最終更新日:2016年10月01日
川口 美怜(かわぐち みさと)さん
筋萎縮性側索硬化症(ALS)
2013年7月、当時検査入院していた横浜にある大学病院の医師から告げられた言葉を私は今でも忘れることができない。
「あなたの病名は筋萎縮性側索硬化症(ALS)です。この先歩くことや食べること、話すことができなくなり、人工呼吸器を装着しなければ通常3~5年で死亡します。」
初めて身体に違和感を覚えたのは2011年の秋頃。東日本大震災の発生により人々の価値観が大きく変化した年だった。私は仕事でとある地域の観光PRを担当したことをきっかけに地域の持つ魅力を発信する仕事をしたいと考え、縁あって株式会社ルーツ(浦添市)の今津代表と出会い、沖縄で新たな仕事を始めることになった。
ようやく自分が目指していた仕事に出会えたと実感した矢先の発症。当初は症状も軽く、疲れがたまっているのだろうと考えていたのだが、自宅マンションの階段で脱力して転落したため、沖縄県内の病院を受診した。しばらくは仕事をしながら休みを使って横浜で検査入院するという生活が続いた。確定診断が出ない中で両足に症状が進行し一人暮らしが困難になったため、やむなく仕事を辞めて実家に戻ることを決めた。
私が沖縄で過ごしたのは2年間弱と短い時間だったが、その間には数え切れないほどの出会いと学び、気付きがあった。困難な状況でも“ゆいまーる”の精神で支えあい、自然や先祖を敬い文化習俗を大切にする社会の在り方は、現代の日本から失われつつあるものだ。多くの方の優しさに触れ助けられた日々の思い出は私にとってかけがえのない財産となった。
実家に戻った後、冒頭の病名告知を経て就職活動を行い東京の外資系医療機器メーカーの人材育成担当として勤務していたのだが、全身の筋力低下が進行し、2014年11月に誤嚥性肺炎で緊急入院した。それから4か月の間にインフルエンザ、細気管支炎に罹り、気が付けば呼吸機能は同世代平均値の30%を割るほどに低下していた。この頃、顔にマスクを装着する形で人工呼吸器を使い始め、やむなく10ヶ月勤めた職場を退職した。
そして遂に私は人生における大きな選択を迫られた。すなわち、「このまま呼吸筋麻痺により死を迎えるか、治る見込みはないが人工呼吸器を装着して生きるか」ということだ。私は生きることを選んだ。今まで生きてきた世界の全てを失うことなど考えられなかったし、自分にはまだできること、やるべきことがあると思ったからだ。2015年9月、気管切開の手術を受け私にとっての新たな人生が始まった。
2016年6月、ルーツの同僚の結婚式に招いてもらったことをきっかけに2年ぶりに沖縄に行こうと思い立った。人工呼吸器を装着してから初めての旅行だったため、周囲からは心配の声が上がり、実現までには多くの困難が伴った。
1つめのバリアーは人員体制と環境整備だった。吸引を必要とする私のケアに慣れた両親が付き添ってくれることになったが、2人だけでは体力的な面で負担をかけてしまう。幸いにも以前からお世話になっていた沖縄出身のヘルパーさんが同行を快諾し、様々な介助を引き受けてくださった。また、バリアフリー旅行のコーディネートを行っている一般社団法人Kukuruさんに相談することで滞在中の入浴介助のために看護師さんを派遣してもらい、電動ベッドや移動用リフトもレンタルすることができた。
次に、交通・移動面の問題だ。航空機に搭載する医療機器は事前の届出が必要となるため、旅程が決まった早い段階から航空会社に申請を行った。また、体調面を保証するための医師の許可書も準備が必要だ。到着してからは福祉車両をレンタルして移動した。実際に乗ってみると坂道を上る際に車の重心が車いすを載せている後部座席に偏りスリップしそうになったりと予期せぬハプニングに見舞われた。
その他、宿泊先も問題だった。ホテルの場合、長期滞在だと費用が高額になるうえ、様々な人の出入りが難しいため、個人が所有する物件を借りることにした。立地条件の確認が難しく、坂の上というのが想定外だったことを除いては気兼ねせず過ごすことができ、経済的にも環境的にも良い選択だったと思う。様々な困難やハプニングに直面したが、多くの方によるサポートのおかげで7泊8日の旅を無事に実現することができた。
現在の私は四肢が麻痺し、24時間人工呼吸器を装着している。スピーチカニューレという特殊な器具を用いて声を出せるが、身体に負担がかかるため長時間使うことができず普段は声が出ない。口文字や文字盤を用いてコミュニケーションをとっている。自分がこのような状態になったことに対して、未だに納得がいかず、「どうしてこんな病気になったのだろう」と思わない日はない。仕事や子育てに奮闘している友人達を見て、自分の存在意義がわからなくなり、やり場のない虚脱感に襲われることもある。それでもALSと向き合う中で気付いたことがある。それは、自分はただ“生きている”のではなく“生かされている”のだということだ。
今までに多くの患者さんやご家族が訴えかけてきたからこそ現在の療養制度があり、家族や友人、医療福祉職の方々のサポートがあるからこそ私は生きることを選択でき自分らしく生活できている。自分だからこそできることがあると信じてこれからは難病患者さんやご家族のための活動を行っていきたい。難病に苦しむ皆様、小さなことでも自分の立場でこそできることや伝えられることがきっとあるはずです。前を向いて共に歩んで参りましょう!
※ゆいまーる(沖縄方言 直訳すると「結い廻る」助け合いを意味する)
川口 美怜(かわぐち みさと)
1982年5月宮崎県日向市生まれ、神奈川県横浜市育ち。2011年より2年間沖縄の株式会社ルーツにて広報PR、人材育成業務に従事。現在ALS当事者の立場から情報発信、周知活動を続ける。常に社会と関わりたいとの希望を持つ川口さんをモデルにマンガ「前を向いて」でも取り上げられました。(月刊コミック誌フォアミセス8月号掲載)
【挑戦したいこと】沖縄で講演活動を行うこと ヨーロッパ旅行に行くこと
【好きな音楽】wacci(ワッチ)5人組のポップスバンド。前向きな歌詞とメロディーにいつも励まされています。
【最近の楽しみ】wacciのコンサートではじけること!
アンビシャスでは毎年、看護専門学校の学生さんの実習を受け入れています。
今年度も5月から11月の間、各1~2日間コースで那覇看護専門学校、ぐしかわ看護専門学校の看護学生さんを2~4名ずつ数回に分け、23名の在宅看護論実習を行う予定です。また今年は、来月9月には社会福祉士を目指している沖縄国際大学の学生さんも来られ、相談援助についてディスカッションを行う予定です。
看護学生さんの実習では、昨年1月に施行された難病関連法の概略や難病に関する基礎知識に加え、在宅支援に関連した停電による緊急時の電源確保策(発電機等)、意思伝達装置などのコミュニケーション支援等のアンビシャスの活動についてお話しさせて頂いています。
また日頃の相談業務の中では、先月号の「こころの現場から」の鎌田さんが取り上げていた「傾聴」を大切にしており、学生実習でも学生さんと傾聴の姿勢を学ぶことを目的とした相談場面の実践演習を行っています。
実践演習では、問題を解決したいという思いが強いばかりに独りよがりの結論に導こうとする男子学生さんや、相手の思いもかけない言葉に対応できず、表情も言葉も固まってしまう女子学生さんなど、本当の意味における「傾聴・共感」の難しさを共に痛感しています。
これら実習を通し、アンビシャスの活動を理解して頂く事で彼等が社会人になった時、難病を持つ方々のよき理解者となり、支援者となる事を期待しています。
特に看護学生の皆さんには難病を持つ方々のよき理解者として、それぞれの医療現場で活躍される事を願い、学生さんと一緒に相談員としてスキルアップしていきたいと思っています。
平成16年より12年もの長い間、募金箱を設置して募金にご協力を頂いて参りましたココストア浦添宮城三丁目店様より、残念ながら8月をもって閉店されるとの連絡がありました。
ココストア浦添宮城三丁目店の佐久本社長にはアンビシャスの活動に深いご理解を示され、その間のご寄附累計額は実に17万円近くと難病支援活動に多大なご貢献を頂きました。ここに改めて佐久本社長をはじめ同店舗を通じ募金をされたお客様へ深く感謝申し上げます。
県内では実に74か所の企業、店舗様が募金箱を設置し、同店をご利用のお客様に難病支援のご協力をお願いしています。募金箱を設置されている半分以上の店舗がココストア様同様に10年以上も前から変わりなく継続してご支援頂いており、本当に頭が下がる思いで一杯です。
また新たに募金箱設置の申し入れも頂き、多くの善意に支えられ私共は活動しています。
この紙面をお借りし、改めてみな様のご厚志に深く感謝申し上げます。
臨床心理士 鎌田 依里(かまだ えり)
人には誰しも自分を認めてほしいという欲求があり、一生懸命に生きていても認められない状況や自分の意見が受け入れられない状況が続いたりすると、不満が溜まり自分の周囲にいる人の悪口を言ってしまう傾向があります。悪口でも何でも自分の想いを口に出すとその瞬間は気持ちがすっきりして楽になった気になりますが、発した言葉は言霊でもあるので意識しないところで自分に降りかかってきます。愚痴や悪口を言わずにいられない心理的・現実的状況はとても辛いものです。
その辛い中でさらに自らの言葉で意図せず自分も重ねて傷つけているのですから、何か違う方法で自分の辛い状況を理解してもらえるようにしたいところです。
基本的に、こころのエネルギーは褒められたり成功したり嬉しかったり楽しかったりするときに貯まりますが、せっかく貯めたこころのエネルギーは悪口を言うだけで簡単に消費されてしまいます(心理検査の一つでも様々なポジティブな言葉を連続して口に出していくと気持ちも前向きになるというものがあります)。
新しい事を始めたり、自分のさらなるステップアップとして行動を起こしたりする時等もたくさんのこころのエネルギーを必要とするので、できるだけ普段からこころのエネルギーが貯まるような発言ができるとよいでしょう。
もちろん、ピアサポートやカウンセリングでは悪口を言うことも厭われません。そこでは「なぜ悪口を言いたくなるのか」という気持ちに焦点を当てて、自らを省みるこころの作業を共に行っていくからです。
悪口の裏にある想い、すなわち自分にとって何が不満なのか、不安なのか、恐怖なのか、物足りないのか等見つけることができると、生活の質も向上するかもしれません。
著:照喜名通
クローン病になる以前、IT関係のサラリーマン時代に人生について思い悩んでいる時期があり「なんの為に生きているんだろう」と自分の存在意義に自信が持てない時期がありました。落ち込んでいる自分、楽しい気分の自分、本当の自分はどっちだろうかと考えていました。私を説明する時、所属する会社での自分や家庭での自分、趣味の活動での自分とその活動領域によっても自分が異なります。
照喜名通という名前の自分、沖縄出身という自分、免許証上の自分と、何らかの属性に当てはめ自分というのを認識しています。
しかし、どれも自分なのですが、本当のところはどれが正解なんだろうと混乱してしまいます。けれども、名前などの全ての属性を取り除き、いずれかのカテゴリーにあてはめなくても、今、生きている事実こそが本当の自分だと思っています。結婚して名前が変わろうが、宝クジが当たろうが、難病と診断されようが、本当の自分は変わらないはずなのです。
人は色メガネ越しになんらかの属性に当てはめようとしますが、そんなことは表面的な自分なのです。
生きている自分を信じ、受け入れ、そして他者に対しても色メガネ無しで見られる能力が必要だと思います。
頭で考えている自分を自分と勘違いして自己嫌悪で自信が無い場合でも、本当の自分を受け入れて感謝して生きていければ、もっと楽になれるのでしょう。
慶応義塾大学看護医療学部 教授 加藤 眞三著
前号では、医師の歴史的役割が、呪術者として、父親として、科学者として、保健医療受託執行人として変遷してきたこと、また、それが重なりながら現在に至ってきていることをのべた。
今回は、医師のもつ役割や意識の、それ以外の面についても考えてみたい。
医師の役割の一つに、社会を危険から守る安全装置という側面がある。例えば結核や新型インフルエンザなど特定の感染症が流行するのを防ぐ目的で、患者を隔離し入院させたり、精神障害者から社会が受ける危害を避けるために患者を措置入院させることなどがそれに相当する。
社会を危害から守るためという大義のために、患者本人の意思にかかわらず入院させるという行為であり、患者に対して医師は強権的な強制力を担っているという一面があるのだ。
以上述べてきたような役割の中で、医師の患者に対する意識は作られてきたし、患者も医師をそのような存在としてとらえてきた。さらに、これらに加えて最近の医師に優位な位置にあるというのではなく社会からの被害者という意識もある。
現在、わが国の病院で勤務する医師は、命を守るという重い責任をおいながら、多忙で自由時間が少ない劣悪な労働環境の中で働かなくてはならない。社会の奴隷として働いているかのような被害者意識をもっている場合もある。
また、患者が病を抱えて苦しんでいる状況の前で、医療者が楽しそうにしていてはいけない。そして、患者は弱者なのだからどんな状況であっても患者に対しての怒りや悲しみなどの感情は抑えなければいけないという意識もある。以前にも述べた感情労動者という側面である。
さらに、社会の中で医療不信が高まり、医療訴訟の数も増え、常に裁判の被告人になってしまう可能性をかかえる職場で働いていることになる。そのため、診療するときに、まずは訴えられないように、そして訴訟になったとしても負けないようにという自己防衛意識の中で診察をすすめているという面もある。
このような歴史的な役割や社会環境の変遷の中で、患者の医療者に対する意識や医療者の患者に対する意識は創られてきた。そして、その意識が個人によってそれぞれの重み付けが異なっていても、重なりあいながら存在している。そのような背景で創られたさまざまな意識をもつ患者と医療者が対面するのが診療の現場である。
歴史的な経過、社会的な発展、病気の変遷を考えても、これからの医療は、患者と医療者が対等の立場に立ち、お互いに意見を出しあい、合意を形成するという協働する医療が求められていると考えられる。したがって、わたしたち(患者も医療者も)は、今もっている自分自身の意識を振りかえながら、それを乗り越えようとする努力が必要とされているのだ。
東洋経済オンラインに加藤先生による「市民のための患者学」2週間ごとの連載スタート!
http://toyokeizai.net/articles/-/143366
患者の力: 患者学で見つけた医療の新しい姿
出版社: 春秋社
「患者には力がある!」 毎日を健康に生きるために、そのためにも、真の患者中心の医療を実現するために、いま必要なこととは。
告知を受けた時病名が分からぬ不安から解放され、症状も殆どなかったのでこれから身に起こる事も実感なくわりと冷静でした。
それからはALSについて調べたり患者に会ったり。しかしその後は症状は進み上着のボタンを掛けてもらった時は初めて涙しました。
ALSは進行が早いとはいえ今日明日どうなるというものではなく出来ない事を工夫する時間はあります。
そこで腕が駄目になった私は壁に、ブラシを貼って髪をとき、釘を打ちズボンを上げ下げし、水が飲める様コップホルダーを取り付け、又服の着脱を楽にする工夫をしたり等々。
そのつど子ども達の喝采で、豚もおだてりゃ木に登る状態です。それ故悲しい感情は影を潜め精神的な不安定期を乗り切れました。
それからALSは失い続けていく病、それは明日より今日が良い日でそれが毎日続くという事。こうして10年それなりに良き日で今に至るという事です。
それにしても子供は褒め育てるのが良い、いつかいい事がある。
人に厳しく自分に甘い私。例外はあります。
難病がある方や家族の方、サポートする方々で日常感じている悲しみ、辛さ、笑い、皮肉や優しさなどを短歌・川柳にしてご応募ください。
採用の方には寄稿料として千円相当のクオカードを進呈します。詳しい応募要項は10頁をご覧ください。
難病川柳
洗濯機 あればいいのに 干す機能
作:ジューミーさん(拡張型心筋症)
洗濯は、洗濯機に放り込めば勝手に洗ってくれるけど、干すのは難儀です。
心臓の病だと、腕を心臓より高く上げる作業がとても負担なのです。
いっそ洗濯機からハンガーにかけられた洗濯物も出てくればいいのになー
難病琉歌(8・8・8・6)
雨風(アミカジ)や吹ちん 節(シチ)来りば咲ちゅる 我(ワニ)ん咲かしぶさ 笑い華を
作:りっちゃんさん(パーキンソン病)
(大意)雨風に吹かれても、時期が来れば咲き誇る私も咲かせたいものだ 笑い華を
「ギャラクシー・クエスト」 1999年作
スタートレックへのオマージュで、4年間続いたSFドラマが、20年経っても人気があり、イベントはあるものの、出演した俳優たちは、人気はなく…、そんな彼らがある日…。
ネタバレにもなりそうなので、ぜひ見て欲しい作品。
ティム・アレン、シガニー・ウィーバー共演。
★渡久地 優子{進行性骨化性線維異形成症(FOP)}★
・・・カラーセラピーやパワーストーンも好きで、時々、ネットで見てます。
【日時】 10月30日(日) 14時から16時
【場所】 那覇市保健所 3階 会議室
【講師】 上田 幸彦 先生(沖縄国際大学教授、臨床心理士)
※参加費無料
OPLLの患者・家族はもちろん、その他難病患者・家族の方も大歓迎です。
患者会の枠を超え関心のある方は是非ご参加ください。
【日時】 10月16日(日) 13時30分から15時45分
【場所】 浦添市てだこホール マルチメデイア室 (共用駐車場が利用可能です。)
【講師】 松島 俊夫先生 (福岡山王病院 脳・神経機能センター長)
【定員】 45名(事前申し込みをお願いします。)
【費用】 資料代:500円
【連絡先】 代表世話人 金城(080-2719-4650)
※もやもや病の患者本人やご家族及び医療関係者も申し込みも可能です。
長い沖縄の夏もそろそろ終わりなのか、このところ朝夕は少し涼しくなったように感じます。
夏の疲れがどっと出てくるのも残暑が過ぎたこの時期です。油断大敵、体調管理に充分気を付けて爽やかな秋を楽しみましょう。
さて今月はALSの川口さんに体験談をお寄せ頂きました。大学卒業後、縁あり県内の沖縄観光をPRする会社に就職、沖縄の生活にも慣れバリバリで仕事に取り組んでいた矢先の発症、現在は横浜の自宅で療養生活を送りながら、常に社会と関わりたいとの希望を持ち続け「ALSの私だからこそ伝えられる事がある」との思いで活動をされています。
エッセーの松田さんもそうですが、徐々に失われる機能がある中、今出来る最大限の能力を駆使して社会とつながり、発信していく力強い意志を感じます。身体的には何ら不自由ないのに人生を無駄に過ごしている人に比べ、何と世界が広く豊かな生き方ではないでしょうか。
敬服します。
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