせでした。
エッセイを執筆いただいている諸喜田さんや照喜名さんの、社会との繋がりの中で自分の病状を前向きに伝えていく姿勢に、私達もふと自分のことや身近な誰かのことを考えてしまいます。そんな時間が大切なのだと気づかされる思いです。
今月は前年度の決算報告や活動報告を要約して掲載してありますが、みなさまもアンビシャスの活動について気づいた点やご意見などありましたらぜひご投稿ください。
多くの方々との交流を編集一同楽しみにしております。
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