最終更新日:2022年02月01日
小土橋 優子(こつちばし ゆうこ)さん
後縦靭帯骨化症
まさか、健康が自慢だった私が難病になるとは思いもよりませんでした。
発症時、私は鹿児島で看護師として勤務しながら、早朝は農業を営む夫の畑仕事を手伝っていました。それまで左足に痺れや腰痛はあるものの、日常生活や仕事に支障もないので放置していました。
ところが2017年の3月頃より左足を引きずるようになり、階段や坂道の歩行が難しく、身体に負担のかかる業務を外してもらいながら、何とか仕事は続けていました。同年4月のある夜の入浴中、突然背中に激しい痛みを覚え、夫に伴われ夜間救急病院に駆け込みましたが、激痛で意識も朦朧となり急遽、総合病院に救急搬送され即入院となりました。
しかし、原因がわからず退院後に整形外科を受診。そこで専門病院を紹介され『胸椎後縦靭帯骨化症』と確定されました。
本来なら柔らかい靭帯が骨のように硬くなっていく難病で、脊髄を刺激・圧迫するため痛みも激しく麻痺が生じていたようです。歩行障害は胸椎に起因したもので、脊髄の流れを良くするため手術が必要と説明を受けました。
職業柄か、身体の状態を冷静に受けとめ、取り乱すことはありませんでした。主治医から「半年で仕事に復帰できるだろう」と説明を受けていたことも安心材料でした。
6月に胸椎の手術。翌日、両足が全く動かなくなり、術後一日目にMRI検査。『動かないで』と言われ、激痛の中泣きながら♪サザエさんなどを繰り返し歌っていました。なぜその曲だったのかは未だに不明です(笑)。
検査の結果、血腫があり緊急手術となりました。このとき初めて、人目もはばからず大泣きしました。それまで「私は看護師だから、いい患者でいないと」と自制していましたが、感情をさらけ出したことでやっと「ただの一患者」になれました。その日手術室に入ったのが23時45分。しっかり時計チェックは忘れていませんでした(笑)。
2週間後、車いす状態のままリハビリ病院に転院。凝り固まった状態を緩和するリハビリは痛みが強く涙をぽろぽろ流しながら、感覚があいまいになった足を鏡で確認し訓練をコツコツと続け、どうにか両ロフストランドクラッチ杖での歩行が可能になりました。
ここまで回復し、退院も間近という矢先に又もや問題発生!今度は両手の動きが急に悪化。退院後、手術した病院の検査で『頚椎症性脊髄症』で要手術との診断。骨化したそれぞれの箇所に隙間があり繋がっていなかったのが理由です。「次は首の手術ね」と言われ唖然としました。
首の手術後に再び転院。奇跡的に足の感覚が戻り、リハビリも順調、何よりも結果が出る事にやりがいを感じていました。
結局半年で胸椎2回、頚椎1回の手術で入院期間は合計7か月。腰椎も5個すべてに骨化があり経過観察中です。退院時には四肢麻痺により身体障害者手帳2級となりました。目標としていた職場復帰は叶うことなく退職。この時は自分の目標を失い大泣きしたことを記憶しています。
入院中に「要介護2」と認定され、リハビリ型デイサービスや訪問リハビリを受けながら在宅生活。四肢麻痺に加え首から下の痛みが強く、農業をしながらの夫の介護負担もギリギリの状態となり、介護保険を利用して『有料老人ホーム』に入所しました。中には元気な認知症のお年寄りもいて、後ろから「ねえ、ちょっと」と肩を叩かれただけで転倒、トイレでバランスを崩し転倒、救急搬送された事もありました。『後縦靭帯骨化症』は転倒により悪化すると言われますが、比較的良かった右足も動きが悪くなり、現在は身体障害者手帳1級、要介護3になっています。
入所時は一生施設で暮らす覚悟でしたが、自然豊かな沖縄に単身移り住んだ夫から「暖かい石垣島で一緒に暮らさないか」と誘われ、施設を出て2019年10月末、移住しました。見知らぬ土地に対する不安はなく、むしろ魅力的な石垣島への移住にワクワクしていました。
総合病院を紹介されましたが、診療時間も短く相談が難しいので、現在は信頼でき納得のいく治療が受けられる整形外科のクリニックに通院しています。移住前に電話連絡を取り、担当ケアマネも決定し、移住したその日から介護保険を利用して介護ベッドや車いすを手配してもらい、現在もデイケア通所、訪問介護、福祉用具のレンタルを利用しながら過ごしています。
移住当初、石垣島に知人は全くいません。そこで鹿児島での手話経験を活かし電動車椅子で手話サークルに参加したことがきっかけで多くの友人が出来ました。三線も習い始めました。麻痺で指が曲がらず、広がらない、弦をしっかり押さえられない、ちんだみ(調弦)が片手では出来ない等のハンディはあるけど楽しくて、ずっと続けていきたいです。
交通安全協会で運転能力テストを受け、通院や手話、三線教室などの外出には福祉車両を運転して行動範囲を広げています。さまざまな挑戦や行動することで色んなご縁が生まれ、今では鹿児島に住んでいた時以上に友人や知人が沢山できました。
病気そのものは悩んでもどうすることもできないし、以前の身体には決して戻れません。だったら、今この時も頑張ってくれている自分の身体や周囲に対する感謝を忘れず、笑って楽しく過ごしたいと思っています。
今後、趣味だけでなく障がい当事者として社会に伝えたいことを今までの経験を活かし、私だからこそ 出来る社会活動も行っていきたいです。
小土橋 優子(こつちばし ゆうこ)さん
1962年 鹿児島県薩摩川内市生まれ。
看護師・ケアマネ・保育士の資格を持ち、看護師として鹿児島県を中心に30年以上勤務。
趣味は読書、イベント等の参加、旅行、カラオケ。現在は、三線、八重山民謡を楽しみながらトライ中。
手話入門講座・ピアサポーター養成講座受講中。
例年、年末に多くの方からご支援を頂いていますが、この12月は毎月寄付の方を含め多くの個人の皆様や法人様から23万8千円余りのご寄付を頂戴しました。誌面の関係で全ての方のご紹介は出来ませんが、一部ご紹介させて頂きます。
12月21日、首里キャッスルライオンズクラブ様より5万円の寄付を頂きました。首里キャッスルライオンズクラブ様はクリスマス前のこの時期に継続して毎年ご支援を頂いています。
またオリオンビール株式会社様からは募金箱より3万7千円近くのご寄付を、沖縄トヨペット株式会社様からも募金箱より10万円余りのご寄付を頂戴しました。
その他、先に述べさせて頂いたように多くの皆様のご厚志を頂戴しています。未だに先の見えないコロナ禍の厳しい経済状況の中、多くの皆様のご支援に心より厚く御礼申し上げます。ご寄付に託された皆様の想いに応えられる様スタッフ一同これからも努力してまいります。
今年度2回目の神経系疾患の方の医療相談会を12月3日(金)に沖縄病院 副院長の渡嘉敷崇先生のご協力をいただき開催しました。相談会では病気の説明や治療方法に関すること、また生活の中で取り入れられることなどについてもゆっくりお話しすることが出来ます。参加された患者さんからは「ゆっくり話が出来てホッとしました。」「聞けずにいたことが聞けたので満足しています。」といった感想が聞かれました。
パーキンソン病や重症筋無力症などの神経系の医療相談会は毎回、希望者が多くキャンセル待ちでご迷惑をお掛けしていました。その様な状況から渡嘉敷先生のご好意で今年度は3回実施することになり、3回目を令和4年3月11日(金)に予定しております。参加ご希望の方はお早目にアンビシャスまでお問い合わせください。
この度、アンビシャスではAWWA(米国福祉事業協会)様からのご寄付により、「指伝話」というiPad/iPhoneで使うコミュニケーションアプリを購入いたしました。
12月1日に業者の方にレクチャーをしていただき、スタッフで使い方を学びました。特徴は、指伝話が特定の目的や、障害や病気の方のためだけに限定して開発された製品では無いということです。
失語症の方の会話補助や言語訓練、ALSや多系統萎縮症の方の日常会話、構音障害のある方の会話補助、学校の教材作り、外国語の勉強、高齢者との写真や絵を使った会話、多言語メニューの紹介、製品スライドショーでの広告 など、幅広い場面でお使いいただけます。画面をタップしづらい方はスイッチで操作することも可能です。
アンビシャスでは他の意思伝達装置と同様1カ月無償で貸出しいたします。購入前のお試しとしてご活用されてはいかがでしょうか?コミュニケーションは、すべての人にとって大切です。指伝話の利用で笑顔が増えることを願っています。(指伝話開発・販売元:有限会社オフィス結アジア)
臨床心理士 鎌田 依里(かまだ えり)
相談活動を長く行っていると、療養生活についての知識やノウハウを身につけるため、難病であると告知されたばかりの方や自分の療養環境を整えようとしている方に対して、情報を含め何かを「教える」立場になることも多いです。
人に「教える」とは、どのようなことだと思いますか…。 「教える」立場にある人が、独善的になる可能性があることは周知の事実で、そうならないように気をつけつつ「教える」立場に居ることが大事です。
子どもへの教育とも通じるところがありますが、基本的には「教える相手は、自分とは異なる考えをもっていること」と認識することが前提です。そして次に、「相手が何を求めているか、何を知りたがっているかを明確にすること」が重要になります。相手が何を求めているかを明確にするために傾聴し、対応するのです。こちらの持っている知識では応えることができない場合には、相手の求めている答えを得ることができそうな場所等を紹介することが必須となります。その時に応えられなかった自分を責める必要はありません。適切な場所への紹介が重要なのです。
最後に、「教える相手は、自分よりも伸び代があると認識すること」が大事です。難病の医学的な研究は日進月歩というよりも秒進分歩といってもよいほど急激な変化を遂げています。時代の変遷や社会の変化とも関係しますが、自分より若い世代や自分よりも後に難病と告知されたりした方は、これまでの「教える立場にある人」が生きてきた環境と異なっている場合も大いにあります。 相談者の困り事が少しでも解決するために、そして相談者のこころが少しでも軽くなるために、相手に正しい情報を伝えることができればよいのです。
著:照喜名通
アンビシャスでは今年度から小児慢性特定疾病児童等自立支援員を配置し、難病を抱えながら就学している概ね13歳以上の学生等を対象に支援をさせてもらっています。 難病を抱えた学生の自立支援に関することは経験が浅く、スタッフも猛勉強中です。
難病と診断されると、生きていくのに精一杯で、仕事をしていても辞めてしまう方が多いため、仕事と治療の両立が可能なことの周知連携を深めるといった支援をしています。
一方学生の場合は学習と治療の両立が課題となります。仕事との両立の場合は各企業の理解についても周知連携が必要ですが、学生の場合は学校という公的機関との周知連携が必要です。また思春期を迎える時期や学校制度面、難病について同級生の理解が得られないなど新たな課題も多くあるでしょう。
学校生活と治療の両立、仕事と治療の両立に加え、恋愛と治療の両立についても今後は活動を広げないといけないと考えます。難病になり恋愛や結婚を諦める方も少なくはないです。難病や障害をもっていても、夢を諦めず、普通の人生を歩めるように、いや、難病を持っているからこそ、困難を乗り越える力がある、現状の当たり前が当たり前でなく多幸感が高いことを目指していきたいです。
慶應義塾大学 名誉教授 加藤 眞三著
近年、世界の企業の幹部候補生は美意識を鍛えるためにアートスクールに行ったり、美術館、コンサートなどに行くことに精力的に取り組んでいるそうです。例えば、英国のロイヤルカレッジオブアート(RCA)ではグローバル企業の幹部をトレーニングする場になっているのです。
これまでのMBA(経営学修士)などで教育されてきた「分析」「論理」「理性」に軸足をおいた経営では、今日のように複雑で不安定な世界においてビジネスの舵取りをすることはできないことがよくわかってきたからというのです。
美しいと感じる心が、ビジネスの上でも重要になってきたのです。
また、米国の名門大学の医学部は近年、文学や美術、ダンスなどの「芸術系科目」を取り入れることに積極的になっていることが報じられています。
発端となったのはイェール大学医学大学院の取り組みで、数年前から絵画鑑賞を必修科目にしています。ハーバード大学医学大学院は2015年秋から、文学や演劇、ダンスの授業を課しており、近隣の美術館に出かける「課外授業」も取り入れています。またコロンビア大学は、創作文学や死亡記事の執筆の授業を開設しています。こうした背景には、大学側の「共感力があり、思慮深い医師を輩出したい」という考えがあります。多くの医学生は学業が忙しく、絵を描いたり楽器を演奏したりする時間はないと考えているため、学生の共感力や感性が鈍くなることを危惧した大学側が、授業を受けさせているというわけです。
最近、医学界では医師と患者の「対話」の重要性が高まっています。最新の医療機器に頼るあまり、医師が問診もそこそこに検査をし、異常がなければ「病気ではない」と断定してしまう傾向にあるからです。しかしそれでは症状の背景を理解したり、将来の病気を予想したりしづらいと指摘されてきました。絵画鑑賞によって「視覚的な診断スキル」が向上することは、すでに研究で明らかになっています。しかし、こうした授業がどれほど共感力を上げるかを証明するには、まだ時間が必要といえそうです。
このように、医学教育においても美術や芸術の重要性が見直されているのです。しかも、その背景には、共感力や感性を磨き、患者との対話をできる医師を育てるためにという意識があるのです。医学部学生にはもっぱら理知的であること科学的であることが要求されてきましたが、芸術や人文科学が医療において重要であることに気づいた結果なのです。
このことは、医学において理知的なことが開発され尽くしてきた結果なのかも知れませんし、AIやロボットが医療において論理的・分析的なこと・記憶を担う社会が訪れようとしているからなのです。そして、そのことを現場の医師も肌で感じているようです。
リクルートドクターズキャリア(2020年11月号)は、2040年に向けて医師にとって必要なものとして医師にアンケート調査を行い、第Ⅰ位の専門性・専門医(18.3%)、第4位のヘルステッック分野の知識と技能(9.6%)の間に、第2位 全人的医療を実践する力(17.3%)、第3位コミュニケーション力(14.4%)との回答が得られたという結果を報告しています。
医師はこれから大きく変わります。それと同時に、患者も大きく変わることが求められるのです。
参考図書
山口周 『世界のエリートはなぜ「美意識」を鍛えるのか?経営における「アート」と「サイエンス」』、 光文社新書
『名門大学の医学部が「絵画鑑賞」や「ダンス」を必修科目にする理由』 Courrier Japon
東洋経済オンラインに加藤先生による「市民のための患者学」連載配信中!
http://toyokeizai.net/articles/-/143366
加藤先生の最新書籍:肝臓専門医が教える病気になる飲み方、ならない飲み方
出版社:ビジネス社
いつもご愛読いただきありがとうございます。さて今月は当誌がみな様のお手元に届くまでの流れをご紹介します。
(1)原稿集め 前々月末から前月10日までに原稿を揃える。(「表紙は語る」のご執筆者の募集、ご執筆のお願いは3か月~半年前に済ませる。)
(2)集まった原稿に目を通し、所内スタッフで校正作業。
(3)デザイナー(難病当事者)へ順次原稿を送りレイアウト作業に入る。
(4)ページレイアウト案があがり、所内校正及び各コーナーのご執筆者へ確認。 ※この作業を複数回繰り返す。
(5)毎月20日頃を目処に校正作業を終え、いよいよ印刷へ
(6)印刷と同時進行で音声版の吹き込みを外部委託(FECオフィスまーちゃん)、ホームページUP外部委託(難病当事者)
(7)毎月25日頃印刷上がり。(5月、12月は連休に入るため少し早める)
(8)印刷物が届き次第、折り曲げボランティアへ要請。 ※就労継続支援B型事業所「あるにこ」様、個人ボランティア(難病当事者)の協力をいただく。
(9)月末を目処に読者へ発送。(月により多少の遅れ有) ※音声版はまーちゃん読み上げ完了後データ送付
みな様のお手元に届くまでこの様な過程で、ご執筆の方々を含め、多くの皆様のご協力いただいています。改めて御礼申し上げます。
沖縄県薬剤師会 吉田 典子
新型コロナワクチンについては、3回目接種が進められているところですが、副反応の事を心配されている方もいらっしゃると思います。全国の新型コロナワクチンの接種状況(1月18日時点)を見ると2回目の接種を終えられた方は74.03%にのぼります。ファイザー社のワクチンを初回接種(1回目・2回目接種)及び3回目に接種した方を対象とした国内の調査では、37.5℃以上の発熱、接種部位の痛みの頻度は初回接種と同程度でしたが、接種部位の腫れ、熱感は3回目の方が高い傾向がみられました。実際の症状としては「接種後5~6時間で腕が上がらなくなった」、「翌日まで頭痛、鼻水、全身のだるさが続いた」等の声が聞かれました。副反応の症状や出方は個人差がありますが、殆どの場合2日目をピークに現れ数日で自然に回復しています。接種後の発熱等つらい時にはアセトアミノフェン等の鎮痛薬の服用を勧めますが、接種前の服用はワクチンの効果に影響を与える可能性があるため予防的な服用は控えましょう。
私の声は気管切開をした時から私にしか聞こえなくなりました。
私の声は私の心の声といえば良いのか、自分の頭で考えて発した声なのです。
私が、まぶたを閉ざせなくなり今思う事は、まばたき=ワイパー
まばたきをする事で、目の保護だけでなく不快感を取り除き、目を正常に保つ事ができているということ。
まばたきができない事により、白いもやがかかるのですが、そうなると視線入力がしづらくって大変です。
白いもやをどけようと一生懸命まぶたを閉じようとしても、白目をむくだけなので、ワイパーの役目を果たしてはくれません。
そんな時は、ヘルパーに頼んで
『目がモヤがかかっているので、まぶたをとじさせてから、ナップでまぶたをこすってください。』
『目薬をお願いします。目薬点眼した後は、まぶたを閉じさせてからしっかりとナップで目とその周囲をふきとってください。』
と伝えてワイパーの代わりをしてもらっています。
そんな不自由な身体でも、それなりに楽しんで生きています。
1)ようこそ、我が家へ/2015年
池井戸潤の小説のテレビドラマ化でサスペンスタッチのホームドラマ。相葉雅紀、沢尻エリカ、有村架純など「犯人」は誰なのか、すぐ次回を見たくなる。
2)それでも、生きてゆく/2011年
被害者家族と加害者家族の話。
道徳感などから、子ども達に見せても良いのではと思えたドラマ。主演は瑛太、満島ひかり。出演者の演技が素晴らしい。中でも、凄いと思えたのは大竹しのぶ。
★渡久地 優子{進行性骨化性線維異形成症(FOP)}★
・・・カラーセラピーやパワーストーンも好きで、時々、ネットで見てます。
暫く小康状態を保っていた新型コロナですが、オミクロン株の出現で又もや全国で拡大傾向にあります。一度緩みかけた気持ちを再度引き締め、マスク着用やアルコール消毒等感染対などをしっかり行い収束を待ちましょう。
さて今月の「表紙は語る」は後縦靭帯骨化症の小土橋さんに体験談をお願いしました。確定診断から半年で3回に及ぶ手術の後、30年以上務めた仕事を諦めざるを得なかった状況や、縁もゆかりもなかった石垣島で積極的に地域に溶け込み生活をエンジョイしている現在の様子などを語っていただきました。
話は変わりますが今年2月でアンビシャスは創立20周年を迎えます。難病に関する情報も患者会もほとんどない当時の状況の中NPO法人として産声を上げました。設立直後から難病情報誌として当誌を発行、その後、同じ難病の方がどの様に生活しているか身近に感じてもらうため「表紙は語る」をスタートさせました。県の難病相談センターの委託をはじめその後、難病患者支援の活動を拡充させてきましたが、これからも原点を忘れず活動を続けて参りますので今後ともご支援の程よろしくお願いします。
文 仲村明
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