最終更新日:2017年10月01日
竹原 綾(たけはら あや)さん
ミトコンドリア病Leigh脳症PDHC欠損
私はナイチャー嫁※です。旅行で訪れた石垣島に魅せられて県外から移住し、島で生まれ育った夫と縁あって結婚に至りました。現在は、夫・娘(6歳)・息子(もうすぐ2歳)と共に石垣島で生活しています。
娘は『ミトコンドリア病Leigh脳症PDHC欠損』という難病を持って生まれました。糖質をエネルギーに変換する遺伝子『PDHC』が生まれつき欠損しており、体内の至るところに存在するミトコンドリア細胞がうまく働いていません。小頭症・知的障害などがあり、意思の疎通も難しく、言葉も出ません。歩けるようになったのは4歳目前でした。
娘を妊娠中の経過は良好でしたが、予定日を1週間過ぎても出産の兆候がなかったため、陣痛促進剤を使って出産することになりました。分娩台に上がってから15分のスピード安産で特にトラブルもありませんでしたが、娘の体重を計ってみると2510g。予定日を1週間も超過していたにも関わらず、低体重ギリギリでした。今考えてみると、全ては胎児期から始まっていたんだなと思います。
その後、発育曲線や月齢の発達目安より遅れているものの、首のすわりや寝返りなどはゆっくり出来るようになっていきました。ただ、そういった目安を見るたびに『また遅れている。どうして?』と不安になり、段々母子手帳を見るのが嫌になっていきました。
そんな時期に、市で行われている3~4ヶ月乳児健診で頭囲が大きくなっていないことを指摘されました。CTをしても異常なし。その後ある程度脳が成長した1歳半でMRIをすると『脳室周囲白質軟化症ではないか?』という結果でした。そのとき小児科の先生からは『きっちりと当てはまる病名がない。強いてつけるならこの病名です。』と告げられました。
とにかく私は、妊娠中何がいけなかったのか、もっと気を付けておけばこのような事態にならなかったのではないか…と自分の至らなさばかりを考えていました。泣いては気持ちを立て直し、頑張ろうと思える日もあれば、何をしていても涙が止まらない日もありました。
1歳半でおすわりが出来ないため、リハビリが出来る場所を探すことにしました。私自身が県外出身なので、そのまま石垣島で生活するのか、それとも地元に戻って大きい病院やリハビリ施設を探して生活するのか、どちらがベストな選択なのか夫と話し合いを重ねました。
そんな中、遊びに行った海で波に揺られて眠ってしまう娘を見ました。その姿を見て『やっぱりこの環境が合っているんだ。石垣島で育てよう』と決意しました。生活拠点や経過観察は石垣島で、それ以上に必要な医療やリハビリがある場合はその都度自分たちが移動するというスタイルに決め、まずは都内の療育センターで母子入園をすることにしました。
6週間療育センターに寝泊まりし、生活しながら集中的なリハビリや療育を受けることが目的で、全国から様々な症状のお子さんとお母さんが集まっていました。
娘の障害がわかってから同じ境遇のお母さんと話す機会がなかった私は、このとき初めて障害児を持つ家族と接しました。夫の地元で結婚し、元々知り合いが少ないうえに、娘の障害がわかってからますます外に出ることが少なくなっており、母子入園をするまで孤独でした。それまで、同じ月齢の子を見て『どうして娘は出来ないの?』と比べてしまう自分も、『普通』を目の当たりにして気持ちが沈むのも、何もかもが嫌でした。
それが、母子入園で一緒に生活するのは障害を持つ子どもとそのお母さん。その姿を見て自分の中にストンと何かが落ちて『娘も障害児なんだ』と、素直に受け入れることができました。この母子入園は私の大きなターニングポイントとなりました。
母子入園中『産科医療補償制度』の申請を勧められ、小児科の先生に書類をお願いすることにしました。申請のために改めて様々な検査をしてみると、血液検査の乳酸・ピルビン酸の値が高いことがわかり、このとき初めて『ミトコンドリア病』を疑うことになりました。
その後すぐに都内の国立病院を紹介され、あれよあれよと言う間に『ミトコンドリア病Leigh脳症PDHC欠損』と確定診断されました。
このとき、私も夫もやっと病名がついた!とホッとし、これで今後の対策を考えてあげられる!と心底嬉しく思いました。娘は2歳10ヶ月になっていました。
現在は、糖質の代わりに脂質をエネルギー源にするための『ケトン食』という食事療法とリハビリをしています。また、2年前から特別支援学校の幼稚部に通い、放課後は障害児デイサービスにお世話になっています。
これまでの生活で感じることは、夫の存在がとても大きかったことです。最初は落ち込む私にどう接していいかわからない様子でしたが、夫はいつも前向きで、今やるべきことをやる!という考えがブレません。私も徐々にその考えに引っ張られて、出来ることを探そうという気持ちになりました。また、確定診断されたとき夫が『今は治らないと言われているけど、いつか治るかもしれない』と話すのを聞いて、ただただ凄いと思いました。これからの生活に希望を持たなきゃいけないと、目からウロコの言葉でした。
その後、娘が4歳のときに息子が生まれました。もうすぐ2歳になりますが、既に息子の成長が娘を上回っています。
2人を見ていると、今後どんな関係性になっていくのか。いつどんな言葉で息子に説明することになるのか。息子のコミュニティの壁になるのではないか。など、心配なことがたくさんあります。それでも、娘を呼べば息子が手を引いて連れてきてくれたり、本棚から2人分の絵本を持ってくる姿を見るとその優しさと成長が嬉しい気持ちもあります。
離島という地理的なハンデもありますが、家族はもちろんのこと、学校やデイサービス、または地域の方々に支えられて娘は成長していくのだと思います。娘の障害を受け入れた今でも気持ちの浮き沈みはありますが、娘と一緒に私自身も成長していけたらと思います。
※ナイチャー嫁 沖縄方言で県外(内地)から来たお嫁さんのこと
今年度の目標の一つとして、県内の難病指定医療機関や訪問看護施設へアンビシャス法人賛助会への呼掛けを8月より行っています。難病をお持ちの方が通う病院や施設等に法人会員になって頂く事で、お互いの連携を深める事と、難病当事者の方に難病情報誌や医療講演会等の情報が広く行き渡る事を目的とし各関係機関にお願いしたところ、8月末までに27法人のご加入を頂きました。
ご加入の法人様には非常時電源確保のための勉強会資料や文字盤を使ったコミュニケーション支援テキスト等の勉強会資料・DVDをお送りし、各関係施設の職員が現場で難病の方と直に接する際に役立てて頂く事を期待しています。
何よりも医療現場の方々とより緊密に連携が取れる関係を構築し、難病をお持ちの方々のQOL(生活の質)の向上に結び付く事を願っています。
アンビシャスでは毎年、看護専門学校の学生さんの実習を受け入れています。今年度も5月末から11月の間、各1~2日間コースで那覇看護専門学校、ぐしかわ看護専門学校の看護学生さんを2名ずつ数回に分け、計22名の在宅看護論実習を行う予定です。
また沖縄国際大学の社会福祉士を目指している学生さんとも相談スキルアップのロールプレイを実施しています。
これから医療や福祉で働く彼らに、難病の事を知ってもらいたいです。おそらく現場において難病の方と接する機会は少ないとは思いますが、難病を支援するアンビシャスと関わりを持って頂くきっかけになればとの思いで実習をさせて頂いています。
特に記憶に残るような実習として、患者さんと接する際に基本的で重要な「傾聴・共感」に重点を置き、傾聴・共感の姿勢を学ぶことを目的とした、相談場面のロールプレイを行っています。学生にとって改めて深く学ぶ機会となり、「傾聴は、これまで出来ていると思っていたが、なかなか難しいことが判りました。今回学んだことを現場で生かしたいと思います」と感想を述べています。
また在宅支援に関連した停電による緊急時の電源確保策の紹介や発電機の操作、意思伝達装置などのコミュニケーション支援等の実技として、文字盤やレッツチャット等、現物を使った演習も行っています。
看護学生の皆さんには難病を持つ方々のよき理解者として、それぞれの医療現場で活躍される事を願い、学生さんと一緒に相談員としてスキルアップしていきたいと思っています。
19日、災害時非常電源確保について、おもと会のリハビリテーション・セラピストの先生方を対象に実施しました。参加者は約20名。今回は主に在宅へ訪問するセラピストが対象です。災害はいつ発生するのか判らず、患者さんのご自宅に訪問した際に発生する可能性もあることから、そんな場合でもパニックに陥らずに的確な対応が出来るようにしたいとの危機感から今回の研修会が企画されました。災害規模に応じた対応、停電時の電源確保を中心とした研修内容としました。
アンビシャスでは人工呼吸器装着者を主に支援していますが、人工呼吸器を装着していなくとも、吸引器のみを使用しているケースも少なくなく、今回の研修で学んだことを現場に広げていきたいとの意気込みがありました。
臨床心理士 鎌田 依里(かまだ えり)
病を抱える者が入院をし状況が不透明なとき、その家族が主治医からの説明を受けることは、今後の関わり方を決めるためにも必須事項です。本人不在で説明が行われる場合も往々にしてあります。家族はこの主治医からの説明の日時が決まる前にも様々な想いをめぐらせ、本人との多様な思い出が走馬灯のように甦り、その本人と自分との間で悔いのないようにしたいと思うのです。
例えば、夫の容態が急変したときの妻の想いと、子の容態が急変したときの親の想いと、親の容態が急変したときの子の想いと、きょうだいの想いとは皆、異なっています。ターミナルケア、遺される家族の生活、遺産等考えざるをえない事柄に対する想いも異なっています。そのようなときこそ、自分と病に臥せっている本人との関係に目を向けて、損得感情を抜きにして、自分がどのようにしたら後悔しないかを考えて、様々な調整を行っていくことが大事なのです。
病を抱えた家族を支えるには、いつも以上に、体力とこころのエネルギーが必要です。共倒れになってしまっては、支えたい人や守りたい人を守ることができません。こころの隙を突いてくるような人や情報に流されたりしないようにしましょう。後悔しないような対応をするためにも、自分自身の心身のエネルギーが枯渇しないように、自分自身がホッとできるような安らげる場所をひとつ作っておくことがよいでしょう。安らげる場所が、患者本人の側である場合には、万障繰りあわせてでも患者の側にいることがよいでしょう。
ひとりの生と死をめぐり、生き様を想い、悲嘆を受け止め、希望を見いだし、ありのままを受容できるためには、本人と向き合う物理的な時間が大切なのですから。
著:照喜名通
幸せになる方法は、毎日何かに対する感謝を声に出して話し、日記やSNSに書き、視覚でも認識することを続けることで、どんなにマイナス思考の人でもプラス思考になり、幸せと感じることが出来ます。ところが私たちが日々目にする多くは、新聞・テレビ・スマホから流れてくる嫌な出来事なのです。
話しはそれますが、NEWSは、英語の東西南北の頭文字だと思っている人が多いと聞きますが、実際は「複数の新しいこと」なんです。色んな地域では無く最新の出来事がニュースなんです。そんなニュースはというと事件、事故、不倫、汚職、粉飾、戦争、テロ、基地、貧困、等々。これら日々起きている出来事は知っておくべきでしょうが、私には優先順位が高いとは思えません。
自分はどう生きるのかが大切で、目の前の課題を解決するので手一杯です。自分、家族、会社そして相談に来られる方が幸せになる為に、日々勉強し、より多く、より深く、より早く幸せになって欲しいのです。そして結果として「ありがとう」と言われた時に、生きていて良かったと幸せを感じることが出来ます。
言葉を変えれば、不幸は生活習慣病なのかもしれません。日々悪い出来事ばかり見聞きしていると、怒り、悲しみで徐々にマイナス思考になり、ふと気づくと私は不幸だと感じるのだと思います。
慶応義塾大学看護医療学部 教授 加藤 眞三著
重い病気やがんなどでは余命の告知がしばしば問題となります。小林麻央さんの闘病ブログ「KOKORO.」には余命が告知されたかどうかについて書いていませんが、夫の市川海老蔵氏はテレビで「2016年の3〜5月でたぶんダメだった。(2016年)今年の夏は絶対無理だと思った。今10月でしょ。もうすでにこの時点ですごいことが起こっている」と打ち明けています。なくなられたのが2017年6月22日ですから、それから更に8ヶ月生きていたことになります。麻央さんのブログには奇跡が起きることを信じる強い希望が感じられました。
「余命1ヶ月の花嫁」がテレビ番組で流されたり、映画化されるなど、余命は1ヶ月や3ヶ月単位でわかるものと、一般の人には思われているかもしれませんが、余命の告知は一体どれくらいあたるものなのでしょうか。
わが国の緩和ケア医師が臨床的に予測した生存日数と実際の生存日数が報告された論文があります。横軸が医師の予測した日数、縦軸が実際の生存日数です。横軸の60日(2ヶ月)、90日(3ヶ月)、180日(6ヶ月)の上に、点が多くのっていますが、医師が1ヶ月単位で予測していることが表われています。
さて、例えば横軸の60日や90日の上の点を見て下さい。縦軸で、0日から180日までまんべんなく広がっていることが理解できます。これくらい医師の予測はあたらないものだということなのです。
グラフの中に3本の線があります。これは真ん中の線が医師の予測がぴったりあたった場合、その上の線が予測より33%長く生きた場合、下の線が予測より33%短く生きた場合になります。プラス・マイナス33%の範囲とは、予測が3ヶ月だと2ヶ月から4ヶ月の間に亡くなった場合に相当します。上下の二つの線の間に含まれる医師の予測日数のプラス・マイナス33%の範囲内で亡くなった人は、35%に過ぎません。予測がプラス33%より長めで楽観的すぎたのは45%、予測がマイナス33%以内で悲観的すぎたのが20%と報告されています。
患者さんやその家族、あるいは一般市民の方にも、この事実を知って欲しいのです。素直な患者さんは、この余命の告知にあわせて死の準備をしてしまいます。余命の告知はあたらない。
こんなものに左右されてはいけません。
グラフ: Amano K1, Maeda I2, Shimoyama S3, et al. The Accuracy of Physicians' Clinical Predictions of Survival in Patients With Advanced Cancer. J Pain Symptom Manage. 2015 ;50(2):139-46.より
東洋経済オンラインに加藤先生による「市民のための患者学」2週間ごとの連載スタート!
http://toyokeizai.net/articles/-/143366
患者の力: 患者学で見つけた医療の新しい姿
出版社: 春秋社
「患者には力がある!」 毎日を健康に生きるために、そのためにも、真の患者中心の医療を実現するために、いま必要なこととは。
利用している看護施設の理事長さんが僕の家に来て「鉄さん相談がある」、
「何ですか」と聞くと
「インドネシアの娘が居るけど、日本語も良くわかるから看護助手として入れようね」と話しが有り、
僕は「良いですよ」と。
翌日から看護師さんと一緒に来た。
日本語は良くわかるし、方言も、民謡も、僕は声が出ないのに口パクで話すとすぐわかるし、仕事が終ると
「ハイ、ヤァカイ、ヤァカイ」※
と方言でいう、とても頭が良く、ほがらかで、いいですね。
インドネシアでは看護師らしく、看護師さんの仕事もよくわかる。
去年の12月から、お産休暇中です。
少し寂しいな。
※「ハイ、ヤァカイ、ヤァカイ」
沖縄方言:「はい、お家に、お家に」家に帰ろうの意味
難病がある方や家族の方、サポートする方々で日常感じている悲しみ、辛さ、笑い、皮肉や優しさなどを短歌・川柳にしてご応募ください。
採用の方には寄稿料として千円相当のクオカードを進呈します。詳細は事務局までお気軽にお問い合せください。
難病川柳
痩せ過ぎて 何処が胸やら 背中やら
作:樹樹さん(パーキンソン病)
病気になる前、「痩せて」と言っていた主人が、今は「太って」と??
難病短歌
大魔王 パーキンソンにも 苦手有り それは身体の ための生き方
作:いずれ我が身さん(パーキンソン病 患者家族)
魔王みたいなパーキンソン病でも、日頃のリハビリ、筋トレで遠ざけることが出来る
「あやしい彼女」2016年
韓国映画のリメイク版で、主演は多部未華子、倍賞美津子。73歳が20歳に若返り、青春を取り戻すかのように楽しんでいく。
また、歌声も披露していたりと、老若男女で楽しめる。
「殿、利息でござる!」2016年
主演に阿部サダヲ、脇を固めるのは妻夫木聡、瑛太ら。羽生結弦も登場する。
タイトル通り「お金」の話であるが、とても面白く勉強にもなる作品ではないでしょうか。
★渡久地 優子{進行性骨化性線維異形成症(FOP)}★
・・・カラーセラピーやパワーストーンも好きで、時々、ネットで見てます。
去る8月26日(土)に那覇市保健所にて平成29年度医療講演会を開催し、40名もの参加者がありました。「膠原病治療の現状とこれから」というテーマで徳山 清之先生(医療法人清心会 徳山クリニック 院長・理事)をお招きし、主に全身性エリテマトーデス(SLE)とループ腎炎を中心にご講演を頂きました。
膠原病は20種類以上もの疾患の総称を言いますが、それぞれ特異の自己抗体を持っていて血液検査で疾患特有の自己抗体が見つかり、また臨床症状から疾患名がつく事。疾患に応じて治療のための薬の種類・量を、患者さんを良く観察しながら調整していく。最近の治療では、免疫抑制剤の使用できる種類が増えたことで、ステロイドの減量が出来るようになったなどのお話がありました。
第2部では徳山先生を囲んでのQ&Aということで交流会を開催しましたが、時間の都合で4件のご質問に絞りお答え頂きました。参加者の皆さんはもっと時間が欲しかったことと思います。
詳細は膠原病友の会沖縄県支部機関誌「ゆうな」に掲載しています。
来年度は20周年記念講演を予定しています。患者会へいらしたことのない皆様、どうぞ一度交流会へいらしてください。
10月とはいえ沖縄地方はまだまだ残暑が続き、夏の疲れが出る頃です。引き続き体調管理には留意しましょう。
さて今月の「表紙は語る」はミトコンドリア病のお嬢さんの母親、竹原さんの体験談を掲載いたしました。内地からお嫁に来て知人も少なく閉じこもりがちの毎日が、同様な境遇のお母さん方と母子入院を体験し、ご主人と共に前向きに子供の成長を見守れるようになった過程や、今現在の心境が正直な気持ちで綴られています。
県内にも小児慢性疾患児のお母様方は多く、お悩みも深いかと思います。竹原さんの手記が、その様な方々の子育てのヒントの一つになれば幸いです。
そして、先月号で同誌へのご感想を募ったところ、早速シェーグレン症候群のMさんよりお便りを頂きました。第1子を出産後、直ぐ仕事に復帰したが以前のように体がついていかないとお悩みの頃、7月号の渡邉さんの「頑張りたくても頑張れない日もくる」という言葉に救われたそうです。また9月号の砂川さんのように第2子、3子の出産希望もあるので主治医の先生と相談し前向きに考えたいとの事でした。Mさんお便りありがとうございました。
文 仲村明
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