最終更新日:2018年12月01日
東 与一(ひがし よいち)さん
網膜色素変性症
人は誰しも健康でありたいと思っています。健康であるということは、幸せな生活の源であり、すべての幸せはここから始まります。逆に、病を背負っていては健康に暮らすことは出来ません。否、心掛け次第では出来るかも知れませんが、それには他人が思い切って自分を大切にしてくれるとか、他に代わるものがあることです。それは時にお金だったりします。例えお金があったとしても、病気がちで入退院を繰り返していては、幸せとはいい難く、幸せに暮らす手だてを見つけてくれる第一の源はやはり健康です。私達障害者の健康は、病を受け入れ心配せず、希望を持つことです。身体的、精神的な障害によって疾患名は違えども、希望に向かって進む道は一緒です。故に、私達は健康でなければなりません。しかし、今まで健康に過ごしていた人が突然病に罹ることがあります。私もその中の一人です。
それは63歳(平成15年)の時、国指定の難病「網膜色素変性症」と診断されたことです。初めて聞く病名でしたので大変ショックでした。徐々に視野が狭められ、終いには失明することがあるとか、視力低下、夜盲は夜間の行動に支障があるとか、症状の進行はゆっくりであるとか、治療法や薬の開発は確立されていない、という説明がありました。
会社にも女房にもそのように話しました。「見えなくなるのか?」と心配顔でした。会社では「残念だが頑張ろう」と励まされました。在職中は一生懸命働きました。
65歳になり、定年退職のはずでしたが、特別な計らいで3年間の嘱託を経て、平成20年11月、68歳で退職しました。
退職はしたもののやるべきことが定まらず、退屈の日々でした。そんなある日、女房から「時間はたっぷりあるし、目のこと、これからの事を考えたら」と勧められました。その言葉に発奮「よし人生を見つめ直そう」とサラリーマン時代には無関心だった医療、福祉、介護などの知識を深めたい思い立ち、取りあえずは各自治体、大学、NPOなど他の各種団体が提供する講演会、講座の受講から始めました。順調に学んで行きました。しかし、その学びの中で白内障、緑内障の話はあっても、網膜色素変性症の話は、退職から10年が経ち78歳になっても、ついぞ聞いたこともなく、網膜色素変性症の講座や組織に出会えておりませんでした。「絶対にあるはず。私が知らないだけ。」と思いつつこれまで過ごしていました。
ところがある日、読みかけの新聞をめくっていると、沖縄県総合福祉センターで「世界希少・難治性疾患の日in沖縄」というイベントがあり、各難病の説明や創薬開発の現状をまとめたパネル展を行うとの記事を発見、参観しました。全体の説明を「アンビシャス」から伺い「網膜色素変性症」のコーナーで患者会の存在を知りました。これが私にとって初めての難病の患者組織との出会いでした。今年2月の事です。その後、網膜色素変性症の勉強会、交流会にも参加するようになり、同病の友人もできました。
このパネル展が“縁”で本誌「アンビシャス」を愛読するようになり、難病を患っている方々が希望に向かって一生懸命頑張っていることに感動しました。「自分も頑張らなきゃ」と発奮しました。
去った10月には、アンビシャス主催の「ピアサポーター養成講座」があり受講しました。この講座では出席の障害者を4名一組に分け、お互いの困りごと、悩みごと、思っていることについて意見を述べ合い、ベストな道を見つけることから、助け合うことの大切さを実践的なロールプレイによって学びました。障害者が障害者をサポートするコミュニケーションの方法はとても斬新でした。同じ病を持つもの同士、「自分の病状を理解してくれる」という安心感や気づきがあるように思いました。
ところで皆さんは目をどのように愛護していますか?まさか、治療法や薬の開発がないからと、検診を怠っていませんか?定期的に検診することで、見え方や病気の進行状況を知ったり、予期せぬ合併症を発見することがあるそうですよ。私は6か月ごとに検診に行っております。残っている目の機能を十分に活用して社会活動を送るためにも、定期検診をお勧めします。また、外出の時は白杖をつきましょう。夜間は懐中電灯をつけましょう。障害物にぶつかったり、つまずいたり、転んだりを避けるためだけでなく、周りに自分の存在を知らせることが出来るからです。
こんな事がありました。ある夜、白杖をつき懐中電灯を点けて歩いていると、小学生らしき男の子から「おじさん目が悪いでしょう、なぜ懐中電灯を点けて歩いているの」と聞かれました。「白い杖をつき懐中電灯を点けているのはね、目の悪い人が歩いているよ、と周りの人に知らせるためなんだよ」と答えました。男の子は「あぁそうか、よくわかりました。ごめんね」と言って母親らしき方と去っていきました。盲人に懐中電灯はいらないと思っての問いかけだったのでしょう。この子にわかってもらえ、なぜか清々しい気分になりました。白杖をつき懐中電灯を点けて歩くことはこのような訳で、億劫がらず実行したいものです。
転ばぬ先の杖という言葉があります。杖は足腰の弱い高齢者にとっては保身具です。白杖は、視覚障害者の保身具です。街なかで視覚障害者や他の障害者の安全を守っているのはバリアフリーです。バリア(障壁)の除去は街を住みよくします。障害者にとって住みよい街は、健常者にとっても住みよい街です。「障害のある人もない人も共に暮らしやすい社会(共生条例)」実現のためにも障害者の社会参加を制限する障壁を無くしましょう。
東 与一(ひがし よいち)さん
1940年、鹿児島市生まれ
【趣味】小旅行、寺社めぐり
【座右の銘】損して得を取れ
【好きな食べ物】てびち、豆腐、そうめん
【挑戦したいこと】小説を書いてみたい
現在、沖縄国際大学 特別研究員(模合システム研究)
沖縄民族学会会員
沖縄高齢者ケア研究会会員
10月7日(日曜日)に那覇市保健所にてピア・サポーター養成講座を開催し、当事者・ご家族・支援者の方など30名近くの方が参加されました。
前半は難病の制度やアンビシャスの活動内容の紹介を行い、後半は富山大学の伊藤智樹先生を講師にお迎えし、「ピア・サポーターとナラティブ」という題で講演を行って頂きました。講演の中で、ピア・サポートの定義や基本的な理解について、またピア・サポーターの役割についてお話しがあり、その後ロールプレイを実施しました。参加者からは、「誰かのために何かしたいなという気持ちが芽生えた気がします」「ロールプレイは難しかったが、今後もっと理解を深めたいという学習意欲が湧いてきました。」という感想がありました。
同講座はアステラス製薬様の助成金により開催出来ました。アステラス製薬様のご支援に心より御礼申し上げます。
このピア・サポーター養成講座を、難病センター活動の一環として『難病相談支援マニュアル』に基づいて今後も続けていきたいと思います。
※1 ナライティブとは
物語、語りという意味で、身振りや表情なども含め語られた言葉、内容、語り口などを指します。
写真コメント1:ピアサポーター養成講座の様子
今年度より沖縄病院の渡嘉敷 崇先生のご協力を頂き、初めての神経系セカンドオピニオンを10月12日に実施しました。
「主治医に聞いてみたいと思っていたが、いつも外来は混んでいるので長く話すことが難しい。」「他の医師の話も聞いてみたいと思うが、主治医から紹介状をもらうのは気が引ける」といった声をよく聞きます。アンビシャスの医療相談会は主治医からの紹介状などは必要なく、無料で、お一人30分じっくりとご相談出来ます。ご相談の際は日々の検査結果やお薬手帳、臨床調査個人票をご持参してください。
医療相談会に参加された方からは「いま飲んでいる薬をなぜ飲まなければいけないのか、詳しく聞くことが出来て良かった。」「自宅でも出来る簡単なストレッチも教えてもらえて良かった。」と話されていました。
渡嘉敷先生、ありがとうございました。
10月18日メガネ一番様より、創業31周年記念チャリティゴルフコンペの収益金と、県内21店舗にてお客様より寄せられた募金より35万円近くのご寄付を頂戴しました。
また26日には金城キク商会創業100年を記念し、故金城キク様の「報恩の精神」に基づき、同グループ系列企業様で今年3月に社会貢献活動法人として発足した社団法人 風樹会 様より50万円の寄付を頂戴しました。メガネ一番様、風樹会様のご厚志に深く感謝申し上げます。
この他、多くの個人や団体様よりもご寄付を頂戴しております。この紙面を借り改めて深く感謝申し上げるとともに、難病支援活動を更に充実させることで、ご厚情にお答えして参りたいと決意を新たにしています。
写真コメント2:メガネ一番様、社員代表(左)より寄付を拝受する迫理事長(右)
臨床心理士 鎌田 依里(かまだ えり)
ひとは誰でも相手に対して、羨ましい、妬ましい、不幸に陥れてやりたいと等といった非常に強いネガティブな感情を抱くことがあります。このような感情を抱くことは人間だから仕方がありません。しかし、仕方がないからといって、そこで諦めていたらそれまでです。
あなたは毎日「ありがとう」という感謝の言葉をどのくらい使っていますか。わたしはできるだけ、相手と接するときには「ありがとう」と言うように心がけています。「一緒に居てくれてありがとう」「ご飯を作ってくれてありがとう」「話を聴いてくれてありがとう」「迎えに来てくれてありがとう」。自分の生活を振り返ると、毎日、何かしらの行動をするときに相手へ「ありがとう」と感謝の言葉を伝えるチャンスがいくつも見つかることに気がつくでしょう。
最初は「ありがとう」なんて気恥ずかしくて言えないと思うこともあるかもしれません。しかし、勇気を出して言えそうなときに「ありがとう」と言ってみてください。そして、「ありがとう」と言われた方は、素直に「どういたしまして」と言ってみてください。加えて「ありがとうと言ってくれてうれしいわ。どうもありがとう」と返してみてください。きっとお互いに、こころがほんのり温かくなることでしょう。
そして、日々の生活を楽しんでください。もちろん、楽しむなんてとてもできないという状況の方もいらっしゃるでしょう。そのときは無理せずに、「ありがとう」だけで十分です。もし、楽しむゆとりがあれば、少しでも楽しめる方法を探すこともよいです。
感謝し、楽しむことによって、相手への羨望や妬みは少なくなり、日々を穏やかにすごすことができると思います。
著:照喜名通
あなたは難病になると思いますか?あなたは災害で死ぬと思いますか?
楽観主義者は、成功をイメージしながら行動するので、現実に成功するのです。戦争捕虜の中で、楽観主義の捕虜は悲観主義の捕虜に比べ、捕虜である事を苦に感じることはより小さいと思います。
その様に楽観的な方が日本で起きている災害をみて、明日は我が身と感じ「何かしなければいけない」と、思ってはいても、実際には何の備えもない人が多いそうです。もちろん準備をする人もいますが、多くの方が自分は死なない前提で、懐中電灯や食料の備蓄をします。確かに危機に備えての行動なので良いのですが、楽観主義者は楽観的な偏りから、自分が死ぬことのイメージが出来ないのだそうです。これを楽観バイアスというそうです。
家具の転倒、火災、津波などで死ぬかもとイメージ出来れば、家具の固定や消火器の設置などするのでしょうが、実施率が低いのは楽観バイアスが働いているからです。
とはいえ日々の生活で、自分は死ぬかもしれないと常に考えていると鬱になります。いずれ死はやってくるかもしれませんが、より長く生きるために無謀な楽観ではなく、やるべき事は第一優先でやって、生き延びた時に快適に過ごせる事を第二優先で備えていきたいです。現実的な楽観主義でいきましょう。
慶応義塾大学看護医療学部 教授 加藤 眞三著
前回には、対話がこれからの医療で重要になることを述べましたが、なぜ対話がそれ程必要なのでしょうか。それは、病気を抱えての療養生活において、患者さんが主体的になることが何よりも大切であるからです。
『がんが自然に治る生き方』(プレジデント社、2014年)の著者ケリーターナーさんは、がんの自然退縮があった患者さんとその治療者を数多くインタビューし、共通した実践項目として9つを挙げるこができると述べています。それは、(1)抜本的に食事を変える、(2)治療法は自分で決める、(3)直感に従う、(4)ハーブとサプリメントの力を借りる、(5)抑圧された感情を解き放つ、(6)より前向きに生きる、(7)周囲の人の支えを受け入れる、(8)自分の魂と深くつながる、(9)「どうしても生きたい理由」を持つ、の9つの項目でした。(2)、(3)、(8)、(8)、(9)は自分と病気の関わり方、向かい方に関するものであり、(1)、(4)は口から摂るものであり、(7)は他者との関係性にあったのです。
そんなことでがんが治るなんてと思われるかもしれませんが、実は日本でもかなり前からがんの自然退縮も研究されてきていたのです。日本の心身医学を創設された故池見酉次郎先生(元九州大学教授)は、1992年にスイスで開催された第4回国際ストレス学会でがんの自然退縮例に関する研究でハンスセリエ賞を受賞しています(池見酉次郎著『ヘルスアート入門』創元社1995年)。
池見教授らは、74人のがんの自然退縮例で精神生活や生活環境を分析し、詳しい調査が可能であった31人中23人に人生観や生き方の大きな変化があり、その23人の中、7人はがんの告知がきっかけに永遠の命へのめざめが、5人はがんを宣告されることによって信仰の対象としていた教祖や神仏に自分のすべてをまかせきるという全託の心境に、5人は家族からのサポートや周囲の人の温かい思いやりに包まれて主体的な生きがいのある生活へ転換が起き、6人は生きがいのある仕事に打ち込んでいたことを報告していたのです。実に、約4分の3の人で、生きがいや生き方に大きな変化があったというのです。ケリー・ターナー氏の記述と驚くほど似ていると思いませんでしょうか。
このような変化はその患者さんの免疫力や生命力を高め、がんを自然退縮させたものと考えられます。わたし自身も、がんが自然に退縮し長期間生存された例を5例ほど経験しています。いずれの方も、病気に消沈することなく生き生きと前向きに生きておられたことが印象的です。
ここまで述べてきたことは、がんについてでありますが、他の難病であっても、主体的に生きている方の生命力は病気を克服する力がある例を何人もみてきました。もちろん、これらの人は現代医学を否定するのではなく、最新の治療を医師と十分に話し合いながら受けているのです。
本来もっている生命の輝きをとりもどすためには、患者さんが主体的に生きることがとても重要であり、医者まかせ医療者任せで萎縮をしていては駄目なのです。
次号に続く
東洋経済オンラインに加藤先生による「市民のための患者学」2週間ごとの連載スタート!
http://toyokeizai.net/articles/-/143366
患者の力: 患者学で見つけた医療の新しい姿
出版社: 春秋社
「患者には力がある!」 毎日を健康に生きるために、そのためにも、真の患者中心の医療を実現するために、いま必要なこととは。
気づけばもう12月ですね。皆さんは、今年初めの目標は達成できましたか?
お陰様で、私は自宅で生活するという目標を達成する事が出来ました。
私にとって12月は特別な月です。
2016年12月その頃は身体の異変を感じながらも日常生活を工夫して過ごしていたある日、外階段で当時2才の息子を抱いたまま後方に転倒し後頭部を5針縫い、その日以降、私から一切の匂いが無くなりました。2017年12月その頃はほぼ全介助でした。肺炎と痰詰まりにより死の淵に立たされた時、生きることを選択して気管切開をし人工呼吸器を装置しました。
一見すると機能を失っただけに思えますが、匂いに敏感な私が寝たきり生活になっても生きやすい様に無嗅覚を得たのかもしれません。
例えば「近くで家族が食事しても匂いにつられないので気にならない、また不快な臭いを感じないので平気に過ごせる」など。人工呼吸器を装置する事で声を失う代わりに人生を得た。と言うように物事を色んな側面から捉えられる思考の柔軟性を得られたと思います。
それでは皆さん、よいお年をお迎えください。
難病がある方や家族の方、サポートする方々で日常感じている悲しみ、辛さ、笑い、皮肉や優しさなどを短歌・川柳にしてご応募ください。
採用の方には寄稿料として千円相当のクオカードを進呈します。詳細は事務局までお気軽にお問い合せください。
難病川柳
おっとっと 通院バスに 受診券
作:ジュリーさん(シェーグレン症候群)
最近転院し、通院にバスを利用するようになりました。
バス降車時に、慌ててしまった時の失敗談です・・・。
難病短歌
あっかんべー 舌は勘弁 食事時 痩せたと言われ 微笑む私
作:上里栄子さん(天疱瘡)
唯一の欲が食欲なのに舌が痛くて残念。でも、でも食べてますよ? あしからず~?
「心の旅」
ハリソン・フォードとアーネスト・ベニング共演。
有能な弁護士が、ある事故から記憶も言葉も失い、リハビリをしながら、葛藤をし、変わる周囲の目や家族たち。
変化していく「自分」と昔の自分はどうだったのか。
とても良い作品だと思います。
★渡久地 優子{進行性骨化性線維異形成症(FOP)}★
・・・カラーセラピーやパワーストーンも好きで、時々、ネットで見てます。
9月末に開催予定が台風のために延期となっていました宮古島でのパーキンソン病医療講演会を是非開催したいとの強い想いが、叶いました。
離島では、専門家の先生のお話を聞く機会が少ないと思います。
今は本や、インターネットなどでの情報も入りやすくなっておりますが、実際に医療の現場に携わっている専門の先生のお話を生で聞くことはとても貴重な機会だと思います。そして何よりも、同じ病気と闘う仲間がいるんだ、自分一人ではないんだと、共有する機会にもなればと思います。
病気を理解する事で今後の生活も変わります。当事者、家族各々悩みは違うと思います。講演会会場で、出会い、情報を共有する仲間を見つける機会にしませんか?皆様のご参加をお待ちしています。
【日時】12月9日(日)午後2時-4時
【場所】沖縄県宮古島合同庁舎 2階講堂
【講師】渡嘉敷 崇先生(独立行政法人 国立病院機構 沖縄病院 神経内科部長)
※詳細お問合せは
パーキンソン病友の会 事務局長(又吉) Tel 090ー8294ー1974
又は
宮古保健所地域保健班 Tel 0980ー72ー8447 まで
あっという間の一年、もう師走ですね。
今年は地震に大型台風、それに伴う土砂崩れや水害等、大きな災害に翻弄された一年でもありました。まだその影響が大きく残り、傷の癒えない方も多くいらっしゃるかと思います。心よりお見舞い申し上げるとともに、この年末、年始、穏やかに過ごされることを、切に願っています。
さて今年最後の「表紙は語る」は網膜色素変性症の東さんに体験談をご執筆頂きました。
病気の診断から15年近く、「世界希少・難治性疾患の日」のイベントまで「友の会」の存在を知らずに過ごしてきたことや、その後、交流会に参加、同病の友を得たこと等が語られました。
アンビシャスではこの情報誌やホームページ、活動を通じ、多くの方々に難病のことや、各患者会のこと等をお知らせしてきましたが、まだまだ難病についての発信が不充分だと痛感させられるお話でした。
先月号でも触れましたが、年明け1月には通算200号を迎えます。同誌の内容を更に充実させ、発信力を高めるよう更に努力いたしますので、皆様のご支援よろしくお願いします。
文 仲村明
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