最終更新日:2019年03月04日
本間 りえ(ほんま りえ)さん
副腎白質ジストロフィー(ALD)の息子の母親として
息子が生まれてきてくれた時、我が子の健やかな成長と幸せな人生を願い、幸せが続くと思っていました。
今から23年前、6歳になった息子はALD(副腎白質ジストロフィー)を発症しました。それはあまりに突然で、雷に打たれたような衝撃を私達家族に与えました。
ALDはまだ分子病態の解明がほとんど進んでいない希少難病です。小児期から成人期にわたり発症し、小児の場合は視力・聴力・行動の異常や痙攣、成績低下等から始まり急速に進行し、数年で寝たきりとなる事が多く、早期診断がとても大切です。しかし症状が多様な為、学習障害や※ADHD等と間違われたり診断に至るまでに多くの診療科を受診する事となり、その間に進行する事も多いのが現状です。息子の場合も例外ではありませんでした。
「最近元気がないな。いつもと違う」
始めはまさか何かの病気だとは疑いもしませんでした。しかし、得意だったかけっこではまっすぐ走れなくなり、漢字で書けていた名前もくねくねとした線のようになり、日に日に表情も乏しくなりました。とにかく当たり前にできていた事が突然できなくなっていきました。
周囲や幼稚園からは何も問題はないと言われましたが、絶対に何かがおかしいと地元のクリニックや総合病院・教育施設をまわり、専門書も読み漁りました。しかし原因がわからない。たらい回しにされた挙句、「きょうだいと比較しているのでは?」「神経質になり過ぎ」更に活字にはできないような無い言葉まで何度となく浴びました。
しかし、変化していく中でも、息子が時折私にみせてくれる笑顔や表情は以前と何も変わらない。愛おしい私の息子でした。泣きそうな自分を抑え毎日笑顔で息子に接し「神様、どうか何事でもありませんように」私は祈りました。「息子を救えるのは、守れるのは私しかいない」と自分に言い聞かせました。
そしてようやくついた診断。ALDはX連鎖性遺伝性疾患です。ただ、患者や保因者が発症するとは限りませんし、新生突然変異のケースも多からずあり、必ずしも母親が保因者であるとは限りません。しかし「自分のせいで病気になった」と母親が自分を責めることが多いのです。遺伝性疾患には未だ多くの偏見や問題がつきまとっています。
私自身も、悶々とした時期が長くありました。「同じ苦しみを経験する人がひとりでも減るように」目の前で変化していく息子を抱きながら、私は決心しました。
当時日本ではALD患者の骨髄移植はまだメジャーではなく、フランスでの成功例をもとに、症状が進行した小児ではほぼ初期例として骨髄移植を受ける事になりました。当時の抗がん剤は現在のものより副作用が強く、それは見ているのも辛くなるような酷いものでした。少しでも安心させたい。そう思い、病室に折り畳みベッドを置き生活を共にしました。
息子は辛い治療を何とか乗り越え、次のステップに進める事になりました。在宅生活です。当時は医療的ケアの必要な似た状態の子どもが在宅を選ぶ例はなく皆から反対されました。それでも息子を自宅に連れて帰るという私の決心は固く、少しでも良い環境で過ごせるようがむしゃらに情報を探しました。まだインターネットも普及していなかった為、付き添いの合間に国会図書館に足を運んだり、日本で無理ならと海外の医師や患者会に連絡をとったり、関連法規、障がい児の教育訓練を取り入れたりととにかく必死でした。
病院でも在宅でも、どこにいっても言われるのは「前例がない」という言葉でした。「お母さんは無理難題を言っている」訪問看護師のチーム会議に参加した際、大勢から責められ泣きながら帰ったこともあります。しかし、やらなくては何も変わりません。全ては息子のため。試行錯誤しながらできることは何でも取り入れ、自宅で訪問リハや介護の勉強会を開いたり、ボランティアを募るチラシを何百枚も配り歩いたりもしました。数年後「光ちゃん(息子)と一緒に過ごした経験を他の子達に活かせました」と言われた時は本当に嬉しく、医療者に伝え良い循環を生み出せたこと、子ども達への想いや信念を曲げてはいけないと強く感じました。
それまでの想いから、2000年に患者会を立ち上げ、8年前に「ALDの未来を考える会(通称: A-Future)」として法人化しました。皆が良い未来を描けるように。当初から変わらない想いです。
難病患者や医療関係者はもちろん、一般も巻き込んで、誰もが正しく学び楽しみ交流できるようイベントを開催し、10月2日を「ALDの日」と制定しました。現在は、海外の患者会とも連携をとり昨年は初のアジアサミットも開催しました。
患者さんが路頭に迷うことなく日々の生活に戻れるよう、ピアカウンセリングにも力をいれています。悲しいことに、息子の宣告から23年経った今でも、遺伝性疾患の宣告を受け悩みもがく方達がいらっしゃいます。「ひとりではないと思えました」「勇気がでました」「今日からまた頑張ります」会員の方からそんな声を聞けると、辛い事も沢山あるけれどひとりぼっちで始めた患者会をやめずに続けてきて本当に良かったと思えます。
自分や家族が難病を発症したり、障がいをもつこと、それは誰にでもあり得ることです。息子もあと半年早く診断を受けられていたら、今とは違う社会生活を送ることができていたかもしれません。患者会では、交流やケアはもちろん、遺伝子治療や新生児スクリーニングの実現に向け啓発と研究にも更に力をいれていきたいと思います。同時に地方の患者さんへ今すぐに情報を届けたい。この気持ちは設立当時と全く変わらない私の活動の原動力です。
※ADHD(注意欠如・多動症)
本間 りえ(ほんま りえ)さん
特定非営利活動法人ALDの未来を考える会 理事長 http://ald-family.com/
神奈川県横浜市出身。
結婚後、長男、長女に恵まれごく普通の専業主婦としての生活を送る。
長男のALDの発症を機に、初の介護生活を経験する。その経験を元に「ALD親の会」を発足。11年の活動を経て、2012年、特定非営利活動法人「ALDの未来を考える会(通称:A-Future)」設立。
著書に『いのち、光るとき』(河出書房刊)
1月17日に沖縄産業保健総合支援センター主催の「治療と仕事の両立支援セミナー」が開催され、両立支援の事例発表の一つとして照喜名より「難病を持ちながら働き支える立場から」と題し、難病支援センターの活動内容や、体験談を交えた就労継続事例の発表させていただきました。
当日は約60名の参加があり、企業の人事労務担当者や産業保健師、病院の相談員など多岐にわたる職種の方が参加されていました。質疑応答の時間には、「実際に治療をしながら働いている従業員がいるが、会社側としてどのような声かけや配慮を行った方が良いのか?」「治療をしながらも働いている方の実際の事例を聞くことが出来て良かった」と言った声があがっておりました。
新たに就職したい場合にはハローワーク、現在就労している場合での相談先は、産業保健総合支援センターとなります。どのように相談していいか分からずお困りの際には、アンビシャスから紹介も可能ですので、お気軽にお問合せください。
「難病患者を支える政策研究を通じて難病患者の未来に貢献する」とし、就労など、どの疾患群にも共通する課題を横断的に研究する班があります。平成26年から現新潟大学名誉教授の西澤正豊先生が研究代表者となり、難病患者の支援体制に関する研究班(西澤班)が政策提言となる研究を展開しました。
その成果を引き継ぎ、平成30年から(独)国立病院機構 箱根病院 神経筋・難病医療センター小森哲夫先生が代表となり「小森班」として更に研究を深めています。分担研究者が各界にいらして、その専門分野を分担研究されており、照喜名はその協力者としてお手伝いをさせて頂いています。
研究成果はホームページからみられるようになっていますので、どんな研究となっているのか注目です。
※研究内容はアンビシャスホームページ→難病情報→厚生労働省 難病患者の支援体 制に関する研究班からご確認ください。
ジャンボ・サンシャイングループ各店では、県内で活動されている社会福祉団体などに、その活動を支援するため寄付先をお客様に選んで頂く、お客様参加型の社会貢献活動 「サンシャインゆいま~る」プロジェクトを行っていますが、この1月に同プロジェクトから15万円近くの寄付を頂戴しました。同プロジェクトからは今年度合わせて27万円近く、昨年度も同様の寄付を頂いています。
難病情報誌の毎月発行、難病に関する勉強会等、難病支援活動を維持継続していく上で「サンシャインゆいま~る」プロジェクトからの寄付は貴重な原資となっています。
ジャンボ・サンシャイングループのスタッフの皆様、そしてご投票いただいたお客様、誠にありがとうございました。皆様のご厚志に応えるためにも、難病支援活動へ更に取り組んでまいりますので、今後ともご支援の程よろしくお願いします。
臨床心理士 鎌田 依里(かまだ えり)
皆さん、朝起きたときにどのような感じが自分の睡眠にはしっくりきますか?
(1)「あー、すっきりした。よく眠れた」
(2)「あっという間に朝になっちゃった。まだ眠い」
(3)「全然疲れがとれていない感じだけど、もう起きなきゃ」
(4)「夢ばかり見ている」
(5)「なかなか眠れない」
(6)「夜中に途中で目が覚める」
(1)のひとは、よい睡眠がとれているといえます。すべてのひとの目標はこのような睡眠がとれるようにすることです。
(2)のひとは、こころの疲れが貯まってきているサインが出ています。今の段階で、生活を見直せるところは改善し、睡眠時間を確保することが必要でしょう。またストレスになる要因は避けられるとよいです。
(3)のひとは、がんばっている状況で、なんとかこなせているけれど、ギリギリのところです。
(4)のひとは、だいぶ危機的です。黄色信号というところでしょう。できるだけ早急に休養してください。このままだとうつ病になりそうです。
(5)・(6)のひとは、赤信号です。ストレスがかかりすぎです。生活を見直し、今のペースよりももっと負担のないようにしましょう。
睡眠は、こころのバロメーターです。ストレスがたまってくると快適な睡眠をとることができません。起きても疲れがとれなかったり、夢をたくさんみたり、まだまだ寝ていたいと思ったりします。
睡眠は貯めておくことができません。忙しいと、平日はなかなか睡眠時間の確保ができないので休日にまとめて10時間くらい寝るということは、2~3週間はなんとかもちますが、長期間になると心身ともに疲弊する要因となります。睡眠は毎日、7~8時間とることができると健康維持に有効です。よい睡眠をとり、心身の健康を保ちましょう。
著:照喜名通
東日本大震災からもう8年も経過しましたが、私自身の感覚としてはまだ8年しか経ってないと感じます。その後も各地でさまざまな災害が続いたため、一般的な感覚としては風化しているのかもしれません。
私個人の捉え方ですが、阪神淡路大震災以降にボランティアが普及しています。東日本大震災では寄付が普及しています。それを契機にムーブメントとして広がっていったものでした。
災害から得た教訓に学ぶことは大切なことで、実は被災者の体験が色んなことに活かされています。通っていた病院や薬局が倒壊などで処方されている薬が判らなかったことから、お薬手帳が普及しました。津波の被害からハザードマップの見直し、標高が表示された看板の設置など、様々な場面で今後の対策を講じています。
沖縄独自の災害対策として渇水時の断水対策として、各家庭の屋上には水タンクがありますが、最近の新築家屋には水タンクはありません。公助としてダムが整備されて来たからです。公助が充実したら自助は無くなるのも、減災対策のジレンマだと感じます。遅ればせながら、昨年の3月11日から私は防災グッズを備えています。
災害は忘れた頃にやってきますが、貴方はどうしますか?
慶応義塾大学看護医療学部 教授 加藤 眞三著
毎年、2月3日の節分になると、日本全国の神社や家庭で「鬼は外、福は内」と豆がまかれます。鬼は悪い者、忌むべきものとして追い払う行事です。しかし、「鬼は内、福は内」とかけ声をかける神社や宗教も少数ながら存在します。鬼は、邪悪なものばかりではなく、鬼神(きしん)というように、自分たちを守ってくれる鬼の神様として考えるためです。
そういえば、2014年新聞広告クリエーティブコンテストを受賞した作品に「ボクのおとうさんは、桃太郎というやつに殺されました」というコピーがありました。まだ、幼くつたない文字でかかれている、小さい赤鬼の子の言葉に、わたしたちは強烈なパンチを浴びせられました。
わたしたちは、普段、「鬼は悪い者、害をもたらすもの」という常識の中に過ごしています。常識となってしまったことは、疑うこともなく、そのままに過ごしてしまいがちです。つまり、わたしたちは一つの視点からでしか、ものを見ることができなくなっています。しかし、このコピーの言葉に、他の視点をもつことの可能を知らされ、とらわれから解放されます。
対話をすることの大切さもここにあるのです。対話は新しい視点と智恵をお互いにもたらし、新しい着地点を見つけさせることになります。
今、世界は大きな転換期を迎えています。今までの常識が通用しなくなる時代であり、新しい価値観が必要とされる時代でもあります。
昨年は、スポーツ界においてパワハラ事件が頻発しました。実は、先輩が後輩をしごく、コーチが選手を脅すなどは格闘技やスポーツでは当たり前のことでした。20年前なら、そんなことを言っても、大きな上下の関係性の下に無視され、潰されるだけだったでしょう。いや、発言することさえできなかった世界です。それが表にあぶり出されてきたのです。
セクハラに#metooという運動も世界的な規模でおきています。ブラック企業の実態も暴かれています。官僚の不正な統計も表に出てきています。今までなら、闇に葬られてきたこと封じ込まれていたことが表に出る時代となってきたのです。弱者であっても、「今のままでは嫌だ」と発言できることになったのです。古い価値観を一度壊し、新しい世界を創っていくために、今後、対話がますます必要となっていくでしょう。
対話の力によって、お互いの視点を知ることができ、お互いの考えを深め、新しい着地点を見つけることが可能になります。対話は、どちらか一方が他を打ち負かすことを目指す論争・ディベートではありません。
医療においては、何よりも患者さんの発言が出発点となります。そして、そこで発せられた問題を解決するために、それぞれの専門家が対等に話し合える対話が必要となるのです。患者さんも自分の病気をコントロールする一人の専門家としてチームに参加してもらうのがコンコーダンスの医療です。
慶應大学で開催している公開講座「患者学」も、患者と医療者、市民と医療系学生が対話をすることにより新しい視点をもつことを目指しています。そして、患者さんが自分の病気を治す医療チームに加わり、一人の専門家として発言できる医療をめざします。患者さんが一人の専門家として発言し対話を練習する場として公開講座を開催しています。
東洋経済オンラインに加藤先生による「市民のための患者学」2週間ごとの連載スタート!
http://toyokeizai.net/articles/-/143366
患者の力: 患者学で見つけた医療の新しい姿
出版社: 春秋社
「患者には力がある!」 毎日を健康に生きるために、そのためにも、真の患者中心の医療を実現するために、いま必要なこととは。
平成26年12月25日に気管切開をしたあと、今年の5月頃から飲み込みが悪く、食事は小皿の1杯と味噌汁茶わん1杯、ひどい時には小皿の半分と茶わんの半分、体重も10キロ減り、7月に初めての検査入院。
入院後がもっとひどく、膀胱からシッコが出なくフォーリーを取付けてみてビックリ、膀胱の中から砂と泥が混じったようなのがいっぱい。でも今は完治しています。
飲み込みの方はリハビリさん、看護さんと、家内とで頭、こめかみ、あご、口、べろ、ほっぺた、唇をマッサージして貰っています。今も、朝、昼、晩、毎日3回。なかなかノドから落ちない食事、鼻から上がってくる飲み物、痛くていやですよね。
でも今は、前よりずいぶん良くなっています、元に戻るのもすぐですね。
難病がある方や家族の方、サポートする方々で日常感じている悲しみ、辛さ、笑い、皮肉や優しさなどを短歌・川柳にしてご応募ください。
採用の方には寄稿料として千円相当のクオカードを進呈します。詳細は事務局までお気軽にお問い合せください。
難病短歌
困ったな 急いでいるのに 足すくみ 急がないのに 突進する足
作:樹々さん(パーキンソン病)
急に前や後ろに倒れるように突進して、周りの人を驚かせています。
その反応が面白くて、フッと笑ってしまいます。
運転時 ヘルプマークを 身につける 怪訝な顔も へっちゃらさぁ
作:上里栄子さん(天疱瘡)
水疱が出るとシートベルが痛い。警察署へ行きシートベルトの脇下通し、OKもらった。スレ違う警官の顔も怖くない!
オススメ映画2選
「スリー・ビルボード」
昨年アカデミー賞では作品賞や脚本賞を始め6部門で計7つがノミネートされ、主演女優賞や助演男優賞を受賞し、高い評価を受けた良作である。
娘が殺害され7ヶ月、何の進展もなく苛立つ母親。彼女の起こす行動は、街中をどう変えるのか?犯人は誰なのか?物語に吸い込まれていきます。
「gifted/ギフテッド」
ギフテッドとは「才能」を意味する。
7歳になるメアリーは、学校に行くのが嫌いである。大人たちは、彼女をどう導いて行くのか。あらすじを知らずに観ると、やはり良い気がします。
★渡久地 優子{進行性骨化性線維異形成症(FOP)}★
・・・カラーセラピーやパワーストーンも好きで、時々、ネットで見てます。
今年度の医療講演会は例年より遅く、1月に行いました。
保健師による講演会を予定していましたが、やはり専門の先生をお招きして相談会と交流会を行った方が良いのではないかと言う事になりました。そこで、東保脳神経外科の東保先生に来ていただきました。
講演会の前半は、病状や手術方法についての話をなされ、写真や症例から説明していただきました。
後半は、参加者からの質問に答える形で、先生の経験の中からアドバイスをして頂きました。先生は、常に「臨床症状で決める」という事を伝えていて“脳の血流が、検査の結果では足りているのに発作が起こるのは、局所的に血流が少ないところがあるという事だ。”と仰っていました。またモヤの場合は、手術中に※ドライフィールドにしてはいけないとも仰っていました。
メモを取りながらの受講でしたが、DVDを取らせて頂いたので、改めて内容を確認し、他の皆さんの症状からの事例も参考にしつつ、病気と向き合っていこうと思いました。
日帰りで講演に来てくださった東保先生に、心から感謝します。
※ドライフィールド…乾燥した状態
世話人:中城 美子
寒暖差の激しかった冬も終わり、いよいよ春到来。沖縄では一番爽やかな「うりずん」の季節を迎える頃です。本土のように花粉症の心配もないこの時期、心身ともリフレッシュし爽やかな心持で過ごしましょう。
さて今月の「表紙は語る」は副腎白質ジストロフィー(ALD)の子を持つ母親としてのご体験を本間さんに語って頂きました。希少難病ゆえに診断がつくまでの長い時間、その間の周囲の理解を得る事の難しさ等が綴られています。そして、これらの体験をもとに患者会を立ち上げ、他の患者さんやご家族の道標として奮闘されている様子が語られています。発症したばかりの方や、そのご家族にとって、とても心強い存在だと感じました。
このコーナーでも折に触れ申し上げている事ですが、患者会は同じ病を持つ方にとり大きな心の拠り所です。9頁に沖縄県内の各患者団体連絡先一覧があります。同病の方の日常生活や療養生活等お聞きしてみたい方、ぜひご利用ください。もちろんアンビシャスでもいろんなご相談を承ります。遠慮なくお電話ください。
文 仲村明
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