最終更新日:2016年02月01日
宮城 秀明(みやぎ ひであき)さん
筋ジストロフィー
A.筋ジスなので症状は1・2才の頃には既にあったと思いますが、専門の先生に診てもらったのは小学1年生の頃です。その当時、県内に筋ジスの専門医は少なく、唯一専門医のいる病院で筋ジスと診断されました。私自身は小学2年まで普通にみんなと遊び学校に通っていましたが、やはり少し歩き方がぎこちなかったかもしれません。
その後、特別支援学校に移り小学校を卒業。それまで面倒を見てくれていた祖母が亡くなったこともあり中学に移る頃、その病院の施設内で暮らすようになりました。
当初は高校を卒業したら自宅に戻りたいと希望していましたが、その頃になると身の回りの事も自分ではほとんど出来ない状態だった為、自宅で面倒を見てもらうのも難しく、暗黙の了解ではないのですが、28才になるまでそのまま病院の施設内で暮らしていました。
A.病院施設から自立生活へと踏み出した方々の話は聞いていましたが、当時の私にはそのような人達は、いろんな能力がある雲の上の人たちという風に思っていました。
また病院施設での生活も長く、自立生活を送ってみたいという漠然とした希望はありましたが、その環境から離れることへの不安もあり、なかなか踏み出すことが出来ませんでした。
転機は肺炎を繰り返し体調がものすごく悪く、ずっと点滴を打ちながら療養を送っていた28才の頃でした。周囲の人も「この調子だと気管切開かもしれない」という雰囲気になり、「もし気管切開したらあと何年生きられるか」と死を身近に感じるようになりました。長年過ごした病院施設ではあっても、私は一患者に過ぎず、きっと「あー亡くなったんだ」で終わり、私がそこに居たという事もすぐに忘れ去られると考えました。そしてその事がひどく怖く「自分の一生、存在ってなんだろう」「何の為に生きているのか」という思いが強くなりました。
これまでの人生を振り返り「私が生きてきた証はなんだろう」と自分に何度も問いかけ、どんな形でもいいから自分が生きてきた証が欲しいと思うようになりました。その様な状況の頃、自立していった人たちを思い出し、「気管切開をする前に一度でいいから自立生活をしたい」という欲求が強くなりワラにもすがる思いで「自立生活センター・イルカ」(以下イルカ)に相談の電話をしました。
しかし、そのたった一本の電話を入れるまでに実に半年も要しました。自立の希望は以前から持っていましたが「今は体調がすぐれないから」などと言い訳をして、その実、将来の不安から目を背けて決断を先伸ばしにしてきたのです。個人的に感じることは、私みたいに施設生活が長い人ほど今の環境を変えることが怖いのではないかという事です。その一歩を踏み出すのに大変な勇気がいると思うのです。私の場合、気管切開の決断を迫られ、人生に対する危機感から初めてその一歩が踏み出せました。時間はかかりましたが「自立したい」この一言をやっとの思いで伝えた事により、イルカスタッフや病院側、関係機関、行政の粘り強いサポートを受け、長年の夢を叶える事ができました。その結果、自立生活による気持ちの張りもあったのか、以前より健康になったように思います。
A.今まで自立する事が最大の目的だった為、いざ施設を出た途端に目標を失ってしまい、燃え尽き症候群の様にダラダラと過ごす毎日がしばらく続きました。「生きる証が欲しい」などと言って自立生活を始めたのに、何事にも自信が持てず、自分に何が出来るのか、何をしたらいいのか全く分からない状態でした。その様な私を見ていた周りの人から「こんな生活を続ける為に自立したの?」「毎日ポケッとするのが目的だったのか?」などと指摘された事や、丁度その頃「一緒に活動をしてみないか」と声をかけてくれた事もあり、私と同じように自立を考えている方の支援を少しずつ手伝うようになりました。
しかし自立生活を始めてイルカのお手伝いをするまでにも3年の時間を要しました。その間ずっと葛藤の毎日でしたが、今思うとその3年間は私自身を見つめ直すのにとても必要な時間だったと思えます。
A.現在イルカのピア相談員(※注1)の一人として障がい者の自立支援の仕事に携わっています。今まで支援を受けている側だった私が、いざ支援する立場になって思う事は、自立して私自身が望むような生活を送れるようになったのは、自立を支えるサポーターの存在が大きい事に気づきました。そして私自身をサポートして頂いた方々の努力や支援に改めて感謝出来る様になりました。同時に支援するという行為がどれだけ重い事なのか、支援を通して支援者側が本人からどれだけエンパワメント(※注2)されているかを実感できるようになりました。
自立支援で心がけている事は、本人の状態を勘案しながら自立するために何が必要か、何をやるべきかを一緒に考え取り組んでいく事、支援者の自己満足にならない様、本人が主であることを意識する事、その中で本人の役割と他者に思いを伝えられる力をつけていく環境を考える事。
私自身が経験を積むことで生きる自信につながり、生きている実感を得られているから言えることです。本人の出来る事とサポートが必要な事のバランスを上手く取る事が大事で、それを意識することによって私も地域の中でどう生きていくかを考えていくきっかけに繋がっています。ただ私自身、障がい者として相手の気持ちが分るだけに焦って動いてしまい、その方の経験を奪ってしまう事もあり反省の毎日です。そのため主体はあくまでも自立しようとしている本人であり、全て支援者がカバーするではなく主体的に生きていく方法を一緒になって考えていく事を心がけています。
そういう意味では支援者自身も本人からエンパワメントされているのではないでしょうか。
支援する事により私自身の生き方を見つめ直し、成長のチャンスを得ることができるでは、と思うのです。この経験を通して一人でも多くの障害を持つ方の自立に向けた活動ができる力をつけていきたいと思います。この様な活動を通じて私の「生きてきた証」となれば嬉しいです。
A.現在自立生活を送っている方々は私も含め、必ずしも特別な力がある訳ではないと考えています。現に私はそこに辿り着くまでにかなりの時間を要したごく普通の人間で、これまで多くの失敗を繰り返してきました。ただ地域で生きていきたいという希望、気持ちがあり、それを実現する為の相談体制や根気強いサポートが今もあるからです。私も障がい当事者として、障がい者が一人でも多く地域社会の中で生きられる環境つくりができるように力をつけていくことを目標に、日々取り組んでいきたいと思います。
※1 ピア相談員……同じ障がい・背景を持つ障がい者の相談員
※2 エンパワメント…… 障がい者が主体的に生きていける力を取り戻していくこと。
(県インクルーシブ社会条例第33条を参照。)
宮城 秀明(みやぎ ひであき)さん
1980年うるま市田場生まれ。 病院施設での16年に及ぶ長い療養生活を経て自立生活を始める。 現在、自立生活センター・イルカ事務局長、自立生活センター・インクルーシブ(那覇市泊)スタッフ。 障がいのある人もない人も共に暮らしやすい社会(インクルーシブ社会)の実現をめざし活動。 【趣味】ノンステップ・バスで外の景色を見ながら行く先々を散策すること 【楽しみ】帰宅後の缶ビールでの晩酌
沖縄県内でも67名程と患者数の少ない疾患の一つビュルガー病(別名バージャー病)の医療講演会を12月20日に沖縄産業支援センターで実施しました。同病に関する沖縄県内での医療講演会は過去ほとんど無く関係する方には貴重な講演となりました。
講師に東幸仁(ひがし ゆきひと)先生(広島大学 原爆放射線医科学研究所 ゲノム障害医学研究センター・ゲノム障害病理研究分野 再生医科学研究部門)をお招きし「ビュルガー病と再生医療」と題しご講演を頂きました。座長は沖縄県内で同病に熱心に取り組まれておられる比嘉 南夫(ひが なみお)先生(那覇市立病院循環器内科部長)に進行をお願いしました。講演の中で「喫煙」が増悪の大きな要因であることや、新たな治療の「治験」が始まっていること等、基礎情報と最新の情報がお聞き出来ました。
東先生のお話は講演の中でも、その後の交流会での参加者からの質問に対しても、わかり易い言葉で一つ一つ丁寧にお答えになり、当日は16名の参加と少人数ではありましたが、参加されたみな様はそれぞれに納得がいき、充実した内容の講演・交流会になりました。
先月発症した方から病歴20年の方などそれぞれ背景は違いますが、参加されたみな様からは病態から治療の過程、血管の再生方法など色々聞けてよかった。最新の治療法等、病気に関する情報が得られた等のご感想を頂きました。
次回は春頃に当事者同士の交流を主体とした会合を予定しています。交流をご希望の方は是非参加ください。尚、沖縄県内の治験については那覇市立病院で受け付けているそうです。詳しくは同医院へお問い合わせください。
12月24日アンビシャスの活動について鹿児島純心女子大の柿本教授、八田教授が視察の為お越しになりました。
各都道府県に難病相談支援センターは設置されていますが、その形態は各都道府県によって異なり、行政が直接運営している県、難病専門病院の運営、患者団体の運営と様々です。その中でもアンビシャスは沖縄県よりの委託費用以外に支援者からの寄付も多く、またその活動も相談支援センター事業以外に停電時緊急電源確保等、難病に関わる多くの事業を行っており、大変ユニークな存在との事でした。
中でも毎月発行の難病情報誌「アンビシャス」の中で、いろんな疾患の当事者による体験談「表紙は語る」は県外でも注目されているとの事でした。
今回はこのようなアンビシャスの活動や運営法、理事会の役割、支援者による寄付等、いろんな角度からの質問を頂きました。このような視察を通し、私たち自身の活動を見つめ直したり、他県の支援センターの良いところを学んだりとアンビシャスとしても有意義な時間となりました。
12月も那覇守礼ライオンズ様、西崎オートサービス様はじめ18件もの法人・個人の方から合わせて約15万3千円の寄付を頂戴しました。この場を借りて深く御礼申し上げます。みな様の寄付に託されたアンビシャスへの期待に応えられるよう、私たちはしっかりと足元を見つめ難病支援に邁進して参ります。
みな様からの御浄財は、この会報誌の作成費用やその他支援活動に充てさせて頂きます。
臨床心理士 鎌田 依里(かまだ えり)
あなたも会話の中で、ふと言い間違いをしたことがあるのではないでしょうか。そして、言い間違いをした自分に驚いたり、なぜ自分が今この言葉を発したか不思議に思ったりすることがあるのではないでしょうか。
精神分析では、言い間違いに注目するという考え方があります。ちょっとした言い間違いに心理状態や隠された願望が現れるという考え方です。これは精神的な疾患ではなく誰にでも生じ得る現象です。
例えば「○○は面倒だ…いや、予定があるので難しい」という話では、一般的な差し障りのないお断りの言葉を言いたかったが、本音が内包されている「面倒だ」がふと表面に出てしまって自分がそう思っていることに驚いたり、心理的には似たような親密度の場合、名前の言い間違いではより親密な方の名前が出て自分がどれだけその方のことを常に考えているのか気づいたり等、日常的に言い間違いは起こり得ます。
確かに、脳の機能的な問題で一部分が損傷されていたり、軽度の認知症だったり、知的な遅れがある方との会話では名称の言い間違いが多く見られますので、上記の精神分析の考え方が当てはまりません。また、知らず知らずに自分の考えていることが声に出てしまっているという場合には、異なった精神疾患が予想されますので専門家に受診することをお勧めします。
言い間違いは、自分を理解したり、ピアサポートにおいて相手を様々な角度から考察し直し理解することにおいて少し役立つ知識です。先の「面倒だ」の例でも、それをすると体調が悪化しそうで怖い等の不安な気持ちの現れかもしれません。
言い間違いから相手との関係をより良いもの変えていくチャンスも見つけられるといいなと思います。
著:照喜名通
最近、パソコンやスマートフォンを使うことが多く文字を書かなくなったことで、漢字が書けなくなった話しをよく聞きます。私の場合には、小学生の頃から漢字が苦手なので、今に始まったことではないのですが、まさに現在は、拍車をかけて漢字が書けないです。漢字が書けないことをパソコンの普及のせいにするつもりは無いのですが、明らかに原因の一つではあると思います。同じようなことで、文明の進化で生活が変わりやがて体力などの退化する事例があります。現代の沖縄の人は歩かない。近くのコンビニに行くのも自動車を使う。便利だから自動車はどんどん進化して、ギア式からオートマチック式、最近はGPSと人工知能でハンドルを握らなくても運転を自動にする時代に突入しています。
運動しないから体重が増え色々な病気を発症し結果として短命になる。という意味では退化なのですが、逆に体重減少させる機器や肥満による疾病の治療技術が向上することで、新たなイノベーションとなり、文明が進化することになっていきます。なので、文明の進化と体力の退化、もしくは、劣化は反比例するのでしょう。人類は退化を補うことで、新たな文明を進化させていくのでしょう。
超高齢者社会になって、出来ないことが多くなった人が増えることで、社会も進化の道に進み、難病のケアの向上や治療薬の開発などを期待したいです。
慶応義塾大学看護医療学部 教授 加藤 眞三著
慢性病患者ごった煮会では、最初に患者会の活動の紹介があり、その後にわたしがごった煮会の開催の目的と方法・ルールを20分ほどで説明する。最近はヨガのインストラクター三浦さんが来てくれて、簡単なヨガを教えてくれることも多い。その後、5~8人のグループに分かれて、約90分間グループで話し合う。会の終わりには各グループからグループ内の会話を紹介してもらう。
ごった煮会が終わった後、時間が許す人には2次会への参加を呼びかけている。
病院内の患者向けの食堂で、お茶やデザートを楽しみながら談笑してもらっている。教室を使って行うごった煮会では話し合えなかったことが、気楽な雰囲気のなかで話し合うことができるのもメリットだ。
辛いことや重い話をグループワークでやることの意義は二つある。まず、自分のお手本となる人を見つけることができ、直接話を聴けることである。そこでは、患者としての先輩であるお手本を見つけ、他の人の話を代理的な経験として聴くことができる。そして、自分の未来像を描くことができる。自分と同じような危機的状況にあった人が、そこから抜け出せたことについての話を聴き、自分の危機も抜け出せるのではないかと思い始める。そして、危機をどの様に乗り越えたかを知ることもできる。
二つ目は、自分の体験を語る事にある。体験を語ることは自分の物語をもう一度作り直し、再構築するきっかけになる。自分の過去の物語を整理し、次の新しい物語へと準備し向かうことになる。さらに、その時に、その話を共感して聴いてくれる人をもつことにより、自分が社会に受け入れられていることが確認できる。
一対一のカウンセリングなどで気の合わない人に聴いてもらうより、グループで行う方が話し相手を見つけることができ易い。聴く方も、一人で聴くより大勢で一緒に聴くほうが楽に聴くことができる。よりプライベートな内容を話したいときには、グループ内で話し相手を探し、その人に後で話せばよい。
患者の中でグループワークを行うと、聴くことと話すことの双方の行為により得られるものがある。何よりも、一対一より話しやすい雰囲気をつくり易い。ごった煮会を何回も開催していると、リピーターが増えてきて、リピーターが会によい味(雰囲気)を出してくれる。
特別のトレーニングを受けた専門家によるスピリチュアルケアももちろん大切であるが、このような患者同士の集まりのグループワークが慢性病患者のケアには向いているのではないかと感じている。一つの方法にとらわれずに色々な方法を利用できることにより、患者の生活を回復する選択肢を増やすことにつながる。
患者の力: 患者学で見つけた医療の新しい姿
出版社: 春秋社
「患者には力がある!」 毎日を健康に生きるために、そのためにも、真の患者中心の医療を実現するために、いま必要なこととは。
私はALSを発症して10年、現在は全身の筋肉が委縮して寝たきり、呼吸は呼吸器を装着し機械に任せ、食事は造設した胃婁から経官栄養を流し、意思疎通はパソコンその他の方法でとっています。
つまり要24時間見守りの身です。
さてこんな患者の面倒を見て介護してくれているのはわが夫。
同い年の二人がいつの間にか世間で言われる老老介護になりました。
とはいえごたぶんに洩れず老人になったという意識がないのもまた世の常です。
ただ会話は特殊で一文字ずつ繋いでいくので記憶力が必要です。
それを夫は想定内の話はスムーズでも想定外だと戸惑ったりしています。
また私達に必要不可欠なのがパソコン。
フリーズした時指先で軽くチョンとすれば直るのだが武骨な手では難しそう。
それらの歳の壁は高い。
でもよい点もある。介護は慎重丁寧安全にやってくれる。
君ボケたもうことなかれ。
今月よりこのコーナーを松田さんを含め、月替りで複数の方に担当して頂きます。これまでと違うフレッシュなエッセイにご期待ください。
【日時】2月12日(金)午後2時から4時
【場所】那覇市保健所3階 多目的室
【演題】後縦靭帯骨化症・黄色靭帯骨化症について
【講師】屋良 哲也先生(那覇市立病院 整形外科部長)
※当日は屋良先生を交えての交流会もあります、みな様のご参加お待ちしています。
詳細確認は代表世話人:黒島まで 070-5413-8350
【日時】2月14日(日)午後1時半から2時半(受付午後1時から)
【場所】沖縄県立博物館・美術館講堂
【演題】パーキンソン病の治療(リハビリテーションでの可能性)
【講師】三ツ井 貴夫先生(独立行政法人国立病院機構徳島病院 神経内科臨床研究部長)
詳細確認は事務局長:又吉まで 090-8294-1974
164号を読んで
毎月諸喜田さんのエッセイを楽しく拝読していました。とても寂しいです。幸代さんの想い、そして最後のエッセイから滲み出る大変なお辛さが伝わり、私も涙が溢れました。
いつもユーモアたっぷりのエッセイ、大好きでした。ありがとうございました。
〈ジュウミー〉
いつも会報誌がポストに届いたらすぐに、このエッセイのページを開いて、読んでいました。
家族とも一緒に読んでお父さんの様子、とくにきついところとか当てはまるところが多かったので、読むことで、お父さんには、こうしてあげようって思いました。
エッセイにいつも感謝していました。本当にありがとうございます。
〈K・U〉
難病がある方や家族の方、サポートする方々で日常感じている悲しみ、辛さ、笑い、皮肉や優しさなどを短歌・川柳にしてご応募ください。
採用の方には寄稿料として千円相当のクオカードを進呈します。詳細は事務局までお気軽にお問い合せください。
難病川柳
名の知らぬ お薬見つかる 床の上
作:ペンネーム てぃ~ださん(全身性エリテマトーデス)
毎日服用するお薬。形・色と似ているお薬も多く、口に運ぶまでになぜかぽろっと床に落としていることが良くあります。それで、発見した時には、いつのお薬だっのか?と・・悩むのです。
レントゲン こころの中は 映せない
作:ペンネーム 患者王さん(クローン病)
レントゲン検査すると身体の中まで映されるのですが、もしかしたら、心の中までも映ってしまわないか?なんて想像するのですが、しかし映せるカメラが出来ると怖いですね。
気温より サイフの中身 いと寒し
作:ペンネーム うらめしや自己負担金さん
今回の診察は検査がメインだったので、自己負担金上限額かかりました。
受付でお金を支払うときは泣きそうになりました。
「サマータイムマシン・ブルース」
瑛太、主演作 2005年
タイムトラベルの話。沖縄出身の与座嘉秋や、ブレイク前の佐々木蔵之介も共演。
何度も見ても面白い作品ですが、公開当時のキャッチコピーが「自宅からクーラーリモコン持参したら千円」という割引キャンペーンが行われたとの事。作品内で、クーラーのリモコンが、どういう意味を持つかも面白いです。
「アヒルと鴨のコインロッカー」
2007年
auのCMの金太郎でお馴染み、味のある俳優、濱田岳と共演。引っ越し先のアパートの隣人同士となった2人から話が始まる。
「本屋で広辞苑を盗まないか」と誘われたり、2年前に発生した事件と、様々な事が繋がっていくのだが、劇中歌で流れるボブ・ディランが良い…
★渡久地 優子{進行性骨化性線維異形成症(FOP)}★
・・・カラーセラピーやパワーストーンも好きで、時々、ネットで見てます。
年が明けて初めの編集になります。あらためまして、明けましておめでとうございます。本年もどうぞよろしくお願いいたします。
今号から松田さんを筆頭に新しいエッセイもスタートし、『難病川柳』も賑わいを感じる会報誌の編集作業となりました。
そして10ページでもご案内しておりますが『患者学』を連載いただいてる加藤教授の市民講座も開催決定いたしました。前々からいつかできればいいな、と思っておりましたので沖縄で初のご講座に、私たちスタッフ一同今から楽しみにしています。
参加募集は始ったばかりですのでご家族、ご友人お誘い合わせの上、ぜひお申し込みください。多くの方のご参加で有意義な公開講座にできますよう準備も進めてまいります。
アンビシャスにとって今年度を締めくくる大きなイベントとなりますのでボランティアスタッフなど興味のある方も募集いたしております。紙面でしかお会いできない読者のみまさまとの交流を心より楽しみにしております。
まだまだ寒い日が続きますが、うがい・手洗い忘れずにお身体ご自愛ください。
今月もどうぞよろしくお願いします。
Copyright©2002 NPO Corporation Ambitious. All Rights Reserved.