最終更新日:2022年12月01日
吉田 晋介(よしだ しんすけ)さん
多発性硬化症、クローン病
4年半ほど前に当誌189号に載せていただいた吉田晋介と申します。
前回はクローン病患者としてお話をしましたが、今回はもうひとつの病気の多発性硬化症のことを話したいと思います。
僕は小・中・高とサッカーをやっていて風邪もひかないくらいの健康な子どもでした。しかし、就職して20歳前にクローン病を発症。その後、クローン病の症状とは別に24歳から徐々に歩けなくなりました。最初は足裏が痺れて、次に膝に力が入らなくなり、真っすぐ歩けなくなり始め、フラフラと蛇行するようになりました。異変を感じてから約1年で完全に歩けなくなり、気が付いたら寝たきりになっていました。歩けなくなるまで、いろいろな病院で検査をしましたが原因は分かりませんでした。なので、いちばん近い病状の多発性硬化症という病名になりまし。自分では「多発性硬化症っぽい」と言っています。
多発性硬化症を発症してから23年。今47歳なので、もう少しで歩ける自分と歩けない自分の年数が半々になります。多発性硬化症は身体のいろいろな所に症状が出るらしいのですが、今のところ大きな変化はなく歩けないだけです。多発性硬化症っぽい人だからかなって勝手に思っています。
13年ほど前に生まれ育った埼玉県から宮古島へ移住しました。仕事は『自立生活センターまんた』という障害者団体で活動しています。
ここ数年は新型コロナウイルスの影響で活動にも制限がありますが、Zoomでの活動が出来て、宮古島を出なくても島外の方たちとも交流が出来ることが良かったです。アンビシャスのオンライン難病患者交流会にも参加出来て、他の病気を持つ仲間との交流は学ぶ機会にもなってとても嬉しいです。
今は、公共交通機関の改善やバリアフリーチェックなどを進めています。精神障害者の集まりにも入れてもらって交流や活動もしています。障がい者が暮らしやすい宮古島になるために何が必要で、何が必要ないかを考えながら活動しています。
コツコツと地道に活動をしながら治療を続けていますが、結果が出ないことは沢山あります。無駄とか意味がないとか言われたこともありましたが、今の僕は無駄なことは無いと思っています。無駄とか意味がないとかは自分で決めることだと思うので自己満足かもしれないけど、それでもいいと続けることの大切さを知りました。自分自身の感じ方で無駄かどうかは変わっていくものだと実感しています。
無駄なことなんて何一つない」という言葉は、昔好きだったミュージシャンの歌の中で印象に残っていた歌詞を使ってみました。昔は何となく聞いていた音楽も数年、数十年経ってから聞くと同じ歌でも違う感じ方になったようで、病気をした経験や年を重ねた経験で言葉の重みや大切さなどが変わっていったのかな、と振り返ったりもしています。
クローン病と多発性硬化症は完治しない病気です。病気に勝つとか病気に負けないことも素晴らしいのですが、治らないなら病気と上手く付き合っていこうと思えるようになり、病気を受け入れていくことで気持ちが楽になっていきました。それと、病気を理解してくれる人、理解しようとしてくれる人がいたら嬉しいです。気を使うことも多いから甘えられそうな人に、甘えることも必要だと思います。
僕は、病気をしたことには意味があると思います。歩けなくなって歩けていた頃より動ける範囲は狭くなったけど、知らなかった世界を知ることができて視野は広くなったと思っています。
病気をして良かったとは思わないけど、そんなに悪くもないと思えるようになりました。病気をする前より諦めなくなったり、どうしたら出来るかを考えられるようにもなったと思います。新しい人との出逢いが増えたことも確かです。
出逢いといえば10年前に宮古島で妻と出逢い6年前に結婚しました。僕と妻は出逢う前は本土で暮らしていましたが2人とも病気を持っていて体調が悪くなってしまい、療養するために宮古島に来ていました。第一印象はお互いに最悪でしたが、話をしていくうちに話しやすい人だなと思いました。価値観の違いや育ってきた環境の違いもありますが、違うからこそ新しく気づくことがあり、なるべくお互いを否定しないで話していくうちに、いつの間にか本音で話せる仲になりました。夫婦というよりは親友みたいな仲です。病気が悪化していなければ宮古島に移住することはなかったので、出逢えたことは偶然なのかもしれませんが、縁があって宮古島に導かれたのかなと思いました。
病気をした時は悪いことが続いて負の連鎖がありましたが、良いこともありましたので、これからも縁を大切にして良縁の連鎖を繋げていきたいです。
調子が良い時は…調子に乗ってください。調子が悪い時は…休んでください。この言葉は、医師から言われました。調子が良い時はそれに逆らわずにいろいろなことをやっていいよと勝手に解釈しました。僕は調子が良い時は、その後に悪くなることを恐れてセーブしてしまう傾向がありましたが、医師のこの言葉は、調子が良い時はセーブしなくてもいいんだと思いました。当時の僕の考え方と真逆だったので、良いなと素直に受け入れることができて実践しました。
体調が悪い時は素直に休んでいます。写真は、調子に乗って外出や旅行を楽しんでいる僕です。
吉田 晋介(よしだ しんすけ)さん
宮古島在住 埼玉県から移住して満13年
【クローン病歴】約27年(20歳前に発病)
【多発性硬化症歴】約23年(24歳に発症)
【趣味】お笑い番組を見ること
【好きなこと】笑える話をすること
【苦手なこと】SNS
10月21日 株式会社メガネ一番様の創業35周年募金贈呈式がありました。
メガネ一番様では、毎年同社の創業日に合わせ県内の視覚障害者の団体やアンビシャス、NPO法人メッシュサポート等へ、本部を含めた県内21店舗のお客様から寄せられた募金に加え、チャリティーゴルフにご参加の皆様の募金から毎年多額のご支援を継続されています。今年は総額で126万円余りの寄付があり、その中からアンビシャスは37万円余りのご浄財を頂戴しました。
この他、同社ではライオンズクラブを通して、メガネを買う事の出来ない東南アジア等の方々へリサイクルメガネの寄付や、贈呈式に合わせ社員の皆様やお取引先の皆様へ献血を呼びかける奉仕活動も行っています。
宮里社長はじめ社員の皆様の社会貢献活動に対する強い思いに、ただただ頭が下がる思いです。メガネ一番様の想いのこもったご寄付を深く受け止め、スタッフ一同心より御礼申し上げるとともに、皆様の期待に応えられる様これからも日々努力してまいります。
大変貴重なご浄財を賜り誠にありがとうございました。
10月20日沖縄県総合福祉センター「ゆいホール」を会場に、株式会社シルバーサービス沖縄の主催で「次世代福祉&医療&リハ機器展示会」が催されアンビシャスも参加しました。対象は那覇市を中心に近隣市町村の医療機関のケアマネージャー、看護師、介護士で270名余りの来場がありました。
アンビシャスとしては多くの医療関係者が集まる同展で、意思伝達装置関連の説明を通して難病に関する周知を図ることを目的に参加しましたが、難病やアンビシャスについて知らない方が以外に多く、今後いかにアンビシャスの活動内容を周知していくか、課題が見えた機会となりました。
10月8日より始めました難病ピア・サポーター養成研修は、12名のお申し込みを受けました。
同じ難病を抱える患者同士が互いに支え合うことはとても大切です。ピア・サポートのピアは「仲間」、サポートは「支援」という意味です。ピアならではの支援ができるところに大きな意味があります。
参加された方の動機は、「経験したからこそ、共感できることがある。発病時に話を聞いて欲しかった・話したかった自分と、今は話を聞けるようになってきた自分の両方がいる。」や、「自分の体験が同じように辛い思いをされている方のお役に立つのであれば。」等の声がありました。
アンビシャスに相談される方の中で、ピア・サポーターさんとお話されたい方が繋がることができるよう進めていきたいと考えております。
臨床心理士 鎌田 依里(かまだ えり)
実際の人生は良いことも悪いことも起こるので「良いことだけが続けばいいな」「悪いことはできるだけ避けたい」と思うのは当然です。ただ時折、まだ何も起こってもいないのに「悪いことが起きたらどうしよう」と心配しすぎてしまうことがあります。これは臨床心理学では「予期不安」といいます。予期不安の強い人は、その不安を解消するために睡眠時間を削ってまで調べたり、起きてもいない悪い出来事について「もし〇〇が起こったら、私はとても生きていけない」等と不安を繰り返し語ったりします。また「もしも〇〇が起こったら大変だから事前に△△をしておこう」「家から出ないでおこう」等と過剰な防衛をすることもあります。
難病を抱えて生きていると、体調に変化が生じた時「また悪化するかもしれない」という不安が連鎖反応で生まれます。体調の変化は実際の悪化の兆候かもしれませんが、一時的なものかもしれません。体調が悪いと冷静に考えられないこともありますが、できるだけ客観的に自分の体調を見つめて判断をしてみることが有効です。
また、自分の病気を相手に伝えないといけない時に「関係が切れてしまうかもしれない」と不安になる時には「病気という理由だけで関係が切れる人はそれまでの人なのだ」と割り切ることも必要です。
不安それ自体が、際限なく広がっていく性質をもっています。だから一つ不安が生まれると、その不安を自分で意識して見ないようにしたり考えるのを止めたりしない限り、どんどんと膨らんでいきます。「ここまでは実際の問題だから考えるけれど、ここからはまだ起きていないからその時に考えることにする」等と、境を明確に意識すると予期不安の予防が可能です。
著:照喜名通
人はプラス思考かマイナス思考に分かれる。とまではいえないのですが、どちらかの傾向にあります。ある出来事に遭遇した際にどう捉え、どう考えるかなのですが、自動思考といって、それぞれの考え方の癖により良い方向に捉える人と、悪い方向に捉える人がいるのです。
思春期の頃の私は全くのマイナス思考でしたが、無理してプラスに捉えようとはしていました。難病になってからはマイナスに考えることは少ないです。もちろん、いつもマイナスなことを考えないということではありません。将棋盤をみるように俯瞰(ふかん)して考え、主観と客観、メリットとデメリットを考えるように努めてはいます。思考は訓練すれば変えることはできると信じています。
しかし、コンフォートゾーンといって人は見たいものしか見ない傾向にあり、意識して新しい世界に踏み出すことは難しいのです。読書や映画をみていても見ようとすることは見えていますが、その奥にある世界が見えてこないことも多いのです。
立場や価値観が違う人との交流は、見えていないことが見えてくるチャンスです。悩み事があったとしても相談員に話をすることで、自分自身が見えてくることを期待したいです。
慶應義塾大学 名誉教授 加藤 眞三著
あなたが考える理想の臨終の姿はどんな光景でしょうか?
親が亡くなる時には、子供や孫などが周りを囲み、それぞれの家族が感謝の言葉や最期のお別れの言葉をかけて、静かに息をひきとる様子を眺めている。こんな様子を思い浮かべられてはいませんでしょうか? テレビのドラマなどでそのような光景が流されるのをみて、それを理想の姿であると考えたり、そうあるべきだ、そうでなくてはならないと考えてしまっている人も多いのではないでしょうか。
最近では、コロナ感染症で、入院中に面会もできず親の死に目にも会えなかった人も多かったようであり、そのことが死別の悲しみを長引かせているようです。
知人のAさんは、自分の父親が癌をわずらい、在宅で看取りたいと自宅で介護と看病をしていました。父親の隣に布団を敷いて寝起きをして看病していたのですが、ふと、うたた寝をしていた間に、父親は息を引き取ってしまったと、自分が父親の最期を看取れなかったことをとても悔やまれていました。亡くなられて一年以上が経過しても、その後悔の念と悲しみは続いていたのです。
娘さんにそこまで慕われ、そして安心できる環境の中で静かに息を引き取られ、何て幸せな父親なんだろうと、わたしは思いました。一方で、お父さんは、あの世から娘さんが死後長期にわたって嘆いている様子をみて、心配されているのではないかと思いました。
「親の死に目に間に合う」という言葉で示されるように、子供が親の死に目に立ちあうことが親孝行の大切な項目のように考えられてきました。わたしは、最近旅行中に義母が脳卒中をおこし予定を早めて帰ってきたのですが、その時「死に目に間に合いましたか」と知人Bさんに声をかけられました。
わたしは親の死に目に会えないことはあるものと考えていましたので、老人ホームに入っている義母と面会するときにも「これが最期の面会になるかも知れないよ」などと連れ合いに毎回言っていましたので、その言葉がけにも傷つきません。しかし、Aさんのような人に、この言葉がけをしたなら、その人はとても悔しく思い、自責の念に悩まされたのではないかと思います。
医学部卒業後40年を超える臨床経験から、人の死がいつ訪れるのかの予測は本当に難しいと実感してきました。研修医の頃は終末期の患者さんがいれば最期を診とるために1週間位病院に寝泊まりしたこともありましたが、それでも息を引き取ろうとする場にであえることは難しいのです。
看護師から心肺停止で蘇生処置中ですと連絡があり、駆けつけて、心臓マッサージを家族が来るまで続けるのですが、それは家族が間に合ったという形式をとるための儀式でしかないように思いました。
わたしは実の両親の死に目に立ち合えてはいません。それでも、病床でこれがこの世での最期の面会かもしれないと覚悟を決めて別れを告げ親から離れましたので、亡くなったとの知らせを聞いたときにも悔いは残していません。
全く予測もできない突然の別れであったり、若い人の死別では、悲しみは大きく、悔やむ期間も長くなってしまうかも知れません。そういう意味では、ある程度覚悟をできた後に死別を迎えられたことにわたしは感謝しています。
しかし、人がいつ亡くなるのかは本当に予期できないものです。だからこそ、常に「一期一会」の気持ちで接することが大切なのです。そして、別れる時に、いつもこれがこの世の別れかも知れないという覚悟が必要なんだろうと思います。
東洋経済オンラインに加藤先生による「市民のための患者学」連載配信中!
http://toyokeizai.net/articles/-/143366
加藤先生の最新書籍:肝臓専門医が教える病気になる飲み方、ならない飲み方
出版社:ビジネス社
「神さま仏さまどうか雨をやませてください」と祈りながら迎えた11月12日、時折小雨がぱらつく中、宮古島からの参加も含め42名を乗せたバスが山原(やんばる)に向けて出発しました。
3年前から計画しコロナ禍で延期していた「大石林山散策バスツアー」がこの日ようやく実現しました。
お昼前に大石林山に到着し、いよいよ散策。各々、自分のペースでパワースポットを目指して山に向かいました。目の不自由な者たちが杖を突きながら山道を登っている姿を見て、居合わせた観光客も驚きながらも感動している様に見受けられました。
帰りに轟の滝公園へ寄りました。公園内はバリアフリーの遊歩道が整備されており、雨が続いていたせいか、滝の水量も多く、迫力ある落水と水しぶきの美しさを間近に感じることが出来ました。
バスの中では、ベテランのガイドさんが地理や歴史の話、クイズなどで私たちを楽しませてくださいました。大石林山のパワーと滝のマイナスイオンで活性化された参加者は、ガイドさんのクイズに次々と正解を連発していました。
久しぶりのバスツアー、とても楽しい1日でした。
沖縄県薬剤師会 吉田 典子
ステロイドというと作用が強く、副作用も大きいイメージがありますが、正しく服用することでより効果的に、副作用も最小限に抑えることができます。
プレドニゾロンに代表されるステロイドは副腎皮質ホルモンの一種で、体の中の炎症や免疫反応を抑える作用があり、膠原病をはじめ様々な病気の治療に使用されています。気になる副作用と発現時期ですが、これは疾患や投与量、投与期間により異なってきます。
例えば、長期服用の場合、飲み始めから不眠、イライラや抑うつ等気分の変化や食欲亢進等が現れることがあります。また、血糖値や血圧が少しずつ上昇します。体の免疫力低下により数週間後からは細菌やウイルスなどの感染症にかかりやすくなったり、傷の治りが遅くなったりします。1か月後からは多毛、肥満、無月経、ニキビなども報告されています。副作用を出来るだけ抑えるためには、早めの対策が重要となってきます。
お薬全般に言えることですが、ご自身の服用するお薬については副作用を知っておき、症状が出たら我慢せずに医師・薬剤師に相談することが大切です。
20年前に開催されたある表彰式で、県知事賞を授与するため壇上にいた知事代理の副知事は、登壇する二人目以下の受賞者に対し「〇〇殿、以下同文。」と発し、手順どおり表彰状を授与していましたが、司会者の「以上、県知事賞の授与を終了する」のアナウンスを受け、一旦、降壇しかかったものの、すぐ一人の未授与に気づき、その受賞者に対しては表彰状の全文を読み上げ、笑顔で表彰状を無事授与しました。
その瞬間、表彰式会場はストロボが瞬き、万雷の拍手に包まれました。
私は、副知事の機転を利かせた受賞者や司会者への気配りで、突然のアクシデントをナイスリカバリーしたことに大きな感動を覚えるとともに、気配りは、気づきと決断力によって生まれるんだろうなぁと思いました。
「そして、バトンは渡された」2021年
コメディタッチの老後の心配を楽しく描いた作品。
永野芽郁、田中圭、石原さとみがどう繋がっるの…。
あらすじを知らないまま見たのが正解でした。
暖かい映画だなぁと感じました。
★渡久地 優子{進行性骨化性線維異形成症(FOP)}★
・・・カラーセラピーやパワーストーンも好きで、時々、ネットで見てます。
この記事を書いている11月中旬の沖縄は例年ですと爽やかで涼しい時期ですが、今年は雨が多いせいか、湿度が高い上に気温も25度以上の蒸し暑い日が続き、未だ半袖姿で過ごしています。じわりじわりと温暖化が進んでいるのでしょうか。
さて今月の「表紙は語る」は吉田さんに、多発性硬化症とクローン病という2つの難病抱えながらも「治らないなら病気と上手く付き合おう」と、病気を受け入れる事で気持ちが楽になり、調子が良い時は調子に乗り、悪い時は身体を休める。そんな生活の様子を語っていただきました。また「歩けなくなって行動範囲は狭くなったが、視野は広くなった」とも語っています。いろいろと示唆に富むお話かと思います。
話は変わりますが、本誌5頁でご案内の通り、難病(小児含む)の方の体験談「表紙は語る」のご投稿者を募集しています。文章を書くのが苦手な方は訪問またはZoomでの取材も可能です。詳細は事務局までお問合せください。
文 仲村明
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