1. 難病情報誌 アンビシャス 159号

難病情報誌 アンビシャス 159号

最終更新日:2015年08月01日

 

表紙は語る

努力すれば何でも出来る!

桐原 好枝(きりはら よしえ)さん
網膜色素変性症

Q.病気の事が分ったのはいつですか。

A.子供の頃は全く症状も無く、ごく普通に生活をしていました。
ただ中学1年生の頃、健康診断があり検眼をした医者に「桐原さん、大人になったら段々目が見えなくなりますよ」と言われました。
その頃は目も普通に見えるし「この先生は何を言っているんだろう」と全く気にもならず、また後に全盲となった母親もその当時は目が見えていたので、その医者の指摘は全く理解できませんでした。
しかし20歳頃から少しずつ視野が狭くなってきた感じはあり、また母親がその頃には全盲となっていました。私の祖母、母、私と3代に渡る遺伝によるものでしたが、幸い2人の子供(娘・息子)には遺伝せずにすみました。
その当時、夜盲の傾向はありましたが、電気の下や電灯があれば別に不便も感じず、運転免許も取り夜のドライブに出かけたりと20代まではごく普通に過ごしてきました。
若くして結婚、2人の子供を授かりましたが、その後26歳で離婚、生活費を稼ぐため全盲の母親に子供たちを預け東京に出稼ぎに出ました。沖縄に残した家族へ送金するため、昼も夜も必死に働き10年近く東京で働いていました。
確かに夜は見えづらくはありましたが、さすが大都会、夜でも街はとても明るく仕事する上であまり支障はありませんでした。また暗い所では注意してゆっくりと確認しながら行動したので、本当はせっかちな性格なのに、とても落ち着いた人に思われていたようです。
その後、生活も落ち着き30代後半には沖縄に戻りましたが、その頃からだいぶ視力が落ち始め、40才になった頃には全く見えなくなっていました。

Q.目が見えなくなってからの生活はどのようなものでしたか。

A.沖縄に戻り24時間営業の喫茶店をしばらく経営していましたが、だいぶ視力が落ち、さすがに勘だけを頼りに仕事を続けるのは無理があり残念ながら店を閉めました。
目が不自由になる事をある程度は予想していましたが、全く見えなくなるとは思っていなかったので、当初は見えない事が恥ずかしく、周囲のひそひそ話がとても気になりました。今でこそ網膜色素変性症の医療も進み、進行を抑えたり、遅らせたりすることが出来る様になりましたが、その当時はそんな知識もなく、親もそうだったからとすっかり諦めていました。ただ中学生の頃の医者の言葉が心の片隅にあった事と、幼いころから全盲の祖母の手を引いたりしていたので、見えなくなってからの覚悟というか心構えはできていたように思います。
50歳になり生活もかかっているので一念発起、福岡県にある国立のマッサージの学校へ単身入学しました。当初は盲人イコールあん摩というのが嫌でその道を避けていましたが「では今の自分に出来ることは何か」と考え直し決断しました。
若い人に混じり体の仕組みやツボ等を5年間みっちり勉強してあん摩マッサージ指圧師・鍼灸師の国家試験に合格。 10年前に自宅で鍼灸マッサージ店「桐ちゃんの手」を開きました。

Q.現在の楽しみは

A.目が見えないと何もできなくなると思い込んでいましたが、見えなくなってから他の感覚が研ぎ澄まされるようになり、耳・鼻・指先は敏感になりました。
まだ喫茶店をしていた頃、店の従業員に三板(サンバ※注1)の得意な娘がいて、三板をよく鳴らしていたので「私にも出来るかねー」と教えてもらううちに、その娘が褒めるので三板に夢中になり、それがきっかけで太鼓や踊りにも挑戦するようになりました。歌三線は娘(しゃかりのチアキさん)がやっていて、比べられるのは嫌なので娘がやっていない事をやろうと古典太鼓を習い始めました。太鼓の先生には正に手取り足取り、先生の手や足を触りながら動きをつかみ覚え込みました。その成果もあり新人賞・優秀賞・最高賞とトントン拍子に頂けるまでになりました。全盲で最高賞まで手にしたのは私だけという事を誇りに思います。
また踊りも太鼓の師匠に習い「しゃかり」の10周年の記念コンサートに「日傘踊り」で娘と共演したのは最高の喜びでした。
現在は横笛や指笛に取り組んでいます。

Q.盲導犬「ウィッピー」との出会いについてお聞かせください。

A.ウィッピーと出会う前まで、いろんな方に盲導犬を勧められましたが、盲導犬はお金がかかり貧乏のどん底にある私には縁のないものと思い込んでいました。
そんなある日、沖視協(沖縄県視覚障害者福祉協会)へ用事があり国際通りから路地に入りこんだ時、道に迷いとても不安になった事がありました。そのことを当時の局長さんに話すと局長から「桐原さん何で盲導犬を申請しないの」「あんたみたいにあっちこっち出かける人にこそ必要だよ」と諭されました。局長から「ちゃんと申請が通ればそんなにお金はかからないよ、早く申請しなさい」と教えられウィッピーと出会う事が出来ました。
ウィッピーと生活を共にするようになりやがて6年になります。その間ウィッピーは私の目となり、手足となって私を支えてくれ、おかげで私の行動範囲がグーンと拡がり生活をエンジョイしています。私は現在、私たちのような全盲の人にとって盲導犬がどんなに重要で大切な存在か理解してもらう為、小学校や老人会等いろんな場所で講話をしています。またショッピングセンターやレストラン等いろんな所へウィッピー出かけ盲導犬のアピールをしています。中には「犬の同伴お断り」とか「外に繋いでおいてください」など理解のない人もいますが、身体障害者補助犬法により、公共の施設や交通機関、デパート、ホテルなどの民間施設などにも入ることが認められている事を知って欲しいと思い行動していますそのことがウィッピーを授けられた私の使命だと思っています。

Q.最後に読者の皆さんへメッセージをお願いします。

A.よく学校で生徒たちに話す事ですが、確かに目が見えず不便ではあるが「人間好きなことなら、何にでも挑戦出来る」「努力すればどんなことも出来る」と思っています。
だから皆さんも夢に向かって頑張ってください。


※注1
 琉球音楽で用いられる文字通り三枚の板で構成される小型の打楽器。フラメンコのカスタネットに近い音色で三線に合わせ打ち鳴らす。

語者プロフィール

桐原 好枝(きりはら よしえ)さん
1949年奄美大島生まれ。
幼少時家族で北谷町へ移住。
20代後半より網膜色素変性症の症状が進行、40歳頃に全盲となる。
50歳でマッサージの国家資格取得の為、単身福岡県で5年間学ぶ。
現在自宅でマッサージ店「桐ちゃんの手」を営む

*娘さんは、伸びやかな歌声を響かせ県内外で活躍の「しゃかり」のボーカルチアキさん

  •  

  • 伊江島マラソンでウィッピーと走る

  • 小学校で盲導犬の役割について説明

6月の報告あれこれ

ALS沖縄県支部総会

日本ALS協会沖縄県支部第8回総会に音響周りのお手伝いとして参加しました。
当日は那覇看護専門学校の生徒さんたちが20名もボランティアとして参加、会場作りから、受付、片付けとテキパキと手伝われ運営がとてもスムーズに進行していました。
このような若い方たちが、難病のことを学び理解しようとする姿勢を心強く思いました。
また、当日は中部病院の金城正高先生の講話があり、医師を含め医療関係者がともすれば陥りがちな、病気ばかりを見て、病気にかかった個人、その人の人格を見落としがちとの指摘、一番重要なのは患者に寄り添い、患者の意思を尊重することだ!というお話に深い感銘を受けました。

脊髄小脳変性症/多系統委縮症
第1回交流会

脊髄小脳変性症・多系統委縮症 患者・家族交流会(那覇・南部地区)が発足、6月27日に記念すべき第1回交流会が南風原町の「ちむぐくる館」で開催され、当事者・家族を中心に36名の方が参加されました。
この間、代表の井上さんをはじめ8名の世話人が幾度となく集まり、会の立上げ・運営について時間をかけ話し合うと共に、アンビシャスや担当保健師とも連携し十分な準備を重ね今回の発足式に至りました。
病気の悩みや現状の改善策など患者同士ならではの相談が出来、共感や心強い仲間が出来たことによる安心感など、交流会に参加して良かったという満足感がみなさんのお顔から感じられました。またこれだけ多くの皆さんが交流会を待ち望んでいたことを改めて感じました。アンビシャスでは会の自主性を尊重しながら、今後もサポートして参ります。

難病支援に関するPR活動

アンビシャスでは難病についての理解を深め、難病支援活動に賛同を頂くことを目的に、様々な会に参加し説明させて頂いています。
6月は那覇市の「障がい者ジョブサポーター養成研修会」と那覇市保健所の「保健師連絡会議」の中でお時間を割いて頂きました。
ジョブサポーター養成研修会では難病についての概略及び障がい枠の中での難病の意位置づけについて、那覇市保健所では今年度より全ての保健師さんが難病に関わる事となりましたので、改めて難病相談支援センターとしての活動やその他支援活動を説明し、今後の連携強化をお願いしてきました。
アンビシャスではこのような説明会を積み重ねることにより、難病についての理解を深め支援活動への協力の輪が広がり、難病の方々のQOL(生活の質)向上へ結び付いていくと確信しています。

こころの現場から

「それぞれの夏」

鎌田依里

臨床心理士 鎌田 依里(かまだ えり)

いよいよ夏本番です。
あなたは夏にはどのような生活になるでしょうか。

膠原病の患者さんで紫外線過敏のある方からは「夏は、紫外線対策をして外出することが大変だし、体調悪化が心配だから嫌だわ。海水浴したいのにできないし、外出時は手袋に日傘、帽子にサングラスかけて、全身黒ずくめで嫌だわ。」という話しをしばしば耳にします。
オストメイト(人工肛門)のある方からは、「夏は、ケアを頻繁にしても便の臭いが強くなるから嫌だわ」という話しをしばしば耳にします。
人工透析をしている方からは、「夏は暑くて喉が渇くけど、水分補給を多くしすぎてしまうと体重が増えてしまって、透析で水が引けきらない。水分を控えなきゃだから、暑くて大変だから嫌だわ」という話しをしばしば耳にします。

確かにその通りで、夏を乗りきることは工夫と労力を必要とします。しかしながら、嫌なことばかりに意識を向けていても、嫌なことはなくなりません。だからといって、嫌なことにまったく目を向けず生きていくことは甚だ困難ですし、それは心理的な成長を阻む《逃避》になるので心理的にも良くありません。
嫌なことは確かに嫌ですが、少しでも気持ちが穏やかで楽しくいられるように、自分なりの何か一工夫が見つかるといいですね。
そのためには同じ悩みを抱えている方に工夫を尋ねてみたり、辛さや苦しさを話し分かち合うだけではなく、
《ではどのようにしたら、その嫌な状況を少しでも打開できるか》
という側面で話し合うのもよいかもしれません。

同じ悩みを抱えて生きているからこそ、知恵を出し合いお互いがよりよい状態になれるような力があるのだと思います。
それがピアサポートであり、患者会の強みであるのかなと思っております。

つぶやきチャンプルー

「マイナスはプラス」

照喜名通

著:照喜名通

沖縄は暑いと改めて感じています。というのも、退院して自宅療養しているのですが、自宅は病院のように一日中冷房完備とはいかないからです。熱中症にならないように水分補給に充分気を付け、一次的な人工肛門管理により腸を休めながら在宅栄養療法(点滴)で療養しています
。 9月には人工肛門を閉じる手術で再度入院し、その後にやっと復活に向けて活動を再開する予定です。
今回の手術入院で、難病者としての自分を意識し、不自由な病院生活を味わい、改めて日常生活のありがたさを感じています。人工肛門となることに対して、ショック、拒否、諦め、攻撃、ひとりで泣いたりと、受け入れるまでに時間がかかりました。

今回の人工肛門管理と訪問看護無しでの在宅点滴栄養療法の体験は、今後の相談をうける際の貴重な財産になったと思うようにしています。
人生マイナスはプラスです。

シリーズ 「患者学」第4回

人と人とのつながりの中に健康になる 2

慶応義塾大学看護医療学部 教授 加藤 眞三著

愛の源が物質レベルでも明らかに

 人と人の関係性を良好なものにする鍵となる物質についての研究も始まっています。それはオキシトシンと呼ばれる内分泌ホルモンです。脳の視床下部から分泌され、9個のアミノ酸でできています。もともと、分娩時に子宮を収縮させ、授乳時に乳腺の筋繊維を収縮させて乳汁を分泌されるホルモンとして知られ、最近、愛する心に関係するホルモンとして注目され始めています。
例えば遺伝子操作でオキシトシンが出ないようにされたマウス(ノックアウト・マウス)では、攻撃的な行動が激しくなり、飼育箱の中で始終攻撃し合っているか、疲れてくればケージの四隅でお互いに相手を警戒し身構えることが観察されます。そして、オキシトシンの投与により、仲間との親和性が回復するというのです。
 オキシトシンは、分娩時の児の産道通過や授乳時の乳首への刺激により大量に分泌されますが、その結果、子供に対する愛情がより強くなるというのです。オキシトシンが出ないマウスでは、子供が生まれても乳汁が分泌されず、子供の世話をしようとせず、子供は育たず全部死んでしまうのです。
 一方、お産や授乳などによりオキシトシンが大量に分泌された母親は、幸福感も高くなり、ストレスや不安に対しても強いことがわかっています。人を対象とした研究でも、授乳の累計期間が長い母親では、その後に高血圧、糖尿病、脂質異常、心疾患などにかかりにくいことも明らかにされています。
 したがって、授乳は子供に対して母乳の成分が良いからというだけではなく、母親の身体的な健康にも役立ち、さらに、母親と子供の関係づくりにも大切な役割をはたしているのです。オキシトシンは、肌の接触による体感刺激、見つめ合う視覚的刺激でも、分泌が増えます。
母児を早期に分離させるとオキシトシンはでにくくなり、よい母児関係をつくりにくくなります。母児関係が上手くいかなかった子供は、将来他の人との対人関係を作ることに困難をおぼえ、知的障害や没社交性、自閉症などをきたしやすいというのです。

オキシトシンの分泌を刺激するには

 オキシトシンの分泌は男性にもみられ、分娩や授乳だけで刺激されるのではありません。 例えば、身体の触れ合い、肌のぬくもりを感じる、愛撫などによっても分泌され、抗ストレス効果を発揮すると考えられています。マッサージや暖かい環境の提供、身体的な接触、心地よい音などの刺激でも、オキシトシンの分泌が促され、人間関係をよくすることになります。また、他人への思いやりや共感する行為がオキシトシンを増やすことも報告されています。オキシトシンは、他人に対する愛情を増やし、その人の幸福感にも寄与し、良い人間関係づくりにも役立つというのです。
 「情けは人の為ならず」という言葉がありますが、人だけでなく動物実験でも「仲間に親切にすることが自分の心の安定や幸福感のためにもなっている」ことがオキシトシンの研究で明らかにされました。愛を生み出す遺伝子が生命の身体にはすでに埋め込まれているということがわかります。自分にも、周りの人にもオキシトシンが満ちあふれる世の中にしたいものです。
オキシトシンで満たされるみろくの世を実現したいものです。

参考図書
 高橋 徳「人は愛することで健康になれる(愛のホルモン・オキシトシン)」 知道出版 2015

慶応義塾大学看護医療学部
教授 加藤 眞三
1980年、慶應義塾大学医学部卒業。1985年、同大学大学院医学研究科修了、医学博士。
1985~88年、米国ニューヨーク市立大学マウントサイナイ医学部研究員。
その後、都立広尾病院内科医長、慶應義塾大学医学部内科専任講師(消化器内科)を経て、現在、慶應義塾大学看護医療学部教授(慢性病態学、終末期病態学担当)。

患者の力: 患者学で見つけた医療の新しい姿
出版社: 春秋社

「患者には力がある!」 毎日を健康に生きるために、そのためにも、真の患者中心の医療を実現するために、いま必要なこととは。

アンビシャス広場

~エッセイ~ 「笑顔の秘密」 諸喜田 美智代さん(ALS)

「保健師のあなたがやってきたことが試される」
ALSを疑い受診した病院で担当医師から言われた言葉だ。

厳しい言葉に私は戸惑った。これから難病と闘っていかなければならないのにこの言葉と、いろんな思いが頭をよぎり不安で押しつぶされそうになった。無我夢中で車を走らせ着いたのはK先生の病院だった。
K先生は、私が難病を担当していた時、患者支援で良くお世話になった先生だ。連絡もせず突然行ったのに、先生は忙しいなか時間を作って私の話を聞いてくれた。聞き終えて言った。
「確定診断が出たら僕が外来でみるから」
その言葉に胸のつかえがとれた。この事が今の私の心の支えになっている。それを知っている娘は、私のくいしばりがひどく顔が強張っている時、先生の名前をつぶやく。それを聞いた私は頬の筋肉が緩んで笑顔になってしまう。先生の名前を聞くと必ず笑顔になる私を見て娘はたびたび先生の名前を出してくる。

K先生、風邪を引いてないのにくしゃみが出ることはありませんか?(笑)

各患者団体からのおたより

脊髄小脳変性症・多系統萎縮症
那覇・南部地区患者の会が発足しました!!

昨年から患者会発足に向け準備に取り組んできましたが、ついに6月27日(土)第1回目の患者交流会を開催し、患者会として記念すべき第一歩を踏み出しました。
当日は天気にも恵まれ多数(総勢36名)の方が参加してくださり、参加者の自己紹介~交流会とあっという間の楽しく充実した2時間でした。
また那覇・南部地区合同の交流会は初めてとあって、これまでの保健所主催の交流会とは一味違った雰囲気でとても新鮮でした。
これからも定期的に交流会等を開き、みなさんの笑顔がたくさん見られるよう頑張っていきたいと思います。

代表:井上栄治

読者の声(READER'S VOICE)

先月の表紙の佐久間さんの歌声聞いたことがあります。
2年位前の奥武山での「杜の賑い」コンサートで中性的な澄んだ歌声で歌っていた姿を思い出しました。ステージからは難病を持っていると想像できなかったけど、きっとすごく努力したんだね。これからのご活躍を期待しています。

〈K.Y〉

テルキナマンさん
お帰りなさい。入院・手術大変なだったと思いますが、病床からのつぶやき執筆等いつでも前向きなお言葉、自分の事よりも皆の事!テルキナマンさんにはいつも元気づけられ、勇気をもらい本当に感謝です。
どうか無理せずこれからも私達、難病患者の支えでいてください。 つぶやきチャンプル〜楽しみにしています。

〈ペンネーム T〉

難病川柳・難病短歌

難病がある方や家族の方、サポートする方々で日常感じている悲しみ、辛さ、笑い、皮肉や優しさなどを短歌・川柳にしてご応募ください。
採用の方には寄稿料として千円相当のクオカードを進呈します。詳細は事務局までお気軽にお問い合せください。

難病川柳
忘れずと メモしておいて これは何
作:ペンネーム 樹々さん(パーキンソン病)

まだらボケ 病気のせい?年齢のせい?

番外編 難病琉歌
病み苦ちさあてぃどぅ 手足むまりゆる 真リハビリや 神ぬ手仕事
作:ペンネーム 名護のスーミーさん(後縦靭帯骨化症)

通院しているリハビリスタッフのマッサージに助けられています。

お勧め映画情報

「アントキノイノチ」/2011年 日本作

さだまさし原作で「生と死」と「遺品整理業者」をテーマにした作品。
邦画は、あまり観ませんが、この作品は”観たい”と思い観たもの。出演は 岡田将生と榮倉奈々ほか。
いじめ、躁うつ病の少年が遺品整理の仕事を通して、成長して行く。
イノチの重さや尊さ、人との関わりを考えさせられる作品です。

◆BS3にて8月21日(金)午後1:00~3:13放送予定。

★渡久地 優子{進行性骨化性線維異形成症(FOP)}★
・・・カラーセラピーやパワーストーンも好きで、時々、ネットで見てます。

今月の占い

  • 牡羊座 3/21-4/19
    感謝の気持ちを忘れなく
    ☆ストレス解消法:カラオケ
  • 牡牛座 4/20-5/20
    人の真似は良い部分を
    ☆ストレス解消法:ドライブ
  • 双子座 5/21-6/21
    マイナスを考えず前向きに
    ☆ストレス解消法:日記や書
  • 蟹座 6/22-7/22
    意固地にならず優しさを
    ☆ストレス解消法:ウォーキング
  • 獅子座 7/23-8/22
    小さな目標や夢を持って
    ☆ストレス解消法:ストレッチ
  • 乙女座 8/23-9/22
    人の所為にすれば成長なし
    ☆ストレス解消法:料理
  • 天秤座 9/23-10/23
    楽しく過ごせる環境作りを
    ☆ストレス解消法:掃除
  • 蠍座 10/24-11/21
    目配り気配りを忘れずに
    ☆ストレス解消法:塗り絵
  • 射手座 11/22-12/21
    人の欠点を見ず褒めること
    ☆ストレス解消法:土いじり
  • 山羊座 12/22-1/19
    涙は心の浄化です
    ☆ストレス解消法:音楽鑑賞
  • 水瓶座 1/20-2/18
    固執しすぎず、視野を広く
    ☆ストレス解消法:仮眠
  • 魚座 2/19-3/20
    楽しかった、良かった探しを
    ☆ストレス解消法:散歩

編集後記

元気いっぱいのセミの鳴き声で目覚める今日この頃、みなさまいかがお過ごしですか?
 暑さにぐったりの毎日ですが、5頁の鎌田さん著『それぞれの夏』を読んで穏やかな気持ちになりました。 考えてみれば四季のある日本の中の、亜熱帯な沖縄で夏が暑いのはあたりまえ。地球が一年かけて太陽を回っているのですから、むしろ寒い夏のほうが恐いです(笑)。

そして今月も、特集の桐原さんの前向きでアクティブな日常と盲導犬ウィッピーの可愛らしさに目を釘付けにされながら楽しく編集が進みました。毎月、特集に登場くださる皆様の難病と向き合ってきた半生を読んでいると、人はみんな生まれてから山あり谷ありの毎日を過ごして今があるのだとあらためて実感します。
 先月発足した『脊髄小脳変性症・多系統萎縮症 那覇・南部地区患者の会』のみなさまも難病を通じてたくさんの問題と向き合っている方ばかり。これからの交流活動がとても楽しみです。

まだまだ暑い日は続きますが、夜空に光る星座の美しさやカエルの鳴き声もまた夏だけの楽しみですよね。
どうぞよい夏をお過ごしください。