最終更新日:2024年10月01日
眞榮田 純義(まえだ まさよし)さん
ALS(筋萎縮性側索硬化症)前編
A:一番最初に症状が出たのは、2021年の2月ごろ。右手の親指あたりに腱鞘炎のような、力の入りにくさがあって、コロナ禍や、病院があまり好きではないこともあって放置していたら、年明け前くらいにはお箸が持てないくらいになりました。その辺りからは、平坦なところでも転ぶようになって、色々体の不具合が出てきて。その辺りで彼女や母親から、もういい加減病院に行くように言われ、整形外科に行きました。最初は脳梗塞を疑われてMRIを撮るも異常なし。ヘルニア疑いでリハビリを薦められて3回行きましたが、「なんか違うな、脳か神経かな?」と思い、病院を変えました。すると、「MRIでは異常はないけど、体の中で何か異常があるのは間違いないから、大きい病院でちゃんと調べておいで」と紹介状を書いてくれました。それで2022年の3月に大きな病院を受診。検査入院をして翌月4月に20~30の検査を朝から晩までやって、最終日前日に担当医から「明日、退院の時には家族全員を呼んで」と言われて急遽、兄弟全員を呼ぶことになりました。僕、4名兄弟の末っ子なんです。そこで先生から“診断”と“これからどうなる”と“余命”。「呼吸器をつければ長くは生きられるけど、呼吸器に関しては、本人の意思を尊重してあげて」と。当時、僕はもともと医療的な話は好きで、ALSという病気は知っていて、それで筋ジスかALSのどっちかだろうと思っていました。検査項目を見て、針筋電図をやった時点でちょっとおかしいなと思い「どっちかだろうな、なるならALSはちょっときついな」と思っていました。姉が歯科衛生士で、母も介護の仕事で医療的知識やALSのことは知っていて、だから先生の診断がついた時にこの2人だけは血の気が引いた顔をしていて、あとは彼女含め皆なんかポカンとしてました。だから正直僕は衝撃は受けませんでした。そっち系なんだろうなと。
それまではバリバリ働いていて、退院した時、職場には僕の口から説明して「まだ頑張ろうと思っているからよろしく」と伝えました。職場の皆はすごく協力的で、ホント、色んなことを助けてもらいました。車いすになって1年半くらい通っていました。今年4月に辞めて、これからは訪問看護です。
A:一番最初は、人工呼吸器をつけるつもりなんて無くて。だから先生が言う寿命が3年から5年と言うのが来たらそれまでだから、それまでに皆とどっちかと言ったら思い出作っていこうと。もうなったのはなったし、何が原因か分からない以上、何にあたっても変わらないんだったらもう時間がもったいないから。だったらもう、笑う時間増やそうと伝えて。なので、退院した日は母親にお願いして、ちょっと多めに料理を作ってもらって、退院祝いしました。まあ。周りは複雑だったでしょうね。悲しみたい気持ちもあったと思うんですけど、僕自身が退院した初日からそんなテンションだし、あの時と今は別に何も変わっていないんで、未だにこの病気に対して涙を流したこともないし、悔しいみたいなのもないし、最初は強がりと思われてたと思うんですけど、今は「あなたらしいね」みたいな、理解してくれてます。
あの時に先生から余命を言われたのは、僕にとっては良かったなって思います。「どれくらいもつか分かりません」の方が、たぶん凹んでいたかもしれないです。「あと3年、あと4年です。」と言われたんだったら、「え、短っ!!もう、落ち込んでる暇ないじゃん」って。だから自分で思っている以上にあっさりしてたなと、今振り返れば、そこで気持ちの切り替えができてた気がします。
A:呼吸器を着けるつもりは無かった理由は2つあって、もちろん情報が無かったというのも理由ですが、1つは呼吸器を着けると“コミュニケーションが取れない”“しゃべれない”っていう。コミュニケーションが取れないのが一番辛くて。寝たきりになったら言葉でしかコミュニケーション取れないのに、その言葉すら奪われると思ったら、それはめちゃくちゃ辛いなと思って。そこから10年も20年も生きてられないなって思いました。それと、もう1つが介護負担。もう、一番の要因がここでした。僕自身が実家で、ひぃおばあちゃんと暮らしていて、最終的には100歳超えて亡くなったんですけど、ずっと母が介護していて、僕たちもデイケアから帰ってくるタイミングで入れ歯やったりとかしてたんですけど、やっぱり大変なのを見ていたし、お年寄りの介護と、これから先医療的ケアが必要な成人男性の介護って全然違うじゃないですか。やっぱり医療的ケアって、支えがあっても歩けないとか、全身の力が抜けている成人男性なんてとんでもない重さじゃないですか。もうそれだけでも介護大変なのに、呼吸器もつけている、胃ろうもって、そんな人を24時間365日何年も介護し続けるって考えた時、とてもじゃないけど家族の時間を奪い過ぎてるって思うと、僕自身そこがすごく懸念で。家族が僕に会う時間が全て介護になっているんだったら、長く生きている意味が見い出せなかったんですよね。それは何か、生かす為に僕に会いに来ているみたいな。それだったら意味ないなってのがあったので、それだったら着けないって。
それから仲の良い友人に伝えたんですけど、友人たちも結構動いてくれて「こういう人居るよ」って教えてくれたのが、東京にいる武藤さんでした。彼のことを知って、YouTubeやInstagramを見て、すごい彼に興味を持ったので、ダメもとで連絡してみたら、返事をくれました。それから「数分でもいいので会えるなら東京に会いに行くので」って伝えたら「是非」と。そこで初めて、彼のコミュニケーションの取り方を見て、目線入力で意思伝達をしていて「凄いな。こんな方法があるなら僕のコミュニケーション問題はクリアになるな」と。なので、あとは介護負担だけ解決すれば、長く生きてもいいよって思えました。しかも、呼吸器をつけてもここまで何でもできるんだって、そこに僕は希望がありました。ただそこには行政の問題もあって、まだ20代。今年30歳になる年で、あと10年は介護保険が使えないわけで、世間一般的に言うと、あと10年後、僕は確実に呼吸器を着けて寝たきりなんですよ。ALSの未来は10年後はそうなっているとなると、そんな段階から介護保険が使えたって、もう今更なんだよって期間に入っていて。だったら、今で整える。今、環境を作るしかないなって。どうしても今の状態だと、行政で使える範囲ってすごく限られていると感じたんです。そうなると家族の負担は全然まかないきれないってのがあって。だったら自分で作ろうということで、そこをクリアにできれば、僕の呼吸器を着けて長く生きるっていう選択肢は100%になるなっていう。なので、今現時点では、まだ訪問看護を作れていない準備段階なので90%ですが、気持ちは100です。
眞榮田 純義(まえだ まさよし)さん
1994年10月生まれ(糸満(兼城中学校)育ち)
【目標】まずは2024年10月には訪問看護の立ち上げ
【夢】家族に介護負担をかけずに穏やかに過ごすこと。どういう形であろうと、家族と今までと同じような暮らしをする。
【好きなこと】食べる事
【好きな食べ物】嫌いなものがほぼ無い
8月3日に「2024年度 顔の見える関係づくり」を開催しました。去る3月2日に「RDD 2024 in 沖縄」、5月23日に「難病の日2024」を開催した流れを踏まえ、コロナ禍で途絶えた各難病患者団体の横の繋がりを再構築し、共通する課題の解決と情報を共有することを目的として開催に至っています。参加者は、患者会の役員にとどまらず、これから患者会の立ち上げを考えている方、ピアサポーターさん及び、保健師さんが参加してくださいました。制度面などの情報交換を始め、難病当事者の生の声や、意見交換の場となり、終了後には、「各地区の保健師さんとご挨拶出来て、大変良かった。患者団体から率直な意見や要望が聴け、勉強になった。」との感想が聞かれました。
8月3日は「患者会 顔の見える関係づくり」と同日に「難病の日」から始まりました「難病と診断されたときに役立つしおり作り」の第二弾を開催しました。第一弾から引き続き携わってくださっている方に加え、患者会の代表者様、保健師さんにも参加いただくことができました。第二弾では、第一弾でお話しいただいた50の意見をもとに、内容を整理する作業を行っています。50の意見の一部には「病気とのつきあい方」や「難病申請のやり方」「情報の入手方法」「難病患者同士のコミュニティについて」を始め「体験談」等があり、それぞれのテーマごとに分けています。参加いただいた方からは「難病と診断された方の様々な視点に立って、しおりの内容を検討していたので、非常にためになりました。ぜひ、しおりを完成させて活用したいと思いました。」と言った声が聞かれています。9月19日に開催いたしました第三弾の様子は、次号以降でご報告いたします。
8月9日に神経系疾患(沖縄病院 渡嘉敷崇先生)、8月14日には肝臓系疾患(琉球大学病院 前城達次先生)、8月31日には膠原病系疾患(那覇市立病院 喜瀬高庸先生)の各専門医の先生方お迎えし医療相談会を開催しました。医療相談会は、日々の療養生活の中での疑問や不安など、外来ではゆっくり主治医の先生に聞けないことを相談できる機会となっています。参加された方からは「とても分かりやすく説明してもらえたので安心した。」「症状が進行していくことに不安を感じていたが、しっかり治療していくことが大事だということが分かった。」「薬の種類や効果など、なかなか通院の時には聞けない内容を聞くことが出来て良かった。」という感想が聞かれました。 お一人30分の時間の中で、心配や悩みが少しでも解消され、療養生活に前向きになれるような時間になったのではないかと思います。
渡嘉敷先生、前城先生、喜瀬先生、お忙しい中長時間に渡りご対応いただき、感謝申し上げます。
10月から来年2月にかけて、神経系、膠原病系、消化器系の医療相談会の開催を予定しております。参加ご希望の方はアンビシャスまでお問い合わせください。
各保健所、8月の予定はございません。
【北部保健所】 Tel:0980-52-2704
【中部保健所】 Tel:098-938-9883
【南部保健所】 Tel:098-889-6945
【宮古保健所】 Tel:0980-72-8447
【八重山保健所】 Tel:0980-82-3241
日時:10月8日(火)14時~16時(受付開始:13時半)
場所:那覇市保健所3階 大会議室
内容:(1)「HTLV-1関連脊髄症~病気と上手につきあう方法~」 講師:沖縄病院 脳神経内科医師 渡嘉敷 崇先生
(2)「よりよい療養生活に向けたリハビリテーション」
講師:クリニック安里 訪問リハビリテーション科理学療法士
呼吸療法認定士 金城 克弥先生
(3)患者相談会および交流会
対象:HTLV-1関連脊髄症の患者およびその家族
※参加ご希望の方は、那覇市保健所 地域保健課 難病事業担当保健師までお申し込みください。(電話:098-853-7962)
【募集期間:令和6年10月1日(火)~25日(金)】
【訓練期間:令和6年12月2日(月)~令和7年2月28日(金) (3ヵ月間)
コース名:リネン類クリーニング科
定員:1名
管轄校:具志川校
募集対象:知的障害、精神障害、発達障害、その他(高次脳機能障害、難病)
訓練場所:宜野湾市
委託先:沖縄綿久寝具株式会社(中城工場)
※受講料無料(但し保険料等は自己負担)
※詳しくは、具志川職業能力開発校へお問合せください。
【お問合せ先】TEL:098-973-6680
難病を抱えていても、病気によるストレス、病気以外のストレスにうまく対処することで心を安定させ、必要な治療に積極的に取り組めるようにし、生活の質を向上させることを目的とした「難病とストレスとのつきあい方~ストレス対処法:マインドフルネス瞑想~」講座を下記の要領で開講します。対象の皆様のお申込みをお待ちしております。
【日時】前期:2025年1月25日(土)13時30分~16時30分
中期:2025年2月22日(土)13時30分~16時30分
後期:2025年3月29日(土)13時30分~16時30分
【対象】難病を抱えている本人で、3回すべて参加可能な方
【講師】上田 幸彦先生(沖縄国際大学 総合文化学部 教授・公認心理師)
【会場】アンビシャス事務所において開催 ※遠方の方や来所が難しい方は、オンライン(Zoom)での受講も可能。
【定員】先着4名 ※定員に達し次第、締め切りとなります。
【参加費】無料
【締切】12月12日
【主催・問合せ先】沖縄県難病相談支援センター(認定NPO法人アンビシャス)
TEL:098-951-0567(平日10時~16時)
臨床心理士 鎌田 依里(かまだ えり)
私の1年半以上にわたる実体験と観察から、電車内での様子に関してある現象に気づきました。都心の電車(約5分に1本出発する電車)は、利用者が非常に多いため、電車内の椅子にはできるだけ多くの人が座れるようにと、どのような人も一人分の席からはみ出ないように窮屈そうに座ります。それに比して、田舎の電車(約30分に1本出発する電車)内では、利用者が少ないため、一人の利用者が、二人分ないし三人分のスペースを広々と利用する様子が見られ、いくら利用者が増えても譲り合うことはあまり見られませんでした。また都心の電車内では、優先席はそれを当然利用すべき人が適切に利用できており、必要に応じて譲り合う様子が見られますが、田舎の電車内では、通常では優先席以外も比較的空いているので、混雑時にも敢えて譲り合うという姿があまり見られないのです。
ただしこれは私の体験から見た比較ですので、読者の皆さんは異なった状況を目にするかもしれません。私の観察からは「人の言動は周囲の環境によって変化しうる」「必要最低限のもので納得する習慣によって、自分が最大限の恩恵を得る可能性が高まる場合には、人は譲り合う」という考察ができます。
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人の欲は際限なく広がります。多様性が認められる時代になりましたが、自分が楽であれば他のことは気にしない、という考えになっていないでしょうか。もちろん自分を大切にすることは必要です。しかし自分のことだけを中心に考え、生きるようになってきているのではないでしょうか。そうせざるを得ない状況にあったとしても、他者に対する礼儀作法も忘れずに生きることによって、多くの人が心地よく 生活できるのではないでしょうか。
著:照喜名通
明日、運動会などの大切なイベントがあるとその晩は興奮して眠れないということがあります。また、眠らなければいけないと思えば思うほど眠れなくて辛い思いをすることがあります。さらに、嫌な出来事を「忘れたいと思えば思うほど忘れられない」というジレンマがあります。アメリカの心理学者であるダニエル・ウェグナーが提唱した、「何かを考えないように努力すればするほど、かえってそのことが頭から離れなくなる」という現象を説明する「シロクマ実験」があります。被験者にシロクマの写真を見せて、「シロクマを覚えて」と言われた人より、「シロクマを絶対に覚えないで」と言われた方が詳しく覚えていたという実験です。私はたまに眠れない日があります。眠れないので辛いのですが、「まー、朝まで起きて明日眠ればいいや」と思ったのは覚えていますが、その後に寝てしまうことがあります。とても嫌な出来事があって色々と考えますが、先に進もうと思っていても自動車を運転している際にふと思い出してしまい、泥沼に沈むように深みに入ってしまうこともあります。
その出来事を誰かに話したりすることで、のちに気がついたら忘れてはいないのですが、執着しないようになっていました。
この心理を受験勉強などで上手く活用できれば良いのですが、恐らく何も覚えてないのなかなぁ。難病のことで何か忘れたいことがございましたら、アンビシャスには相談員がいますので話してみてはいかがですか?
慶應義塾大学 名誉教授 加藤 眞三著
2024年4月よりNHKの番組「こころの時代」において、シリーズ「ヴィクトール・フランクル」が6回にわたって放映され、大きな反響をよびました。フランクルの書は東日本大震災後、2012年にもNHKの番組「100分で名著:夜と霧」にとりあげられており、震災の被害者に希望をもたらし、多くの被災者の方にとって心の支えになりました。
精神科医師であるヴィクトール フランクルは、ナチス・ドイツにより強制収容所施設に収監されました。終戦後に解放されウイーンに帰郷したフランクルは「死と愛」(1)を一気に書き上げ、実存分析とロゴテラピーの必要性を提唱したのです。その後に書き著したのが「夜と霧」(2)であり、これが世界的ベストセラーとなりました。
わが国ではみすず書房から出版され「死と愛」として知られている原書のタイトルは「Arztliche Zeelsorge」(3)であり、日本語に直訳すれば「医師による魂のケア」となります。同書は2005年版までフランクルにより改訂され続けた、フランクルにとってのライフワークの書です。その後、同書は春秋社からも翻訳書が出版されましたが、そのタイトルは「人間とは何か」(3)です。そして、英語版のタイトルはThe Doctor and the Soul: From Psychotherapy to Logotherapyであり、直訳すれば「医師と魂:心理療法からロゴテラピーへ」というものだったのです。
ちなみに「夜と霧」の原書のタイトルは"…trotzdem Ja zum Leben sagen: Ein Psychologe erlebt das Konzentrationslager"であり、直訳すると「それでも人生にイエスと言う:ある心理学者の強制収容所体験」というタイトルなのです。英語版は"Man's Search for Meaning"(人間にとっての意味の探求)です。
この二つのフランクルの代表的な著作のタイトルは、このように原書と翻訳書でかなり異なっていますが、もし「医師によるスピリチュアルケア」というタイトルであったなら、日本でこれだけ多くの人に読まれることはなかったのではないでしょうか。死に直面して愛の重要性について気づくというタイトルであったからこそ、これだけ多くの日本人に影響を与えることになったのだと思います
ヨーロッパにおける魂のケア(すなわちスピリチュアルケア)は伝統的に聖職者により行われてきました。しかし、フランクルは、現代社会において生きがいや生きる意味を見失った人が実存的悩みを訴えて精神科医のもとに受診することが増えていることから、実存的ケア、すなわちスピリチュアル・ケアの提供が医師に求められていること、医師はその要求に対して応えていくことの必要性を唱えたのです。「死と愛」は医療職がスピリチュアルケアを担うことが求められているという発想を表した初めての書として、医療の中で重要な位置を占めると考えられます。
フランクルは、強制収容所での体験をとおして、人間が生きていく上で「生きる意味」や「生きがい」をもつことの重要性を感じ、三つの価値(体験価値、行動価値、態度価値)の重要性について観察し経験し検証したのです。危機に直面した時にも生きていくためには、根本的な発想の転換、コペルニクス的転回が必要であり、この三つの価値観を軸にして生きる意味をみつめることの重要性を提唱したのです。
(1)ヴィクトール・E. フランクル「死と愛 新版-ロゴセラピー入門」みすず書房 2019
(2)ヴィクトール・E. フランクル「夜と霧」みすず書房 1985
(3)ヴィクトール・E. フランクル「人間とは何か 実存的精神療法」春秋社 2011
加藤先生の YouTube配信中です!
「Dr.シンゾウの市民のための健幸教室」
加藤先生の最新書籍:肝臓専門医が教える病気になる飲み方、ならない飲み方
出版社:ビジネス社
アンビシャスでは毎月、オンラインで難病を持つ方の気軽なおしゃべりをする集いを開催しています。 沖縄県内の当事者の方でパソコン、スマートフォン等でzoom参加の出来る方の参加をお待ちしています。
「患者会がないので交流の場が欲しい」、「他の難病の方との情報交換やおしゃべりをする場があったらいいのに…」という皆様、今まで参加したくても遠方のため参加できなかった皆様、この機会に参加してみませんか。
※交流機会の少ない希少難病の方や、本島以外の地域の方でもネット環境さえあれば気軽に参加できます。ご希望や関心のある方はお気軽にお問合せください。
※今月のオンライン患者会は 10月16日(水)14時~15時です。
【お問合せ先】
Tel:098-951-0567(平日10時~16時)
メール:info@ambitious.or.jp
沖縄県難病相談支援センター(認定NPO法人アンビシャス)
〒900-0032 那覇市牧志3-24-29 グレイスハイム喜納2 1階
沖縄県薬剤師会 吉田 典子
多くの食品に使用されるハチミツ。医薬品としても薬の苦味等を隠す矯味剤(きょうみざい)や皮膚や粘膜の保護剤に使用されています。そんな身近なハチミツですが、1歳未満の乳児には与えてはいけないのをご存じですか?
実はハチミツは「乳児ボツリヌス症」の原因として指摘されています。ハチミツにはボツリヌス菌が混入していることがあり、消化器官が未熟で腸内環境が整っていない乳児が食べると、菌(芽胞)が腸内で発芽・増殖し産生された毒素が原因で発症します。実際、2017年にハチミツの入った離乳食で乳児が死亡する事故が起き、同年4月に厚生労働省より注意喚起の文書が出されています。発症すると、便秘、哺乳力低下、泣き声の減弱、瞼が垂れ下がる、首がすわらなくなる等の症状が現れます。
赤ちゃんは生後5~6ヶ月位から離乳食が始まり、生後1歳では成人と同じように腸内環境が整うため、それ以降はハチミツを避ける必要はなくなります。
ボツリヌス菌は熱に強いので、通常の加熱や調理では死にません。1歳未満の赤ちゃんにハチミツやハチミツ入りの飲料・お菓子などの食品は与えないようにしましょう。
最近テレビで、白昼堂々高速道路を逆走する自家用車の映像をよく観ますが、運転手の顔等はモザイク処理されてるものの、運転手は60代~80代であると字幕紹介され、どうやらマスコミは認知機能の低下によるシニアドライバーの交通事故が社会問題化してると訴えてるように思います。
それって、運転免許を返上したがらない高齢者を抱えた家族の悩ましい問題だけど、それ自体が社会問題化してるし、我々ALS患者にはとても身近な問題です。
手の機能低下を自覚していた私は、自家用車の急ハンドル操作ができなくなる前に運転をやめようと決めていたので、令和3年10月、自家用車の運転をスパッとやめました。自家用車の運転を続けたいと思う気持ちよりも、自分が加害者にならないことが1番です。
お陰で私自身も家族も安心して、最強食堂の沖縄そばとポーク卵をめっちゃ美味しくいただいちゃいました。
1)ザ・ホエールズ 2022年
約270キロの病的肥満の主人公、唯一の友人は看護師。
そんな中、8年ぶりに娘と再会で、色々と変化していく。
主演は、ブレンダン・フレイザー。
彼の迫真の演技は、アカデミー主演男優賞獲得し、特殊メイクは4時間以上で、スーツ脱着には3時間で、アカデミーメイクアップ&ヘアスタイリング賞を受賞。
ブレンダン・フレイザーのオススメ他作品は
2)『ハムナプトラ』3部作シリーズや
3)センター・オブ・ジ・アース
4)原始のマン
5)エージェント・スミス 2019年
『死体とFBI 情報提供者を殺した捜査官の告白』原作で、実話を元にしている嘘のようなホントの話。
★渡久地 優子{進行性骨化性線維異形成症(FOP)}★
……カラーセラピーやパワーストーンも好きで、時々、ネットで見てます。
今月の「表紙は語る」をご寄稿されたのは、筋萎縮性側索硬化症(ALS)を罹患された眞榮田純義さんです。ALSは沖縄県内では110名前後の人数で少ない神経疾患ですが、支援者の介入がもっとも必要な疾患と思われます。眞榮田さんはご自分の意思を伝えるコミュニケーション手法を同病の方から学び、介護については訪問看護ステーションを立ち上げることでクリアしようと奮闘されています。眞榮田さんの体験談は翌月号での連載としますので、来月号も楽しみにしています。
今、編集途中の9月中旬ですが台風が迫っています。気温も下がって過ごしやすいです。これから残暑は続く沖縄ですが、それでもセミが鳴き止みトンボが飛んでいるのを見かけると秋の気配を感じます。運動の秋、食欲の秋、読書の秋、学びの秋にしたいです。
アンビシャスではピア・サポーター研修の基礎編、応用編を通して、共に学ぶ支援者が増えることで、救われる人が多くなることを願っています。
文 照喜名 通
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